面倒な映画帖 03 「エル・トポ」 美と醜悪が危うくバランスする伝説のミッドナイトムービー

面倒な映画帖

 ここで挽回しないと、目の前のドアも、輝く前衛ライフも閉じてしまう。

<連載>
モトカワマリコの面倒な映画帖 とは

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。SFXもスペクタクルもなし、魔法使いも宇宙人も海賊もなし。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。



意味わかんなくても圧倒されるカルトの古典

監督・主演はアレハンドロ・ホドロフスキー。意味わかんなくても圧倒されるカルトの古典


面倒な映画 03
EL  TOPO
美と醜悪が危うくバランスする伝説のミッドナイトムービー

 

アイコトバはエル・トポ

レンガの門をくぐり、図書館の方に曲がって、校舎をいくつか抜けると文系サークルのバラックが見える。その中に……あった! 噂のピンクドアだ。演劇少女だった私は、寺山修司の「天井桟敷」や土方巽の舞踏と接点をもつ某大学の前衛劇団に憧れていた。ドアの隙間からは、クルト・ワイルのアリアとガラムタバコの匂いが漏れてくる……期待通りのアングラ! ドアをノックすると、中から青年が顔を出した。前日に電話で話したのと同じ声で「君ってサザンオールスターズが好きでしょ。」

だから入れてあげない? 中にひしめく女たちを見て、自動的に心の中で言葉が続く。女たちは黒装束に黒髪で仮面のような化粧をし、棒のように痩せている。当時流行ってたモデル山口小夜子風美女軍団。一方の私は小太りでセーターにジーンズ、地味すぎる。「サザンは別に。」「じゃあ何が好きなの?」ここで挽回しないと、目の前のドアも、輝く前衛ライフも閉じてしまう。とっさに出た言葉が「エル・トポ」だった。

 

012イラスト:モトカワマリコ

ハッタリ。日本未公開だったから観たことあるわけない。ただアングラ業界で大絶賛されてる映画だってことを知ってただけ。「おい、こいつ、ホドロフスキーが好きなんだってさ。」やった! 扉の呪文は正解。運命のピンクのドアが開き、黒装束の仲間たちが迎えてくれた。なにしろエル・トポ=モグラは地下世界の住人だもの、明るいところが苦手なのだ。私は大喜びで穴ぐらにもぐり、人生を左右する刺激的なアングラ生活が始まったのだった。

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「やりたいことをやった」それに尽きるカルト作品
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そういうわけで大恩のあるこの映画を何度か観ているが、今だにどういうお話なのかよくわからない。監督は、頭の中に湧き上がるビジョンを人に見せたくて映像にした、舞台やテキストや絵では表現しきれなかったのだ。映画は大きな世界観を表現したいビジョナリスト向けの芸術だと思う。イメージが伝わるコンテが書ければ、専門家がよってたかって監督の世界を具現化してくれる。監督はチームからいい表現が出れば「採用」違えば「やり直し」みたいにリードしていけばいい。そうやってホドロフスキーの頭の中から取り出したものは、映像美と暴力がフィルムの上で格闘する美しくて極端な、別名ミッドナイトムービーと呼ばれる伝説になった。

物語はあってないようなものだが、世界一強い男になるために砂漠を旅するエル・トポとその息子(監督本人と実子)が主人公。冒頭で砂漠を行く馬上の親子は強烈な印象だ。全裸の子役のお尻が灼かれてサンバーンをおこしている。いくら家業だからって、親の芸術のために裸で砂漠に出されるなんて! そもそも物語の軸は監督が抱く実父への愛憎なのだ、予算の都合でそうなったにせよ、結果的に繰り返される横暴な父と犠牲になる息子の図。2014年公開の最新作「リアリティのダンス」は監督の自伝を映画化したものだが、大人になった息子ブロンティがホドロフスキーの父親を演じ、ホドロフスキーの少年時代は実の孫が演じている。物語の人物とリアルの血縁関係が入り混じり、血が濃すぎてクラクラしてくる。こんな家に生まれたら現実と幻想の区別がつかなくなりそうだ、一体彼らにプライベートライフなどあるんだろうか。

そんな家庭の事情を内包しつつ、エル・トポは血とセックスにまみれた奇っ怪な物語を展開していく。初めて観た時はショックだったが、死屍累々を見ているうち感覚が変容して来たのを覚えている。死生観そのものが差し替わってくるのだ。闘って命を取ることは、相手の魂を俗世の体から解放し解脱を助けることだ、みたいな感覚に……ヤバイぞ私、大丈夫か? 奇妙なことにエルトポは人殺しの末に、殺した男だちのためにモニュメンタルな墓を築く。今でも犠牲者の血が溜まった赤い池と大量のウサギの死体でできた墓標の鮮やかな紅白のコントラストが目に焼きついている。モラルがNOと叫んでも見ていたい、エルトポが人を殺すたびに砂漠に増えていく死のインスタレーション、美しいと思ってしまうサディスティックな自分をどうしたらいい、劇場を出ていくべきなのか。残るなら血みどろのカオスを受け入れるしかない。席を立たなかった観客は、もうホドロフスキーのインモラルな信者だ。

前半はまだ序の口で、映画は後半にカオスとおぞましささを加速し、なぜ木戸銭払ってこんなに苦しめられるのかと怒りさえ覚える。劇場では実際に出て行く人も少なくなかった。しかし、一度この儀式を通過した者は知っているのだ。エンドマークまで参加していられたら、経験のない感情が湧いてくることを、高純度なカタルシス、祭祀ホドロフスキーからの贈り物。今見るとさすがに映像もレトロで、そろそろ古典の範疇になりつつあるが、80年代当時の「エル・トポ」には大したインパクトがあった。あてずっぽうだったにせよ、排他的なピンクのドアを開く、マジカルなアイコトバだったのだ。
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テラヤマが嫉妬するヘルシーじいさん

2014年、最新作「リアリティのダンス」の公開でホドロフスキーが来日したのはちょっとした事件だった。もう故人かと思っていた人が、85歳とは思えない壮健さで若い妻を連れ、意気揚々ギラギラと現れたからだ。そういえば、80年代に没したアーティスト寺山修司は、60年代の中米でしか許されないようなホドロフスキーの奔放な仕事に嫉妬していたそうだ。同年代の寺山が生きていたらこんなじいさんになったのだろうか? チキショー長生きしやがって、きっと天国だか地獄だかで地団駄を踏んでいるんだろう。芸術家には健康が大事と、飲酒も喫煙もせず、運動を欠かさず、若い妻を愛し、毎日詩を書くというホドじい。このヘルシーじいさんは、暴力とセックスと愛に溢れた新しい伝説をまだまだ世に送り出すつもりなのである。

 

(次回をお楽しみに。毎月20日更新目標です)
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連載バックナンバー

映画01 「まわり道」最後まで見るべき、死ぬほど退屈な映画(2014.9.22)
映画02 「ベルリン天使の詩」フィルムの上にしか存在しない街をさまよう時間(2014.10.20)

 


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。趣味は料理と映画と声楽。二児の母。