日本の社会というものは、10代、20代の若者に対しては「一生懸命頑張れ!」「人生悔いのないように」などと、青春の名のもとに、うっとうしいくらい応援するくせに、頑張ろうとしている大人に対しては急に厳しくなる。「もっと現実をみないといけない」「人生そんなにあまいものじゃない」「その歳で何浮ついたこと言ってるの」うんたらかんたら…。
連載「旅って面白いの?」とは 【毎週水曜更新】 世界一周中の小林圭子さんの旅を通じて生き方を考える、現在進行形の体験エッセイ。大企業「楽天」を辞め、憧れの世界一周に飛び出した。しかし、待っていたのは「あれ? 意外に楽しくない…」期待はずれな現実。アラサー新米バックパッカーの2年間ひとり世界一周。がんばれ、小林けいちゃん! はたして彼女は世界の人々との出会いを通して、旅や人生の楽しみ方に気づいていくことができるのか。 |
第13話 海外に飛び出すジャパニーズの姿から見えてくる未来 – 日本にこだわらなくたって、自分らしく居られる場所はどこにでもある – 〈マレーシア〉
TEXT & PHOTO 小林圭子
海外ネタが好きな日本人
世界のどこにでもいる日本人
ーーー
日本のテレビ番組の中には、海外のネタを取り扱っているものが結構ある。
たとえば、世界中の秘境や過酷な環境に生きる物珍しい動植物など、日本では目にするのが難しいものをクイズ形式で紹介するもの、日本ではありえないようなスケールのでかいハプニング映像を面白おかしく紹介するもの、もしくは海外の田舎を日本人タレントが訪れてその土地の文化を体験するもの、などなど。
また、「えっ! そんなところに日本人が住んでるの!? 」というテーマで、ほとんどガイドブックにも載っていないようなマイナーな土地に移住した日本人の生き様を、エピソードを交えながら紹介する番組もとても流行っているようだ。こういう番組を観ていると、
「日本人てどこにでもいるんだなぁ」
と思う人も少なくないハズ。確かに、『日本のパスポートは世界最強』なんて言われていることもあり(ビザ取得を必要とする国が少ないという意味で)、私自身、どこに行っても必ず日本人がいるのを目にした(と言っても、まだたかだか9ヶ国しか訪れていないけれど… 笑)。
その日本人というのは、何も旅人に限らず、留学生や、仕事で赴任している人、ボランティアや青年海外協力隊で働いている人、はたまた一時的なものではなく、移住を決めて向こうに住んでいる人、現地人と結婚して国籍まで変わってしまった人、など、在り方はさまざま。
.
保守的な日本社会と
その中で、もがきつつも順応させてきた自分
そんなことわざわざ私が言うまでもなく、別に当たり前っちゃ当たり前なんだけれど、これまではそういう生き方を自分とは関係のない遠い世界のことだと思っていたというか、どこか他人事としか思えなかったというか…。正直、あまりピンとこないところがあった。
「田中さん、仕事辞めて海外の大学院で勉強することにしたんだってー」と聞いても、「へぇ、エライねー」と思うくらい。
「山田さん、ニューヨークに転勤になったんだってー」と聞いても、「へぇ、カッコイイね! 」と思うくらい。
つまり、自分の生き方の選択肢の中に「海外」というものを具体的に持っていた訳じゃないから、何を聞いても「へぇ」の域を超えなかったんだと思う。そしてこれは、日本の社会が保守的だということにも関係があるんじゃないかとも思う。
たとえば、日本人で海外に留学する人と言えば、大学時代に1年間休学して語学留学、なんてのがよくあるパターン。英語が話せない私としても、大学時代に留学しておけば良かったなぁ、なんて思うこともしばしば。
次に、社会人になってからの留学で言えば、会社が金銭的なものを含め、一切を負担してくれるような、例えばMBA留学なんてものになると、周りからも「おぉー、カッコイイね! 」「羨ましい!! 」なんて、羨望の眼差しで見られたりする。この場合、留学がキャリアの中断と見られることは少なく、むしろキャリアアップのための投資と捉えられる。
一方、30歳過ぎていきなり会社を辞めて自分の力で海外に行くということになれば、話は全く変わってくる。親や友人からは
「その歳で会社辞めてどうするの? 」
「帰ってきてから仕事があると思うのはあますぎる」
「今更、英語だけを勉強してきても意味がない。プラスアルファで他にも何かないと」
などと、厳しいことを言われ続け、言われた本人もだんだん「そうかもしれない… 」と思い始める。そして悩んだ挙句、結局リスクを取りきれず海外に行くことを諦めてしまう、という人も少なくない。
日本の社会というものは、10代、20代の若者に対しては「一生懸命頑張れ! 」「人生悔いのないように」などと、青春の名のもとに、うっとうしいくらい応援するくせに、頑張ろうとしている大人に対しては急に厳しくなる。
「もっと現実をみないといけない」
「人生そんなにあまいものじゃない」
「その歳で何浮ついたこと言ってるの」うんたらかんたら…。
私自身が別にそうやって何かを諦めた、ということではない。だけど、抗うことが難しい日本の常識みたいなものに侵されて、おかしな社会だな、息苦しいな、と感じつつも、その常識という枠の中でしか自分が生きる場所を選んでこなかった。あくまで保守的な枠の中で、少しでも革新的に生きたいと、必死に道を探していたのだった。
勇気を出して海外に出て行けば
新たな可能性が見えてくる
そんな私が「海外に住む」「海外で自分の居場所を見つける」ことを、強く意識させられたのがマレーシアという国。日本人の移住したい国No.1と言われているだけあり、特に首都のクアラルンプールはとても住みやすそうだと感じた。
.
