TOOLS 74 はみ出してこそ / 林 道子( Chiko House コンシェルジュ / プランナー )

本当はこの家に戻るべきか、すごく悩んだ。安定してしまうんじゃないか。守りに入り、新しいことに臆病になるんじゃないかと。脱サラして、今は社会的に何の看板もなくて、全く無名のただのおばさんになって思うことは、失うものなんて、何もないなという解放感だ。
TOOLS 74
はみ出してこそ
林 道子  ( Chiko House コンシェルジュ  /  プランナー )

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自由に生きるために
肩書きなしの自分になって、解放されて生きる

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なぜこの列に並び続けてるんだっけ?

2015年の末日に、20年勤めた会社を辞めて脱サラした。つまり、入社も退社も「自分で決める」のがポイントだ。自分の職能は、自分で生み出して、自分で定義していくことが大事かなって、ずっと思ってやってきたから。あくまでも、自己都合の退職だった。

ただ、退職する何年か前に、早朝、人で埋め尽くされた駅のホームで、次の電車を待つ列に、自分がいることの違和感が、だんだん膨らむ感覚があった。いつもの風景なのにね。

もちろん、見た目からしてサラリーマンやOLファッションではなかったからか、組織での異端児オーラが出ちゃっていたんだと思う。

『あー、私、はみだしてるなー』

分別のあるいい大人でありながら、諦めが悪くて、自分の社会人としての不器用さに呆れるばかりで、若い人のほうが、ずっとロジカルで、クレバーではないかと思う日々だった。

 

今日、何曜日? 仕事感覚を維持せねば

退職した日に、職場のみんなから頂いた花束。朝の光りに照らされて。

退職した日に、職場のみんなから頂いた花束。朝の光りに照らされて。

そんなわけで、やっと会社という組織から脱出して、2016年がはじまった。

まず、平日、自分が家にいる状態に不思議な感覚があって、仕事をしていない=会社にいかない自分に、どこか後ろめたい思いが、ふわふわと、胸に立ち上がってきた。そのこと自体に、自分で驚き、習慣とは恐ろしいものだと思った。

もちろん退職したばかりだったから、いろいろな手続きもあったり、年末に身内が怪我をして手伝いにいったりで、忙しく日々を送っていたけれど。

次に起こった現象。「曜日がわからなくなる」。以前から、フリーランスの友人のつぶやきに「そうか。世の中連休かー」ていうのがあって、これかー、その感覚はー。

そして、ハローワークの説明会に初めて参加した時に、担当者が言っていた。

「みなさん、習慣で今は早く起きれるでしょう。そのサイクルがだんだん遅くなりますよー。身体が覚えているうちに、仕事をさー見つけましょうー」

幸い私は、脱サラしても、ずっと朝は早い。しかし曜日感覚がなくなるのはさすがに、ヤバイと思った。

それから私は、会社員生活で身につけた習慣を活用することにした。要は、仕事感覚を失わず、自分の生活すべてを、自分でマネージできればいいのだ。

100円ショップで調達したホワイトボードに、「TO DO LIST」を前日か、当日朝に記載することを、マターとした。予定はスマホで管理しているが、いざ毎日が始まると、うっかり家のことをしてしまう。テレビもよっぽど、見たい番組以外は、消すことにした。

 

ひとつに絞り込めない、おばさんの夢

そして、自分を追い込むために、知り合いの中小企業診断士の方にアポを取る。それから拙い事業計画書なるものに取り掛かってみる。なんとできあがった計画書は、ビジュアルに溢れた「おばさんの夢の塊」だった。

診断士の知人は、爽やかに優しい微笑みをたたえながら言った。

「道子さん、身体は1つですよー」

まさに、絞り込みと数字が欠落している私の事業計画書であった。要は、なにがしたいのと聞かれるのが一番困る。表現者として生きていきたいだけですーといい年をして、ぶりっ子は通用しないのね。

しかし、絞り込めない事実を受け入れる。執筆して、作品作って、場所を提供して、料理してー。
それで、なにを生業にしていくの? うーん。今はどれも難しいーー。でも楽しい!!

