面倒な映画帖 04 「青いパパイヤの香り」女子力極まれり、サイゴンの女達。 

面倒な映画帖

 蝶よ花よの愛されようだったのが、ホーチミンから来た美人がアオザイで歩いてきたとたん、彼の心がバビュン!パパイヤのジャングルにふっとんだんだそうだ。

<連載>
モトカワマリコの面倒な映画帖 とは

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。SFXもスペクタクルもなし、魔法使いも宇宙人も海賊もなし。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。



面倒な映画 04
青いパパイヤの香り
女子力極まれり、サイゴンの女達。


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50年代のサイゴンで育った少女ムイの物語。セット撮影とは思えない南国の伸びやかな自然描写が印象的。


ヤマトナデシコの敗北

和子ちゃんは175センチの長身に切れ長の目、カーリーヘアの帰国子女だ。ある日元気な彼女がメソメソしている、LAにおいてきたボーイフレンドに振られたらしい。歴代の彼女がアジア人というその人(なんだそれ!)に、熱烈に口説かれてお付き合いしたというのに。日本にいるとワンダーウーマンみたいな彼女も海の向こうではだいぶヤマトナデシコなのだ。

「くそお、アオザイめ~!あの子達、両手に収まりそうなくらい華奢でちっちゃくてカワイ~のっ!」最初は蝶よ花よの愛されようだったのが、ホーチミンから来た美人がアオザイ(民族衣装)で歩いてきたとたん、彼の心がバビュン!パパイヤのジャングルにふっとんだんだそうだ。ベトナム美人は、和子ちゃんが太平洋に捨てたアジアを逆手に圧勝してしまった。ドイモイのホーチミンからUCLAに留学してくる女性は見かけは華奢でも相当な強者に違いない。しかもインターナショナルな勝負がわかっていた。敵わない、参った、着物もってくるんだった、わざわざカーリーにした髪を呪っても遅かった。

その時はへぇ~と思っていた「ベトナム女は無敵説」を大納得したのが、数年後日本公開された「青いパパイヤの香り」だった。主演女優トラン・ヌー・イェン・ケー(後の監督夫人) は華のあるしっとりした美女。これはまずい、カラッとした和子ちゃんじゃ男前すぎて勝負にならんわ。憂いを含んだ大きな目でじっと見つめられたら、男性でなくてもクラクラっとしてしまいそうだ。

 

パリに再現したサイゴンの暮らし博物館 

ベトナム系フランス人監督トラン・アン・ユンは、12歳まで住んでいた50年代の故郷と母への郷愁をこめ、記憶の中にあるサイゴン(現ホーチミン)を映画に撮った。ベトナムでの制作をさぐったそうだが、戦後映画産業が確立しておらず、スタッフ確保が困難、専業の俳優もいない。ロケをしようにも戦禍や開発で雰囲気のある場所が見つからないなど、仕方なくフランスでセットを組んで撮影した。ロケじゃないのに、なんだろう?この自然な感じ。建物や動植物、南国の空気や光まで絵のように再現することなんて可能なんだろうか。監督の執念と、それに応えるフランスクルーの圧倒的な能力がひとつ映画の見どころでもある。この作品でトラン・アン・ユンは世界に認められ、その後ベトナムロケを敢行した社会派映画「シクロ」や本作の続編ともいえる「夏至」、最近では村上春樹作品の映画化「ノルウェイの森」を世に送り出すに至る。