多種多様な人種が入り交じって生活しており、ざっくりとマレー系が6割、中華系が3割、インド系が1割。そのおかげで、この国ではとにかくレベルが高いマレーシア料理、中華料理、インド料理が食べられる(旅人の間では、東南アジアで一番ごはんが美味しいと言われている)。また東南アジアの中では群を抜いてインフラも整っていて、街もビックリするくらいキレイだった。
だけど、単にそれ自体が海外に住むことを強く意識させられた理由ではない。
クアラルンプールでは、友人が現地に住んでいる同年代の日本人を紹介してくれた。
彼女の名前は友美さん。日本の大手電機メーカーの関連会社で働いている。ちなみにご主人は韓国人という、なんともインターナショナルなご夫婦。初めて友美さんと会う約束をしていた日、彼女は社内の部署の打ち上げだか親睦会だかの食事会に私を招待してくれた。マレーシア人や日本人だけでなく、韓国人や中国人もいて、いかにも多国籍企業という印象だったのだけど、驚くことにほとんどの外国人が日本語が堪能だった。
友美さんいわく、
「日本人相手の仕事だから、英語はほとんど使わないよー。韓国人も中国人も、日本語が話せる人を採用しているし」
とのことだった。それを聞くまでは、マレーシアで働くからにはマレー語か、最低でも英語が話せないとダメなんじゃないかと勝手なイメージを持っていたけれど、実はそうでもないようだ。彼女のように、マレーシアで働いていようが、日本の企業相手の仕事であれば日本語が話せれば十分なのだ。
さっきの日本人は保守的だという話にまた戻るけれど、今の時代、海外で働きたいという若者は年々減ってきているらしい(それよりも国内で安定した職業に就く方が人気が高い)。
このマレーシアでも日本人に対する需要はどんどん高まってきているのに、日本人労働者を確保するのは意外に難しいのだと友美さんは教えてくれた。その代わりに、日本語が話せる韓国人や中国人を採用する傾向になっているのだと。それを聞いて、なんだか面白い現象だな、と思った。
食事会の後、友美さんのマンションに行って、みんなでテニスをしようという話になった。その会社で働く同僚の中には、同じマンションに住んでいる人が何人もいて、週に何回かそうやってテニスコートやプールに集まって、みんなで遊んでいるらしい。
雇用形態としては、海外赴任ではなく現地採用なので、お給料も現地の価格水準ということだったけれど、屋上にテニスコートや大きなプールが付いているような、キレイな高層マンションに住んで、多国籍な同僚たちと仲良くワイワイ過ごしたり、美味しいものを食べに行ったり、とても満たされているように見えた。
そんな中、ちょっと旅の途中で寄らせてもらった私としては、つい先日まで部屋にでっかい蟻や蜘蛛がいてビビったり、シャワーが水しか出なくて「途上国の旅は大変だー 」なんて言っていたと思ったら、ここではなぜか優雅にテニスなんて楽しんでいる。そんな自分に訪れる環境の変化を思うと、なんだか違和感があるというか、とても不思議な気分になった。
友美さんは今後も日本に帰ろうという気持ちは特に無いらしい。別に日本で働くことに拘らなくたって、自分らしく居られる場所はどこにでもある。
「旅が終わったら、マレーシアに戻ってきて、ココで働けば? 」
どこで何をして生きていくか。この問いは今後の旅の中でもずっと考えて行くことになりそうだ。
自分の仕事だけでなく
子どもたちの選択肢を増やすために
次にジョホールバルという街。
都会すぎず田舎すぎず、またシンガポールに日帰りで行けるとあって、マレーシア人からも日本人からもなかなか人気の高い場所。治安が悪いなんて言われているけれど、行ってみると実際に危ない目に遭うようなことは一度も無かった。
マレーシアの東端に位置するこの街には、友人一家に会うために訪れた。自分と同い年の友人夫婦が東南アジアの不動産マーケットを開拓しようと日本を飛び出し奮闘している。4、5日滞在させてもらい、仕事の話はもちろんのこと、海外で生活していく上での話をいろいろ聞かせてもらった。