今は、執筆、ライターの仕事を少しずつ始めていて、その合間に、Chiko House の運営をしていく感じ。ゆるいわーと我ながら思う。

まーだれの世話にもならず、かろうじて生きていきますよってね。

開業までの失業期間も、仕事感覚を維持するために、拙い計画書を抱えて、走り回るおばさんということである。

 

かぶき者って、カッコいい!

ある日のテレビ番組で、金沢の料理人の河田康雄さんという方が、こう言っていた。

「自分は、かぶき者だ。」

かぶき者って? と思い、ネットで調べてみた。

かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。

やっと、桜が花開くー

やっと、桜が花開くー

その料理人の生み出す料理の素晴らしいこと。伝統の続く金沢の地で、伝統を噛み砕いた上での、独創的な料理を生み出す、そのエネルギーに、 胸が躍った。自分がその地での異端児と自覚した上で、果敢に挑戦し、静かな情熱を傾ける姿。かっこいい! 最高だなーと。

そんな発想からこそ、新しい文化や感性が生まれるんじゃないかと思う。その他大勢でいることは、ある意味安心の世界だけど。そこから、いかに独創的な世界を見つけていくかに、人生の時間を費やせたらすばらしいなーと。その他大勢、つまり見えない大衆からの圧力と戦う覚悟は、必要だけどね。

たまたま、私の祖先が、金沢の台所武士だった。前田藩の包丁侍だったらしい。台所から発信する仕事が、私のDNAに継承されているとすれば、なんらかの形で、これからも、食に関わっていきたいと思っている。

そうだ! 私も今日から、かぶき者になろう。いやもう、なってる? なにも成し遂げていないけどね。

 

年下の学友たちも、父へ母へとなりにけり

しかし、それまで世代を気にせずつきあってきた若い学友逹にも、変化が起きた。つまり、知り合った当初10代だった彼らは20代に、20代は30代に、30代は40代になり、仕事にキャリアを積んだり、結婚し、子供ができたりしていった。

SNSのアイコンは、子供と一緒の知人が増え、私は、はたっと気がついた。人生は限られていて、自分が人生の後半に差しかかっていることを。世代とはそんなものかと。

新しい家族やパートナーと出会い、まさにこれからの若き学友たち。

私自身は、自分の年齢も若い友人達の年齢もあまり気に留めず、同じ目線で、今この瞬間を共有していることこそ、大切だった。

しかし、ある時、私は娘に言った。

「沢山の出会いがあるのに、いいパートナーが現れないのよー」

すると、娘はクールな眼差しで、答えるのだった。

「出会った時から、おばさんだから、安心していいよ。」

なるほど。おっしゃる通りだわ。最初から、おかあさん的扱いなのねと。ごもっとも。若い気でいたわ。ばかな私。

まさに、今、友人達は、新しい家族に出会い、家族を守り支えていく責任、あるいは仕事の中で生きようとしていた。結婚、出産、子育てと仕事の両立、次世代へ引き継ぐ暮らしのあり方など、興味の対象も変化していった。

しかし、私自身はシングルマザーとしての役目も終え、人生のステージが彼らとは全く違っていることをやっと自覚したのだ。そう。やっとなんですよ。

 

子育ても、会社員生活も経て独立
無名だからこそ何でもできる

ちょうど10年前に、ガンから復帰して、人生に限りがあることを無意識に受け入れたからか、世代の違いを意識する概念が、自分から喪失していて、「今しかない」という感覚だけで生きてきたように思う。

けれど最近、自分のこれからも、「まだ続くかもしれない」という、今までと違う視点が生まれてきた。駆け抜けてきた時間。多くの出会い。多くの体験を重ね合わせて、私は、これからの時間をどう過ごしていくだろう。