アリの仕事に見入るムイの子供らしい感受性と聡明さがこの映画の魂。

アリの仕事に見入るムイの子供らしい感受性と聡明さがこの映画の魂。                                  画: モトカワマリコ

前半は田舎から都会へ来た少女ムイが大人になっていく物語。下働きとして雇われた少女は、台所の土間にしゃがみ(超低いイスがあるにはある)朝から晩まで額に汗して働く。それが哀れな話にならないのは、ムイがキラキラした目をして、よく気が付き、聡明だから。忙しい仕事の合間に些細な面白いこと、例えば台所で食べ物を運ぶアリの仕事を観察して楽しんだり、コオロギを飼ったり、トッケイヤモリと遊んだり。足るを知ることに長けた子で、与えられた環境に順応し、教えられたことを熱心にマスターしていく賢さが清々しい。教える方も楽しいのだろう、先輩の使用人も温かく、ムイに亡くなった娘の姿を重ねる女主人もやさしい。観客はムイについてまわり、ベトナムの伝統的な家具調度や、寝床の蚊帳の釣り具合、丁寧な手仕事、野菜料理のコツ、掃除の仕方、家のしきたりを学び、知識を深めているような気がしてくる。サイゴンの商家で暮らす人々の一連の生活を博物展示のように楽しめる一面もあるのだ。

 

後半はハイスペックな乙ゲー

それにしても映画の前半、男たち、3人の息子たちや夫はプラプラしているが、女たちはずっとずっと働き詰め。ムイたち使用人にかぎらず、家に寄りつかない夫に代わって家業の反物を商う女主人も座っていることがない。家の中はピカピカで、家事はもとより、敷地に作った家庭菜園でハーブ類を育てまでする。こういう丁寧で堅実な家庭生活がベースにあって、気のやさしい芯のある女心が醸成されていくのかもしれない。ここはしっかり働きを見せて、ムイがしっかり1人前に仕込まれた女性であることを印象づけておくべきだ。主家の家族の複雑な関係を思いやりながら、この子が見るもの、経験することが、ムイという女性を内側から形作る。後に、美しく育った大人のムイの内面にはこの子がいると感じることで、主人公の魅力に深みが加わる。時間を操る映画の力で、監督は見事にハイスペックな理想の女=監督の母の造形に成功した。

 

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大人のムイ(トラン・ヌー・イェン・ケー)は黒髪に切れ長の大きな目、クメールの仏像を思わせるエキゾなお顔立ち。止まっているとそうキレイでもないのだが、舐めるようなカメラは立ち働く姿を追い、はっとするほど美しい瞬間を重ねていく。立体的な彼女たちは、動いている方が美しい。さすがに着衣のままの入浴シーンはやりすぎだけれど、家族の不運なドラマが淡々と進む中、ムイばかりは輝きを増していき、こんな美人にしちゃって、どうするつもりなんだろうとじれていると、ついにフランス帰りの作曲家が見初めるに至る。どこかいいとこのお嬢さんの婚約者を振って奉公人を選ぶというのは、ムイだから特別なのか、ミュージシャンだからアリなのか。キスシーンさえないが、青年がムイに文字を教えるシーンはなかなかエロティック。「何にも知らないの」「全部ぼくが教えてあげよう。」ここから先は、急ぎ足の乙女ゲー。数十分で勝負を決め、パパイアを思わせる黄色いアオザイに身を包んだムイは母になり、映画が終わる。その後、多分ムイはお腹の子を連れて仏領インドシナからフランスへ渡り、監督のリアルにつながっていく。


現実のサイゴンの女たちは戦乱の中激動の人生を歩んでいただろう。世界がどう混乱しようと、高い塀の内側で青パパイヤを料理し、家族のために立ち働いていた女性たち。実をもぐたびにパパイヤは白い樹液を流し、庭のパパイヤの青い香りが毎日朝を告げる。そんなに昔ではない、50年ちょっと前、丁寧な暮らしの伝統があり、やさしくてたくましい女たちが生きていた、それを忘れないように描き残しただけでこの映画は貴重。ああ、私女じゃない、と落ちこんだ時の女子力チャージにかなりいいと思うんだけど。

 

 

(次回をお楽しみに。毎月20日更新目標です)
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連載バックナンバー

映画01 「まわり道」最後まで見るべき、死ぬほど退屈な映画(2014.9.22)
映画02 「ベルリン天使の詩」フィルムの上にしか存在しない街をさまよう時間(2014.10.20)
映画03 「エル・トポ」美と醜悪が危うくバランスする伝説のミッドナイトムービー(2014.11.20)

 


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。趣味は料理と映画と声楽。二児の母。