もう辞めてしまえと自暴自棄になりそうなとき、太宰治の本『女生徒』が目にとまる。
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心ない批判に沈んだ日には
言葉の栄養をとる
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ひとつの言葉で、息を吹きかえす。そういう場面があります。相手はたぶん何の気なしに発言しているのです。あなたがそのイベントのためにどれだけ準備したとか、どれだけの思いでやってきたか。そんな裏側などわからずに、偉い人は、軽く、おそらく自分の虫の居所が悪かったか、そのくらいの気持ちで「ふーん、なんかつまんない作品だね」と言ってしまったりする。人間をつぶすのは簡単です。たったひとことあれば良い。
もちろん個人の感想は自由です。つまらないと思うのもいい。誰にだって、好き嫌いはある。すべての努力を認めて欲しいなどとは、言いません。クールに「結果がすべて」というスタンスの人だっているでしょう。
たとえば、W杯。日本代表は、決勝トーナメントへ進めませんでした。でも、選手や監督の今までの道のりを想像せずに、「彼らの4年間は無駄だった」。そう軽々しく吐ける人にはなりたくありません。
似たようなことは、仕事の場面でたびたび起こります。あなたが積み上げて来た今までの道のりを、偉い人にたった一秒で全て否定されてしまうことがある。ほめられた言葉は、簡単に流れてしまうのに、否定された言葉は、いつも耳に残るものです。己に厳しい人たちほど、残る。否定された言葉を重く受け止めます。そして、その悔しさをどうにか無理矢理にでも糧にしようとする。お酒でもカラオケでもなく、ぼくはそういう場面で、言葉に救われてきました。幸福は一夜おくれて来るのだと。もう辞めてしまえと自暴自棄になりそうなとき、太宰治の本『女生徒』が目にとまる。幸福を待って待って、もう堪えられず家を飛び出してしまった次の日に、その家に幸福がやってきた。そんな話を太宰は書いています。
もう辞めてやるという気持ちが溶けていく。しだいに「あと一日だけがんばろう」に変わる。その一日一日のくり返しで、あなたはトンネルを抜けるのです。「幸福は一夜おくれて来る」太宰がひとり部屋で紡いだこの一言で、ぼくを含めて、何人が歯を食いしばれたかしれません。心ない言葉を浴びた日は、言葉のバリアでそれをはね飛ばすのです。「もう辞めてやる。ただし、それは今日ではない」
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(約845字)
Photo:Mo