どこにいっても、ベテラン扱いされる年齢になった。しかし、私は何の肩書きもない、無名のただのおばさんである。

本当は、根無し草が好きだ。一箇所に留まりたくない。同じコミュニティに長くいるのも、私にとっては厳しい。会社員生活もよく続けてできたものだと、今さら思う。

要は、何物にも縛られない自由こそが、自分の大切な求めて止まない感覚なんだと思う。もちろん、そこには孤独が漏れなくついてくるかもしれないけれどね。

だから、本当はこの家に戻るべきか、すごく悩んだ。安定してしまうんじゃないか。守りに入り、新しいことに臆病になるんじゃないかと。

脱サラして、今は社会的に何の看板もなくて、全く無名のただのおばさんになって思うことは、失うものなんて、何もないなという解放感だ。

私には、失う地位も肩書きも、名誉も何もなくて、ただの無名のおばさんとして、

「これからなんでもできるじゃない? 」

って思っている。懲りずにね。

 

もう少し時間があるよ

ガン=死って思われがちだけど、死は平等で、生と背中合わせ。生まれたばかりの赤ちゃんでさえ、死にむかっている。だから、自分が特に死に近い、なんて考えたこともない。だからこそ、のんきに10年が過ぎたのかもしれない。

ただ、だれでも生きている以上、明日の保証なんてないわけだから。気の毒がられるのも、なんか違うなと感じるわけで。気づかいは、ありがたいけれどね。

しかし私は、この家に戻ってきた。新しい価値観を背中にしょってね。私は過去を否定はしない。過去があってこその今だから。ただ、いろいろな物に執着したくないだけ。人や物や場所にね。

いつでも、それらが変化したり、なくなったとしても、それを楽しめるようになりたいなと。どうしてそういった感覚になったのわからないけれど。

しかし、出会った多くの人たちから影響を受けた新しい価値観は、私を動かし、これからを生きるようにと、背中を押すのね。

「もう少し時間があるよ」

「マジですか? 」

黙っても1日は始まり、終わる。日々を重ねることこそ、人生だから。昨日も、明日もない。今している仕事、一緒にいる人、聴いている音楽、食べているもの、寝ている場所こそ、人生の全てなんだろうなーと。

だから、勝ち負けだけが人生じゃないし、人と張り合う必要もないし、好きに生きればいいしね。これからも、変人の訳ありおばさんとして生きていくと思うのね。たまに、恋しながらね。

頬にあたる風、芳しい香り、人々の話し声。曇った空。今日の私は、今、ここに生きている。
これ以上、何を望むというのかしら。なんてね。思うわけですよ。

 

春来たる。庭に白きシクラメン。

春来たる。庭に白きシクラメン。

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自由に生きる方法
1.  孤独を恐れないこと
2.  人と比較しないこと
3.  常識のかべをくぐり抜けること

 

 

 林道子さんが家をひらくことになった話  <全5話>

TOOLS 63  美しき娘たちよ、さようなら(2015.12.28)
TOOLS 65  若者の中におばさんひとり(2016.1.18)
TOOLS 69 セカンドなわたし(2016.2.15)
TOOLS 71  呼吸する家(2016.3.14)
TOOLS 74 はみ出してこそ(2016.4.18)

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ILLUST :vin ganapathy


林道子

林道子

(はやし みちこ)Chiko House コンシェルジュ / プランナー。多摩美大でグラフィックデザインを学び、新卒でキャラクター会社サンリオに入社、商品開発プランナーとして従事する。その後フリーランスを経て、シングルマザーとして2人の娘を育てながら、外資メーカーに勤務。商品開発、マーケティング、営業、管理部門などほぼ全ての部署を経験し、組織や仕事のあり方を学ぶ。2014年より、横浜の自宅一軒家を開放し、Chiko House(チコハウス)の主催運営をスタート。またChiko Labでは、アクセサリー製作を。Chiko Report「つくりびと」では、作り手の魅力的な言葉を拾うインタビュー活動をするなど、年齢、性別、常識などに縛られることなく自由に、ヒト、モノ、コト、バショに新しい価値を見出し、アイデアをカタチにしている。 ◇◇◇Chiko Lab◇◇◇https://www.facebook.com/Chiko-Lab-166910136727989/◇◇◇iichi◇◇◇ https://www.iichi.com/people/P3917805