【第211話】クリエイティブとは生き抜く力 – 法政大学で「理想のクラス」をつくった4年間について – / 深井次郎エッセイ

新潟へ映像制作合宿に行ったときのひとコマ。集合写真を撮ろうとして、リモコンをチェックしている

新潟へ映像制作合宿に行ったときのひとコマ。集合写真を撮ろうとして、リモコンをチェックしている

 

 

初めての教え子たちが卒業する
その輝かしい日に
ぼくはなにを思うのだろう

 

教え子たちが卒業する。世の中の担任の先生たちは、この感動を何度も経験しているのか。達成感とさびしさと。うらやましいな。先生というのは、魅力的な、面白くてしかたのない仕事だ。

20代半ばからいままでいろんな大学に呼ばれて講義や講演をしてきたことは何度もあります。けれど、それはすべて一回きりのもの。「自分の生徒たち」という意識をもつことはありませんでした。

今回、4年間を共に過ごしました。まだあどけなさ残る18歳の入学式から卒業式まで見届けた初めての学生たちです。

法政大学で新しく誕生したクリエイティブ選抜クラス「dクラス」。その第1期生たちが卒業しました。思えば、いろいろなことがありました。たくさんの涙と、笑顔と。ぶつかり合いも、歓喜も。とにかく泥んこになって、よく学んだと思う。その日々は、ぼく自身にとって宝物のような時間でした。この機会に少し、振り返ろう。これは自身の備忘録としても、書きしるしておきたい。  

卒業おめでとう! パーティーにて

卒業おめでとう! パーティーにて

 


ひょんなことからやってきたオファー
「大学を変えて」と言われても

 

2010年のある日、大学側から声をかけていただいて始まりました。

「わが法政大学を改革したい。新しい取り組みをしたい」

もともとぼくは個人的に既存の教育のあり方に問題意識を持っていて、それが高じて仲間たちと自分たちで大学(自由大学)を立ち上げていたくらいの人間です。教育にはひと言もふた言ももの申したいところがあります。

「新しい教育の形に、思う存分トライできるならば」

と、オファーを受けました。大きな期待も背負って、決して小さくはない予算も頑張って確保してもらいました。準備には一年ほどかけました。現場で関係者にヒアリングしたり、アイデアを出し合い、プランを立て、これだという方向が生まれた。法政大学だけではなく、いろんな大学をリサーチして回りました。

 


全国の大学の多くでみられた「死んでる教室」
望んでここにいる人が1人もいない?

 

これは大学業界全体の構造上の問題として、もちろん全部ではありませんが、「だれも幸せにならない授業」が、いたるところで見受けられました。

教授たちの興味は教えることより自らの研究。「本当は研究をしていたいのだけど…」と教えることにはモチベーションも特になく、手間をかけずに済ませたい。学生も欲しいものは単位だけ。つまらないと文句を言いながらも、単位のためにひとコマを死んだようにやり過ごす。教室にいる、だれひとり目が輝いていないのです。

「おーい、だれかー! 生きてるものはいないのかー?」

という状態です。これはぼくが学生の頃もあったし、今もそんな教室が日本全国にはたくさんある。

その点、自分たち仲間でつくっていた自由大学は本当に学びたい人と教えたい人が集まってくる場所で、人の熱気が違うのです。当時はその状況があたりまえになっていたから、各地の大学で「死んでる教室」を目の当たりにするたび、やっぱりなにかおかしいよと思わざるを得なかった。「才能の無駄遣い」がぼくは一番許せないのです。

理念に「自由」を掲げながらも学生に「有名企業に就職しなさい」としか伝えられない大学にも、偏りを感じています。もっと多様な人生があっていいのに。学生も学生で、ただ遊ぶだけ。思い切り遊びを極めるならいいけど、そんな覚悟もなくダラダラ恋愛だかテレビだかで過ごし、就活の時期になってから慌てて「人気ランキングを参考に企業を選ぶ」。そして卒業する時に、「もっと何かに打ち込んでおけば良かった」と後悔する。卒業したあとは、葬式に行くような顔して会社に行く。その悲劇をひとつでも減らしたいなと、そう思いました。働くって本当は楽しいことなのに…。

自分の適性とか興味など、そんな一朝一夕にわかるものではありません。何年も時間をかけて、自分と向き合って、仕事をしたり行動しないと見えて来ないのです。

 


dクラスとは
「自分だけの強み」と「つくる面白さ」
を体験する場

 

