視力を失った彼は何も映らない映画を撮影する。1時間余り、筋書きもなく、何も動かない青いだけの画面・・・目を開けているのか、閉じているのか、どちらかわからなくなってくる。自分は何を観ているんだろう、この引力は一体なんだ。映画を成り立たせているものはなんなんだ。傑作とはいえない、だが存在が忘れられない作品なのだ。
<連載> 映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。SFXもスペクタクルもなし、魔法使いも宇宙人も海賊もなし。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。 |
面倒な映画 06
BLUE
あまりにも青い、友情の残像
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お察しの通り、私は友人が少ない。
親密だった人たちの半数と音信不通になっている。会わなくても、彼らとすごした時間は永遠に消えない、友情とはそういうもの…… こちらで勝手に思い込んでいる。連絡しようにも電話番号すらわからず、偶然に頼る他ないズボラを棚に上げ、縁が続いていればどこかでバッタリ会うものだと思って、放ってある。でも案外、奇跡なんてカンタンにそこら辺で起こるものなのだ。
デレク・ジャーマンの遺作「BLUE」はそんな遠い友情のような作品だと思う。エイズのせいで、ほとんど盲目になってしまった監督が最後に残した作品。「you say to the boy open your eyes… 」監督の静かなつぶやきから始まり、映像のない青い画面と音声が続く。デレクを囲む、ともに映画を作り生きた愛する友人たちの話し声や物音、気配が感じられる。それまで「カラヴァッジオ」など、バロック絵画を映像で再現したりするような、鮮明な絵作りが強烈な前衛作家だった。視力を失った彼は何も映らない映画を撮影する。1時間余り、筋書きもなく、何も動かない青いだけの画面…… 目を開けているのか、閉じているのか、どちらかわからなくなってくる。自分は何を観ているんだろう、この引力は一体なんだ。映画を成り立たせているものはなんなんだ。傑作とはいえない、だが存在が忘れられない作品なのだ。何かのきっかけで、ふとあの青い画面が脳裏に浮かぶ、記憶の片隅に取り憑いたデレク・ジャーマンの幽霊。映像作家という人種は、感じることすべてを作品に昇華しないと気が済まないんだろうか。人生が創作と同義になっている人間の習性か、死んでゆく自分の世界ならなお、放っておくことはできない。詩人の魂が凍結された青い遺書、一人で観ていると、青さの向こう側に引きずりこまれそうになる。青い画面を見つめ、デレクの声を聞いていると、思い出す人がいる。
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本当は気付いていた…。
30年近い昔、イブ・クラインの展覧会が西武美術館(89年よりセゾン美術館に改名99年閉館)開催されていた。視界のはずれにふたりきりになりたくないセンパイがチラリと見えた。インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)はイブ・クラインが商標登録した顔料で、目に沁みるようなウルトラブルー。イブ・クラインは海綿なんかのオブジェをIKBで塗って作品をつくるミニマルアートの作家だった。映画「BLUE」はこのIKB へのオマージュでもあるという。ただただ青い作品が集まったその展覧会は、鮮烈で今でも眼の奥に残像が残っている。点数が多い展示だったし、途中で考え事をしたりして、ゆっくり回った。2時間近くたって、もうセンパイもいないだろうと思ったら…… 彼が後ろに立っていた。 「あ、いらしてたんですか。」しまったという顔をしてしまう。「本当は気付いてたろ? 海綿のあたりでちらっとオレを見たよな。知らんぷりしようとしたでしょ。」得意そうな顔をして…… 自分だって今の今まで声かけなかったくせに。
