僕らの世代でようやくベスト10というのを何度か達成し、ベスト8入賞を極めて現実的な達成目標として公言できるようになった。その目標もそろそろ次の世代に引き継がれるべきなのだろう。世代交代がうまくできない限りベスト8はまた絵に描いた餅に戻ってしまう。
連載「スポールボーイズ」とは 【不定期更新】
「いつか何かで世界一になりたい」少年のころ、だれしも一度は夢見たことがあるのではないだろうか。むろん、今では照れて口には出せないが。「実は会社勤めをしながらでも日本代表になれるスポーツがあります」森川寛信さんは、スポールブール日本代表となり世界ベスト10を達成したことがある。週末だけの活動でも、やり方次第で日本代表になれるのだ。今回は、とうにボーイズとは呼べない年齢の男たちが、さまざまな動機で集まった。自身の誇りと、少年時代の夢と、日の丸を背負って世界を目指す。スポールブールとは世界最古の球技だが、日本では超マイナースポーツと言っていい。なにせ競技人口は全国でたったの20名ほど。「絶滅危惧種」として存続が危ぶまれている。そんな日本チームが世界で勝ちにいく。彼らが目指す舞台は9月下旬にクロアチアで開催される世界選手権。はたして世界ベスト8の壁を突破できるのか。世界一に憧れるすべての大人たちへ贈る、現在進行形スポーツドキュメント。
第3話 僕がクロアチアで感じた敗北
TEXT & PHOTO 森川寛信
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2015年 9月22日、香港、アジスアベバ(エチオピア)、ロンドンを経由して、成田を出発してから実に 40時間後に、 僕はクロアチアのリエカ国際空港に降り立った。預け荷物はない、ライアンエアーの機体からバッグ一つ担いでいの一番に 駈け出し、タクシーに飛び乗った。向かう先はもちろん、スポールブール世界選手権会場だ。
時刻は 12時 53分、13時 から始まるシングルの試合になんとか間に合った。電光掲示板の Japan の横には、Brazil が表示されていた。
シングルの日本代表は、2013年アルゼンチンのダブルスを共に戦った盟友だ。彼は 2011年のイタリア大会で、ブラジル を下して予選突破し、ベスト16に食い込んだ経験がある。彼にとってブラジルは相性のよい相手だったのかもしれない。立 ち上がりこそ投球が乱れリードを許したものの、30分経過したあたりで見事逆転に成功しそのままスコアを重ね、試合終 了のホイッスルを待たずに 13ー5 で今大会初勝利を飾った。思わず駆け寄って、堅い握手を交わした。
今大会の日本代表チームは4名。2名のベテラン選手と監督。最後の1名は、第2話で紹介した大木洵人。弓倉、 中島、渡辺の姿はない。そして、大木の胸に日の丸も、ない。今大会の大木の役割は、選手ではなくマネージャーだ。実は、第1話、第2話で取り上げた期待の新人たちは誰ひとりとして選手として世界選手権の舞台に立つことは叶わなか った。
正直に言うと、僕は戸惑っていた。
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6 月 14 日に行われた日本代表最終選考会に、僕は仕事の出張のため参加することができなかった。日本代表選考の結果は、香港滞在中に監督から届いた一本のメールで知ることになる。何度読み返してもそこには、僕がよく知っている 2名以外の名前はなかった。
もともと「日本代表を目指し切磋琢磨する期待の新人たちが、ついにはベテランの牙城を崩し、世界選手権の舞台に立 つ。その様子をドキュメンタリー風に追いかける」というストーリーを描いて始めたのが、この連載「スポールボーイズ!」だ。ベテラン 2名を含めて9名が正式エントリーした今回の選考で、もちろん取り上げた弓倉・中島・渡辺・大木の4名全員が必ず 選抜されるはずだという確信はなかったし、10年以上第一線でプレイするベテランの牙城を崩せることも希望的観測だっ たのかもしれない。
しかしそれでも、全員落選という結果は全くの予想外だった。あれから3ヶ月経ってなお、戸惑いと、落 胆と、ほんの僅かな怒りを整理できないまま、僕はクロアチア行きの長いフライトに乗り込んだ。
それでは、日本代表の夢破れし者たちの期待を一身に背負った2名が、はたしてクロアチアで無双の活躍ぶりを見せたのかというと、残念ながら答えは NO だ。
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ブラジルを 13ー5 で撃破したシングル日本代表選手は、強敵オーストラリアに敗れ、1勝1敗で予選突破を賭け決定戦 に挑んだ。同ブロックのモナコに敗れ、同じく1勝1敗となったオーストラリアとの再戦だ。日本からもオーストラリアからも、ク ロアチアまでは直行便がなく片道 10時間以上。お互いアウェイな環境ではあるが、本国から 20名近い大応援団を引き 連れたオーストラリアの声援の前に、勝利の女神が微笑むことはついになかった。
