面倒な映画帖22「狼の血族」海の男はスタイリッシュに芋を焼く

面倒な映画帖 境遇がどうであれ、よく考えて、自分の仕事を実践していくこと、その人ならではの仕事を構築していける人でありたいと思う。子どもの目にも、おじさんの道具は機能的で美しく、無駄がなかった。

< 連載 >
モトカワマリコの面倒な映画帖 とは 

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。


面倒な映画帖22「狼の血族」
海の男はスタイリッシュに芋を焼く

狼の血族 デジタルリマスター

アマゾンのジャケはこんなですが、映画は耽美映像の極みと特殊メイクのグロテスクが合体した妖しく美しい深い森のダークファンタジーという仕上がり。大人のための「赤ずきんちゃん」です。

生首になっても渋い芝居を忘れない

スティーブン・レイが好きだと気が付いたのはいつごろからだろう。どんでん返しの神様、映画監督ニール・ジョーダンのミューズで(男だけど)「クライングゲーム」「ことの終わり」などの名作だけでなく、初期のマニアックな作品までほぼ出演しているアイルランド系のバイプレーヤーだ。いつも運が悪くしょぼくれた影のような男を演じる。切ない表情で不運な男の悲哀を演じさせたら当代一。

なかでも80年代の作品「狼の血族」は秀逸。レイが演じるのは、人狼伝説のある村にやってきた行商人で、村の娘と結ばれて所帯を持つけれど、人狼になって妻と娘を襲い、首を切り落とされるという役。妻はミルクの入った樽に落ちた生首を見て「結婚の夜と同じ昔の優しい男の顔に戻った」と嘆く。80年代の映画だから、生首は作り物だけど、ミルクにぽっかり浮かんだ偽の首までもスティーブン・レイの芝居をしている。「俺ならもっとこんな表情でミルクに浮かぶよ」美術監督に注文したのかも、と思うくらい。時にやりすぎるほどの職人仕事にファンとしては苦笑いを禁じ得ない。主演も助演もいける、どんな役にでも果敢に化けるプロフェッショナルな俳優にはケビン・ベーコンやヴィレム・デフォー、ガブリエル・バーン、フィリップ・シーモア・ホフマン、ビリー・ボブ・ソーントンなどなど…映画史を飾る星は数々あれど、レイも負けていない。

5歳児の夢はお芋屋さんか船乗り

レイといいジェフリー・ラッシュ(パイレーツオブカビリアンのキャプテン・バルボッサ)といい、苦渋い顔が好きなのには、下地があるんじゃないか、先日ふと母の遺品を整理していて思った。ひとくくりの筆書きの年賀状を見つけたのだ。

そうそうこれはあの人からの便り。我が家には一時期毎夏に利尻島から大きな利尻昆布の箱が届いた。冬の間家の片隅を貸している焼き芋屋のおじさんからのお中元だ。70年代の初め北海道からやってきて一冬焼き芋の屋台をひいているおじさんがあった。いきさつはわからないが、母との間で取り決めがあって、夏の間屋台を預かるとか、燃料の薪を預かるというような約束だったらしい。

毎冬まるで杜氏かなにかのように「では奥さん、今年もよろしくお願いします。」とやってきて、商売を始める。おじさんの屋台はよく手入れされた鉄の窯が付いている、中の石はきれいに洗って油をまわしてあるので、火を入れるといい匂いがする。そこに大きなお芋をごろっと入れて遠赤外線でじっくり焼くのだ。おじさんのお芋が他の焼き芋よりおいしいかどうか、比べたことはなかったけれど、ケーキのような香ばしい、ほっくりした焼き芋の味は今でも思い出せる。家では一抱えもある大きな芋はなかなか蒸かしたり、焼いたりできないので、プロならではの味わいだった。薪も美しい、焼くと香りのいい質の木材を選び、長さを揃えて屋台の下の台にぴしっとならべて入れてある。大きなのこぎりと手斧できれいに切って装備していた。