そんな問題意識のひとつの解答になるかもしれない。と立ち上がった新しいクラスが、「dクラス」。dは、dokutoku (独特)、different (違った)、diversity (多様性)のd。自分の強み、ユニークさを発見する場所という意味がこめられています。あと、D.I.Y.のdでもあるかな。dが小文字なのは、「これから大きくなろう」という伸びしろを示しています。もし「授業がつまらない」とか言ってるんだったら、自分でつくろう、というわけです。

人間の一番の喜びは何でしょう。「できないと思っていたことが、できるようになる」それ以上に楽しいことってありますか。その喜びを体験すると、人生も仕事も面白くなります。小さな話だと、お店で食べるような料理も、やりかたがわかれば自分でもつくれる。「え、こんな簡単にできるの?」わかったとき、料理は楽しいと思うし、誰に言われなくても進んでいろんな料理に挑戦したくなるものです。

これは規模が大きくても同じ。学校は通うもの? いやいや、つくるものだよと。会社は就職するもの? いやいや、つくるものだよと。自分に合うものがなければ、新しい職業だって、本当はつくってもいいのです。本は読むもの? 映画は観るもの? 授業は受けるもの? いや、自分でつくるものだよと。つくる側になったとたん、学びは深くそして加速するのです。

 


受けたい授業を自分たちでつくる
クリエイティブ志向の実践型クラス

 

受けたい授業を自分でつくる。つくった授業の面白さを学内に波及させ、参加者を増やしていくクラス。いや、「事業」といってもいい。やるのは企画からコンテンツづくり、運営、広報まで全部、学生がやります。授業をつくるのは事業をつくるのと同じ。学内で起業するみたいなものでした。「学生が自ら理想の学校をつくったらどうなるか」という試み。これ以上の学びの体験はないでしょう。

 


はたしてビジョンに共鳴してくれる
新一年生はいるのか

 

けれど不安要素もありました。一年生に響くのか、ということです。

「新一年生は受験から解放されたばかりで遊びたい盛り。そんな中に、将来をちゃんと考えようみたいな固いこと言っても無理がありますよ。楽して単位がとれるとかなら別ですが… 」

そうです。dクラスは、単位がもらえない。これはあえてそうしました。単位のために下心で集まる集団にはしたくなかったからです。純粋な好奇心。「好き」とか「やりたい」で溢れる空間にしたかった。

不安はありましたが、ぼくにはいける確信がありました。かつて自分自身も大学生だった頃があります。入学時、やっぱり思ったのです。

「適当なサークルで飲んで遊んでもしょうがない。もっと意味のあることに打ち込める4年間を過ごしたい」

かつてのぼくのような学生が、絶対にいるはずと思いました。かつての自分に向かって話すつもりで、入学直後のガイダンスで、学生に問いかけました。その大講堂はゆうに500人は入るでしょうか。学部長などの入学のお祝いと訓話のあとに、「dクラスのプロデューサー」と紹介され、ジーンズにTシャツのぼくが壇上に上がって語りかけました。

「遊ぶのもいいけど、それだけで終えるには4年間は長過ぎる。社会に出る前の大事な時間。何かに打ち込まないと、卒業するとき後悔するよ。いっしょにdクラスを立ち上げないか? 」

「この指とまれ宣言」は成功。周囲の予想に反して、それも選抜が必要なくらいたくさん集まってくれました。希望者とひとりひとり面談し、課題も何度か出して厳選、残念ながら、クラスに入れない学生も出ました。  

 


粒ぞろいのはずなのに
チームになるとかみ合わない不思議

 

「よし、このメンバーならdクラスを立ち上げられるだろう」

20人弱に厳選され、それぞれ光るものを持っている優秀な学生たちが集まりました。首席で入学してきたメンバーもいれば、「俺は一番に、とにかくビッグになりたい。最強の大学生になる」と宣言する愛すべき中二病メンバー(笑)もいました。

それはそれは、大変でした。予想以上に。ひとりひとりは、優秀な学生たちだけど、エゴがぶつかってかみ合わない。ひとりひとりの個の魅力はあるのに、だからこそというか、個性と我が強くてチームプレーをするにはまとまらないのです。 冷静に考えてみれば無理もありません。ついこの間まで高校生だった子たちです。18歳ってわりといい大人じゃない? と思うのに、とくに女子はよく泣いてました。もともと気の合う同士が集まっているわけでもない。学部も出身地もバラバラ、初めましてのメンバーです。自然には友達同士にならないような、多様性のあるキャラが集まったのでした。

