【第253話】手でつかめない風景 / 深井次郎エッセイ

 

なぜ手書きデザインが増えている?

 

普段、手書きすること、ほとんどないなあ。たまにホワイトボードなんかに書くと、字の下手さ、漢字の忘れぐあいに、照れてしまいます。

自分のノートは手書きでメモしますが、それはあくまで自分用。汚くても気にしないし、あとで自分だけが読解できればいいので気楽です。

仕事でも日常でも、手書きを見せる場面が、ほとんどなくなりました。そうなってくると、手書きは「女性のすっぴん」のような価値を持つかもしれない。芸能人がすっぴん写真を公開、というニュースになるくらい珍しくなってしまうのかな。

大人になると、絵を描いてみせることもなくなります。クリエイティブ系の仕事の人は描き慣れてるので抵抗はないですが、そうでないビジネスマンは恥ずかしがってしまい、頼んでもなかなか絵を描いてくれません。すごく下手だと「画伯!」と呼ばれて、まわりは盛り上がる。仕事のできる完璧なキャラの上司が、下手なネズミなんかを描いてくれると、その人のパーソナルな部分を見た気がして親近感がわきます。

丁寧な暮らし系ライフスタイル雑誌やウェブマガジンでも、手書き文字デザインが増えています。ぬくもりや味があるし、デザインとしても目を引きます。それも硬筆コンテストのような上手な字ではなく、さらさら、もしくはたどたどしく書いた子どものような字だったりが多いです。

さまざまな文字フォントがあるにせよ、キーボードで打つデジタルな線はクールすぎる。手書きの場合、線の太さやゆれから、性格や心境なども読み取れます。手書きは親しい距離感のあらわれです。距離を縮めて寄り添うような力がありますね。うまい字もいいし、下手な字も味があっていい。

 

手でつかめなかった、あの風景

 

手書きに惹かれる、もうひとつの理由は、「もう二度とない瞬間」かもしれません。

このところ、寒さがやわらぎ、草木が色づいてくると旅に出たくなります。なんだか最近よく頭をよぎる場面があって、それは数年前にインドで観た車窓からの田園風景なんです。インドには約20日間滞在したのですが、一度だけ、長距離の寝台列車に乗りました。体調もすこぶる悪く、不安な中で電車に揺られながら眠る。気が張ってる緊張感から夜が白んできたと同時に目が覚め、まわりはインド人乗客たちのいびきと電車がゆっくり走る音だけで、静かでした。

トイレにいこうと、車両のつぎめに移動。外の空気を感じにいきました。13時間の長距離移動で、ようやく夜が明けた早朝。霧雨こもる朝もやの中で、見渡すかぎりの草原。田園にも見えたけど、ただの草原だったかもしれない。それがずっとはてしなく続いていました。初めて見た静かなインド。見とれていると、小さな家がポツポツと、村があり、2、3人が歩いている。そこは突然あわられた陸の孤島で、きっとよそ者は来ないだろう、そんな場所で朝早く起きて、水をくんだのか、頭に壷のようなものをのせて歩いている若い女性。小さな子どももいる。

あっと思った。

そしてまたもとの草原の風景に戻ってしまった。それでもみんなが起きだすまで、ずっと続くその霧がかかった草原を見つめていました。

この「あっ」という場面ばかり、最近よみがえります。静かな日常がありました。インドでは、もっともっと過激なものにたくさん触れたのに、こればかり思い出すのは、なぜなんだろうか。

あっと思ってもつかめない、一瞬で通り過ぎていってしまう。つかめなかったからこそ、脳裏に焼きついているのかもしれない。写真を撮るのも間に合わないくらいの一瞬で、何の変哲もないけど、それはそれは美しい風景でした。

美しい風景。いまこれを書いている日本でも一週間たらずで桜は散ってしまったけれど、散ってしまうからこそぼくらの印象に残る。高校野球や大学駅伝に惹かれるのも、選手に次がないからでしょう。

「もうこの瞬間は二度とない」

手書きに惹かれるのも、その揺れは二度と書けないからなのかもしれません。それを直感しているから、手書き文字がいとおしく感じるのです。

これから、人の心をつかむサービスは、「二度とない」がキーワードになります。同じものは二度つくれない、手づくりクラフト作家ものも人気があります。

 

よそ行きの顔は、同質化する

 

インドに限らずだけど、異国の地に降り立って何日かは、よくできたテーマパークみたいに思えてしまうことがあります。とくに観光地は、舞台装置や勧誘が多く、プレゼンテーションに溢れています。だからこそ、テーマパークのハリボテの裏を見たい。ゲスト扱いなしでかまわないので、暮らしている人々の日常に溶け込みたい。おもてなしとか、他人行儀はいらない。営業スマイルのない、時間はかかっても友人同士になれたらいいのに、といつも思います。

制服を着て、似たメイクをして、営業スマイルをして、みんな同じになってしまっては面白くありません。それはもうデジタルに任せてしまえばいい。人間らしさとは、「違うこと」です。

よく見せようとしてしまうのは、人間のさがですが、それをみんながやると同質化していきます。整形すると、みんな同じ流行りの顔になります。いくら美人が溢れても、ぼくはいやだな。

もうそろそろ、飾らないものをみたい。本音を聞きたい。今しかできないことをしたい。

デザインといえば、実体よりも底上げするのが今までの主流でした。いかにきれいに飾るか、高級に見せるか。いま、それがひと区切りして、実体以上になりすぎないようなデザインが受け入れられてきています。自分以上でも自分以下でもなく伝えたい。その流れでの、手書き表現なのでしょう。

下手なのではなく、味。不均等ではなく、ぬくもりなのです。

 

 

(2300字)
PHOTO: Alvaro Tapia


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。