調度いい位置に道具がかけられるように便利な工夫があって、窯の調子もいいのだろう、組合みたいなところに預けると、手入れがいいおじさんの屋台は、先に上京して来た人に取られてしまうのだそうだ。名前を書いておけるわけではないから、元の屋台をまた次のシーズンに使うには、オフシーズンの間どこかにキープしておかなくてはならなかったらしい。みんなが屋台を上手に加工したり手入れしたりできるわけではなかったのだろう。夏はオホーツクの海で漁船を扱い、漁をしているおじさんのノウハウからしたら、焼き芋屋台など改造するのはカンタンだったのかもしれない

寒い朝、早くからおじさんは窯に火を入れている。私はおじさんが準備をするのを見ていた。時々は、小さな木片を窯に入れていいお許しもらえるが、たいていは、火が燃えているのを見ているだけ。薪をくべながら待つ。「お芋はまだ焼かないの?」おじさんは返事をしない。お喋りな人じゃないし、どうせ「石が熱く焼けるまで芋は入れない」といつも同じ答えしかない。私も邪魔じゃないかどうか、探りを入れているだけで何か答えてほしいわけでもなかった。ただ弟子のような気持ちで、おじさんの後ろで燃える薪を励ましていた。

数時間がたち、窯が熱くなり、お芋の準備ができると、おじさんは車を引いて町へ出ていく。たまには小さなお芋をもらったり、母からお金をもらってお芋を買ったりもした。「やあきいもお、おいも、おいも、おいもお~」きっといろいろな売り声があるものだと思うが、おじさんのは「芋」の連呼で、「おいしいよ」とか「焼き立てだよ」というような宣伝文句はひとつもない、そっけないものだった。ただただ「焼いた芋を売っている」それだけを淡々と繰り返す。今思えば、硬派な海の男が芋を売る、そのぎりぎりのラインがそこだったのかもしれない。だから、他のお芋屋さんの「あまくておいしいお芋だよっ♪」というような呼び声を耳にすると、ちょっと恥ずかしいような気持ちになった。

スタイリッシュな男、滅多に笑わず、「おいも~」しか言わない。そして美しい機能的な改造屋台をひいて、焼き芋を売っている。おじさんの苦渋い雰囲気が、スクリーンで佇むスティーブン・レイのさみし気な表情の中に浮かび上がる。北海道より北にあるレイの故郷、港町ベルファストは利尻と似たような北の海の雰囲気があるのだろうか。

成功ってなんだろう。

おじさんは出稼ぎをしていたわけだし、季節労働で冬を凌ぎ、金銭的には苦労していたのかもしれない。仕事が終わる夕方、下宿へ帰る前に、パン屋の近くの一杯飲み屋で焼酎を飲んでいることもあった。そういう時に、おじさんに声をかけてはいけない、母にきつく言われていた。大人には事情があるんだから、お邪魔をしてはいけない、と。

惑星一つ分しかない土地なのだ、すでに人が多すぎて、大きな果実は早い者勝ちだ。多くの人はぱっとしない場所で生きなくてはいけないのだろう。でも、境遇がどうであれ、よく考えて、自分の仕事を実践していくこと、その人ならではの仕事を構築していける人でありたいと思う。子どもの目にも、おじさんの道具は機能的で美しく、無駄がなかった。おじさんの焼き芋道はプロフェッショナルな香りがした。

だから幼稚園で「大人になったらお芋屋さんか船乗りになる!」と言って先生に不思議がられても、海の男でお芋屋さんのおじさんは完璧に憧れの人だったのだ。自分の審美眼を持ち、きちんと筋を通してプライドをもって働くこと、そういう心映えは誰でも持てるものではない。(別の世界も知っている、荒ぶる北の海を!)大人になったら忘れてしまって、結局お芋屋さんにも船乗りにもならず、物書きになった。道は違うけれど、目指す到達点は同じ、唯一無二の焼き芋屋台のような、小さくても美しい仕事をしたいと日々思う。


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。現在は、ウェブサイト、月刊誌プレジデントウーマンでライターとして、文化放送で朝のニュース番組の構成作家としても活動。趣味は映画と声楽。二児の母。