新一年生だけで会社をつくるようなもの。いま思えば、彼らに求めたレベルは高かった。ところが最初は、「メールの送り方がわかりません…」という所から手とり足とりでした。そうか、そこから教えないといけないのか… と。送れるようになったら、今度はメーリングリストの投稿数が多くて追えません… とか。えー、1日に2、3通しかないでしょう。頼むよ読んでよ、と。 社会人なら常識的にできることが彼らにはできない。(そりゃそうですよね)その当たり前のことに、動き出してから気づいたわけです。

メンバー間の意欲の差もありました。選抜クラスに入れたことに満足してしまって、自発的に動こうとしない学生がいたり。「バイトがあるので… 」と大事な時期なのに抜けたり。それはしょうがないんだけど、モチベーションの上下が激しかった。やる気になってたと思ったら、翌週はつまらなそうな顔してたり。若者特有のメンタルの上下。これに一番苦戦しました。ああ、もうこのクラスは崩壊するかなと覚悟したこともありました。 それでも、ほめて、ひとりひとりと話して「好きな事はなにか」何をやってる時が楽しいのか、将来どんなことをしたいのか、個性を知る事から始まりました。

 

大変なことはたくさんあった
ぶつかりながら和をとる

 

対学生以外にも、対大学側ともありました。いつだって外から来た改革者は疎まれるもの。覚悟はしてましたが、やはりありました。新しい試みなので目立ってしまい、学内の教授や職員から賛否両論ありました。ぶつかることもありました。  

「dクラスは既存の授業を否定しているわけではありません。今までのを変えるんじゃなくて、拡張するんです。こういうアプローチもあっていいと思うんです。選択肢の1つとして!」

何度も議論の火花は散った。教育には正解がないので、それぞれの考え方があります。結果を見せると言っても、結果って何? 学生の満足度? 数字で表せない世界だけに難しい。  

よく話題に出たのは、大学は教育なのかビジネスなのか。これは私立大学全体にいえる話です。ビジネスの世界で当たり前に出る「費用対効果」という言葉。これが教育の現場でもよく聞かれます。

「教育における費用対効果ってなんですか?」

ぼくたちの取り組みを疎ましいと思う教授たちもいらっしゃったはずです。でも同じくらいの数だけ、「面白いね」と共感してくれる教授、職員たちもいた。 中から見れば見るほど、マンモス校特有の課題もたくさんあるけど、135年もこのシステムで続いてきているだけあって、仕組みとして理にかなっているところも発見し勉強になりました。

うれしかったのは、マンモス組織の中にも熱い志を抱いている人たちは存在すること。なんだかんだ、議論したけど、さすが「自由と進歩」が理念の法政大学。やわらかい頭の方が多くて、議論の末、「やりましょう!」となることが多かった。それに助けられた。dクラスの立ち上げは、法政大学だったからこそできたのだと思います。

 

教室を飛び出し、
いろんなところに行き
失敗もたくさんした

 

dクラス1期生たちは、震災の年に入学しました。入学式が1ヶ月遅れ、スケジュールがバタバタの中でのスタート。4年間を思い返すと、東北の被災地から離島まで日本各地にいきました。海、山、インド、バリ島などどこでも行った。車、バス、電車、船、飛行機いろいろ乗った。

将来の夢を語り合ったり、夜中までSkype会議したり。どうしてクラスが一つにまとまらないのか、飲み屋で議論したり。ここでも誰かしら泣いてたのを思い出します。でも、泣けるってすばらしいこと。本気でやれば涙も出るでしょう。その涙は、カッコ良かった。

学校は失敗するところです。仕事になったら失敗は許されないので、いまのうちたくさんしとかないと損。新しい授業をつくったけど、3人しか集まらなかったとか、悲惨な失敗もたくさんしましたね。

 

たくさんのプロフェッショナルが
dクラスに協力してくれた
求めよ、さらば与えられん

 