その中で面白かったのは、彼らには幼い子どもが2人いて、やれ幼稚園はどうするか、やれインターナショナルスクールはどこが良いか、といった教育に関する話。マレーシアは非常に教育水準が高く、アジア各国から小学生や中学生くらいの若い留学生が増えているらしい。日本人の間でも、母親と小さい子どもの「親子留学」がちょっとしたブームになっている。昔から留学に憧れていた20代、30代の若いママが自分の子どもと一緒に海外で勉強できる、ということで人気の理由にも納得がいく。その間、日本に置いてけぼりのお父さんはちょっとかわいそうだけど(笑)。
例えば、中学校まではマレーシア、高校はバリ島に行かせて、大学はシンガポールというような、自由自在に子どもの教育環境を選択できる感覚を持つことは、ずっと日本国内にいるかぎり、なかなか難しいように思う。自分自身、そういったワールドワイドな感覚を持っていないからかもしれないけれど、どこか別次元の話という感じすらしてしまう。と同時に、「いよいよそういう時代が来たんだな」とも感じた。いくら日本社会が保守的とはいえ、今後、国際化の波は、より加速度的に進んでいくだろうし、その中で「日本だけでなく、学ぶ環境をどこに定めるか」を子どもたち各々が選んでいく時代になっていくだろう。
私は30歳過ぎてまだ結婚もしていないから、自分の子どもの教育についてちゃんと考えたことは無かったけれど、この友人一家と一緒に時間を過ごさせてもらって、初めて自分の結婚や家族を持つことについて真剣に考えた。もしかしたら、ひとり旅を続ける中で寂しい気持ちが高まっていたから、というのも大きな理由かもしれないけれど…。
旅の先にある人生
可能性の種を殖やしていきたい
クアラルンプールで自分の居場所を見つけて、ご主人や同僚たちと楽しく毎日を過ごす友人。
そしてジョホールバルで手探りながらも、仕事にも育児にも一生懸命な友人夫婦。
同年代の仲間たちが身をもって体験していることが私に与えてくれる影響は、今後もっともっと大きくなるだろうと期待の念を込めつつ、私も旅の在り方だけでなく、今後の生き方も含めてしっかり考えていかなきゃ… と思わされた、そんなマレーシアでの滞在となったのだった。(了)
.
(次回もお楽しみに。毎週水曜更新です)
=ーー
連載バックナンバー
第1話 世界一周、ふたを開けたらため息ばかり(2014.10.8)
第2話 旅は準備が一番楽しい。出発までの10ヶ月なにをしたか(2014.10.22)
第3話 ダメでもともと、初めての協賛(2014.11.5)
第4話 出発まで5日。ついに協賛決定!(2014.11.19)
第5話 最初の国の選び方。わたしの世界一周はフィリピンから(2014.12.03)
第6話 カスタマイズ自由が魅力のフィリピン留学(2014.12.17)
第7話 出国していきなりの緊急入院で知った、フィリピン人の優しさと健康に旅を続けていくことの難しさ(2014.12.31)
第8話 世界の中心でハマったいきなりの落とし穴 。負のスパイラルに突入だ!【オーストラリア】(2015.1.14)
第9話 いきなり挑むには、その存在はあまりにも大きすぎた! こんなに思い通りに進まないなんて…【オーストラリア】(2015.1.21)
第10話 いざ、バリ島兄貴の家へ!まさか毎晩へこみながら眠ることになるなんて…【インドネシア】(2015.1.28)
第11話 今すぐ先入観や思い込みを捨てよう! 自分で見たものこそが真実になるということ<インドネシア>(2015.2.4)
第12話 心の感度が鈍けりゃ、人を見る目も曇る。長距離バスでの苦い出会い 〈マレーシア〉 (2015.2.11)
—
小林圭子さんが世界一周に出るまでの話
『一身上の都合』 小林圭子さんの場合「次なるステージへ挑戦するため」(2014.5.19)