当時作っていた舞台の演出だった彼は、いつも貧乏で、難しげな本を読んでいて、知らないフランス人の名前を連発するエラそうで怖い存在だった。私はモンスターとか動物とかを体で演じる道化役だったから何かと目立ち、ダメが出る。何か言われそうになると、目を合わせない、返事をしない、気がつかない振りをする、反抗期の子どもみたいな態度で、彼の攻撃を避けていた。一方的にやられるのは不本意だったし、心の底ではいつかひっくり返してやると昏い闘志を燃やしていたのだ。一方で彼は女性たちには強烈にもてた。数人と付き合っている噂もあり、彼女たちに命を狙われるのも怖すぎる、ピンで関わらないほうがいい。やばいな、捕まるぞ…… 案の定センパイは「ちょっと時間ある? 」何か意見しようとしても、しれっと逃げる反逆者を今日だけは見逃す気がなかったらしい。
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時間はあるが金はない、あんたもな。
観念して、台湾茶館でお茶をすることになった。急須をひとつ、茶碗を2つ頼めば、あとは永遠にお湯がもらえる良心的なお店だったから。この店には独特のお作法があり、小さな急須をくるくるまわして、中国茶を入れてくれる。「ごま団子食べる? ごちそうするよ。」ここのごま団子は揚げたて熱々でおいしいのだが、3個ついてくる。1つずつ食べて、最後のひとつ。ごちそうしてくれるって言ったのに、箸で2つに切って、半分をよこした…… ケチ。熱々をハフハフしながら、古い映画や演劇の話、最先端ぶった青臭い芸術論を交わしたりする。話は多岐にわたり思ったより威張ってないし愉快だったけれど、いたたまれない。向こうもそうに違いないのだが、無理に次の話題につなごうとする。私とどのくらい耐えられるか誰かと賭けているみたいに。
それでもがんばって帰らなかったのは、こちらには別の薄汚い理由があった。意地悪で感じの悪いある女と彼が微妙な関係だったからだ。美貌の巨乳番長は、本気かどうかはっきりせず他の女の影も消えない彼にキレまくっていた。あんたが1秒でも長く一緒にいたいセンパイと今無駄な時間を費やしてるんだよ、ざまあみそこし…… 積年の恨みを晴らすべく陰湿な優越感を満喫していたのだ。その女の言う通り、私みたいな道化の醜女にはセンパイは絶対に粉をかけない。だからこそ埒もない話をし、関係を育めるってこともあるんだ、参ったか! もっとも、身の程知らずに惚れっぽい私が、センパイみたいな美男に恋愛感情を持たなかったのは天恵だった。もし恋をしていたら目も当てられない、相手にされない上、後輩スタンスさえ確保できなかっただろう。でもぜんぜん稔性がなかったから、女同士のバトルも高みの見物、呑気なものである。火の粉がこないところで凶暴で業の深い恋について、勉強させてもらった気もする。
センパイとはその後、まったく会わなくなってしまった。噂も聞かなくなり、糸が切れたみたいにたぐり寄せる手がかりを失い25年がたった。ところがある時、神田の古書センタ-でバッタリ遭遇。縁は続いていれば奇跡がおこる。お互い相変わらず時間はあるが、金はない。近くのカフェに入って、おにぎりランチを食べながら、お互いの半生について、数時間話した。もちろん割り勘で。おにぎりをもつ手つきが懐かしい。この人は手で丸い物をもつとき、指の第1関節までで支える、指の力が強いんだろうが、それが繊細な印象を与える。ああそうか、これか。若い頃どうして彼に恋をしなかったのか、こういうデリケートな感じが苦手だったのだ。ひと目を惹く美貌でも、才能があっても、フラジールでストレスフルなこういう尖った男性を支え守る胆力がなかった。そういえば、歴代の彼女は母性的な豪傑ばかりだった。
ひとしきり話した後、他の関係者も呼んで、集まりますか? と聞いてみた。すると彼は「君は変わらない、変わらなかったことに満足したから、もうしばらく会わなくていい。」そっけない人だ。でもその通りだ、私もそう思った。思い出の中の若い我々も、現実も中身にそう違いはない。往生際悪くまだモノカキをしていたり、50を越えても己の信じる芸術を追求していたりするんだもの。そういうことなら、またどこかで偶然会うだろう。温度の低い縁。人生に大した影響はないのだけれど、彼の存在は冷蔵庫の隅みたいなところに保存されつづけ、何かの拍子に、例えばBLUEのような曰くの映画を見ると、思い出したりするのである。