【第170話】正しいポイ捨てのしかた / 深井次郎エッセイ

「この辺ならいいかな」

「この辺ならいいかな」

 

 

相手によって態度を変える人は
環境の奴隷になる

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ゴミをポイ捨てする若者を怒れません。実はぼくもしていたからです。田舎育ちだったので、アイスの棒なんかをポイッと捨てても、自然が吸収してくれるんです。川に流したり、森に投げれば消えてしまう。外にゴミ箱も置いてないし、母なる大地への甘えもあって、よくポイ捨てをしてしまう悪い子どもでした。

いつからしなくなったかなと思い返すと、大学生時代。(そんなにいい年までやってたのかと、いま我ながらショックを隠しきれません)当時よく遊んでくれたサーファーのお兄さんが、ぼくに「正しいポイ捨てのしかた」を教えてくれたことがきっかけです。

ある日、海でガリガリ君アイスを食べていた。まわりにゴミがたくさん落ちてるエリアだったので、ぼくは棒を砂浜に挿して捨てたのです。この時は、彼はなにも言わなかった。でも、場面が変わって、ゴミがまったく落ちてない道路で、ぼくは棒を捨てずにポケットに入れたのです。そしたら、それをみて、「捨てないの?」と聞くんです。「いや、きれいなところに捨てちゃまずいですよね」

普通に答えたところ、はじまった。「それはカッコ悪いね、ポイッといかないと」彼独自の「ポイ捨て論」が展開されたのです。まず、「お前は環境の奴隷である」と。ゴミがあふれてる場所には平気で捨てるくせに、きれいな場所には捨てる勇気もない。

環境によって、自分のスタンスを変える。自分がコロコロ変わってしまう。そういう人間は、自分よりも弱い立場の相手には横柄にでるくせに、強いものにはペコペコする、ダサい人間と同じだ。横柄にいくならいくでいい。それなら立場関係なく全員に対して横柄にいこうや。いけないのはポイ捨てすることじゃなくて、環境を見てコロコロ変わるその根性がダサいと。センスがないと。外でポイ捨てするなら、自分の部屋でもしろ、偉い人の部屋でもしろと。

もし、将来独立してやっていくなら、波のように浮き沈みが必ずあるからね。環境の奴隷たちは、沈んだとき、仕事がなくてカツカツになると、自分の価値までなくなったように感じてしまう。卑屈になって、人と会う時も気後れしてしまう。「自分なんかダメ人間だ」と小さくなってしまう。たまたま今仕事がないことと、自分の価値は本来関係ないよね。なのに、泥水の中にいると、自分の存在までもみすぼらしく感じてしまう。そういう人は、いちど泥に沈んだら最後、二度と上がって来れないんだ。いつだって誇り高くいなよ。何を着てても、どんな部屋に住んでても、どんな状況でも、自分の価値は変わらない。環境によって、態度を変えるな。そんな奴隷にはなるな。自分は自分であれ。

直感的に、ぼくにはそれがすごく腑に落ちたのです。強い人たちと一緒にいると、自分まで強くなったように勘違いして、特に若いうちは態度が大きくなってしまったりするものです。横柄なら横柄で、それは立派なこと。ただし、だれにでも、たとえ相手が権力者であろうと同じ、骨のある態度で接しなさい。それができないなら、だれにでも丁寧に接しなさい。

だれにでも横柄で貫くか、だれにでも丁寧に接するか。ぼくは偉い人にデカい態度でつかみかかれるほどロックではないので、後者を選びました。立場のあるなし関係なく、全員に平等にリスペクトを持って接するよう心がけるようになったのです。

最初それは苦行のように思いました。でも、次第にそのほうがむしろ楽に生きられることに気づいてきたのです。相手の立場の上下を考える手間がいりません。いつも同じモードでいいし、どんなにボロを着てようが気後れしないし、どんなに泥の中にいたって光を見失わない。外でも自分の部屋のようにきれいにする。いつも同じ態度でいいというのは、それは逆に楽なのです。

(約1520字)
Photo: Cincono-


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。