もう1名は、現時点でおそらくもっとも世界に近い技術レベルを誇る日本のエース。2013年のアルゼンチン大会では、表 彰台の常連であるモンテネグロの英雄を、コンビネで予選ながら延長戦の末に 24ー23 で破る大番狂わせを演じた。あれ から2年、夢と実力を蓄え、コンビネで悲願の初メダルを目指して臨んだ今大会だったが、彼はその実力を 1mm も発揮 できないまま舞台を降りることになる。
思えば、ツキもなかった。クロアチア到着と同時にロストバゲッジでボールや靴を含め全ての道具を失った。これまで世界中 を 500 フライト以上している僕の肌感覚的には、ロストバゲッジなんてせいぜい 200-300 回に一度の確率に過ぎない。 現地で新調したまっさらなボールと靴で臨んだ直前の調整では、審判から投球エラー(※)を指摘される。※投球時、 ボールが手から完全にリリースされる前に、フットラインを踏み越えているという失投
たしかに、通常の予選ではたった2名の審判が8コート 16名の試合を目視で判定するこの競技では、見過ごされることも多いグレーゾーンではあるが、この 失態に弁明の余地はない。彼がコンビネ以外に出場した、5分間走りながら 20m先にボールを投げ続けるプログレッシブでは、彼がボールを投げるたびに無常にも審判の旗が上がり続けた。これじゃまるでコントだ。
もちろん、そんなこちらの事情なんかおかまいなく、本命だったコンビネの試合はやってくる。奇遇にも2年前の番狂わせの 再来を予感させたモンテネグロとの再戦だったが、奇跡に二度目はない。なんとかオランダ、ロシアを下し、ブロック2位で 決勝トーナメントに駒を進めたものの、ベスト8を賭けた試合では奮闘むなしく強豪アルジェリアの前に敗れ去った。
こうし て、ベスト8、準決勝と試合が進むにつれ熱気を帯びる会場の片隅で、日本代表の舞台はそっと幕を閉じた。僕と同じように幼い娘を持つ彼にとって、アマチュアスポーツ選手として日々の練習時間を捻出することがいかに困難を孕んでいたかは想像に難くない。この大会に2年間の全てを賭けていたはずだ、どんなにか悔しかっただろう。僕も、悔しかった。
結局今大会も、終わってみれば全6種目 24箇所の表彰台のうち、16箇所にフランス・イタリア・スロベニア・クロアチアの 4強が居座った。ただ、2009年頃から躍進目覚ましい中国や南米諸国が表彰台に食い込んだり、今回大応援団を 引き連れたオーストラリアが久しぶりにメダルを手にしたのは見過ごせない変化だ。
また、表彰台争いまではいかなかったも のの、今回クロアチアで感じたひとつの大きな流れは、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロなど旧ユーゴスラビア 諸国を中心に選手層の若返りが起きつつあるという現実だ。2017年は、きっとさらに混戦をきわめるのだろう。
日本チームは、僕らの上の世代は一度も予選突破を果たすことができなかった。僕らの世代でようやく、予選突破、ベスト10というのを何度か達成し、ベスト8入賞を極めて現実的な達成目標として公言できるようになった。その目標もそろそ ろ次の世代に引き継がれるべきなのだろう。世代交代がうまくできない限り、ベスト8はまた絵に描いた餅に戻ってしまうんだろうな。そんな危機感だけが僕の頭の中を何度もよぎった。
5名体制で臨んだ 2013年のアルゼンチン大会と比べて、マネージャーとして大木が出場したとはいえ実質2名体制で 臨むことになったクロアチア。これは、スポールブール普及という観点から考えると、明らかな後退である。
こんな結末であれば、俺が出ていればよかったのかな。
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別に僕が 2013年から2年間精進して出場していたところで、ベスト8を達成できていたとは思えない、悔しいけれど。た だ、選手生活に区切りをつけて、この2年間普及活動の一端を担った僕が、遠路はるばるクロアチアで味わったのは敗北感に他ならない。迷いや期待を呑み込んで譲ったはずの椅子は、結局空席のままだった。 クロアチアで僕が感じたその敗北感が、実は大きな間違いだったことを知るのは、世界選手権が終わってから1ヶ月後のこ とだった。
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(次回はいよいよ最終回、お楽しみに!)
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連載バックナンバー
第0話 僕がスポールブールを辞めた理由(2015.3.1)
第1話 僕がクロアチアを目指す理由 <前編 / 弓倉、中島の場合>(2015.4.15)
第2話 僕がクロアチアを目指す理由 <後編 / 渡辺、大木の場合の場合>(2015.10.21)