ゲスト教授としてdクラス授業に来てくださったのは、第一線で活躍しているプロフェッショナルの方々でした。経営者、映画監督、作家、アーティスト、起業家、クリエイター、編集者、職人などなど。贅沢にもさまざまな方々が学生の気持ちと、dクラスのビジョンに共感してくださいました。薄謝にも関わらず(大学には謝礼の上限があるのです… )、「謝礼なんていらないよ」という方もいたり、次の世代のために、粋な大人たちが膝を突き合わせて教えてくれました。

「自分に正直に。好きなことをやって生きるんだよ」
「つくる側は、楽じゃないけど楽しいよ」

つくる喜び。やってもらうより、やってあげる方が楽しいんです。ゲスト教授おひとりおひとりのメッセージが、学生たちに大きな影響を与えています。お世話になりました。

 

「学生がつくる理想の学校」
その取り組みは
大学のあり方を(少し)変えた

 

「学生が自主的に動くなんて、なかなかできることじゃないよ」
「革命的な実践だよね」

そう褒めてくれる方々もいらしゃいますが、ぼくは満足しきれていません。まだまだできたし、彼ら学生のポテンシャルを考えたら、「こんなもんじゃないだろう」と思うこともあるし、やり残したこともある。理想に終わりはありませんね。なんと欲深い人間か。でも、卒業式の晴れやかな彼らの顔をみると、「やれることはやったかな」という心地よい達成感はあります。よくやったね。

 

学生の活躍ぶり
4年間で立派になった

 

dクラスは、学内でもある程度の成功をおさめたし、関わっていただいた企業さんからの評価、他にもニュースにもなったり、法政大学の魅力を世間に伝える役割を担えたと思っています。そしてなにより、目を見張るのは、学生たちの成長。これにだけは自信をもっています。

 

dクラスの彼らがどんな進路をとったか
大切なのは「自分で決めること」

 

最後の一年は進路のこと。「そもそも就職だけが進路じゃないからね」という前提でゆっくりしたマイペースで就活は始まりました。ぼくからのアドバイスはシンプルで、

「自分の頭で考えて決めなさいよ」

ということ。人気ランキングとか、世間体とか、親の期待とか、そういうのではなく。dクラスを通して、なんとなく好きな方向性がわかってきていたから、そんなに焦ることもなかったようです。

「就活って楽しいですね。いろんな会社を見れて勉強になるし、面接なんて、わざわざ社長とか役員の方が時間を割いて自分の話を聞いてくれるんですよ。インタビュー受けてる感じで贅沢」

どうやら彼らにとって選考自体に合格することは、さほど難しくなかったようです。なにより難しかったのは「ここだ」と惚れることができる会社に出会うこと。これがみんな「難しかった!」と話していました。世の中の全ての会社を見ることができない以上、出会いには運も縁もあります。ぼくも彼らの相談には乗りましたが、あくまで参考。

「最後は自分で決めるんだよ。自分の人生だからね。ハンドルは自分で握ること」

彼らが来月から進む道は、それぞれクリエイティブ業界やメーカー、人材業界など。まずは、みんな会社員として社会に出ます。この進路にはそれぞれ納得しているようで、よかった。

dクラスは、常に「キミは何が好きなの? 」「何がやりたいの? 」と問われる環境です。時にそれは苦しい環境だけど、それが何か新しいことをつくり出す人の日常だから、慣れておく必要がありました。就活の面接も、いつもどおりに「私はこれが好き」と答えられたのではないでしょうか。 

 

ただの教え子とはちがう思い入れ
創業仲間のような同志の絆がある

 

やっぱり、彼らとは学生というより、創業仲間というのがしっくりくる。これはコーチングスタッフ、大学職員メンバーとも同じです。「クライアント」と「いち業者」の関係を超えた、創業仲間になれたと思っています。始めは法政大学の皆さんは、ぼくのフリーダムさに困惑してました。でも「それがいま大学に足りない発想ですから」と持ち上げ、ぼくを立て、自由にやらせていただきました。みんな「すべては学生たちの未来のために。面白い大学にしよう」そこだけはぶれなかったから、続けてこれました。コーチングスタッフ側も学生たちも、だれひとり欠けても、成立しえなかった。思えば、いろんな奇跡が重なったんだなと、感謝でいっぱいです。

学生たちも、ほぼ「社内起業」みたいなことを、社会人5年目とか10年目とがやるような高いレベルのことを背伸びしながらよくやりとげたと思います。

 

卒業式直後にパチリ。4年間通った校舎です

卒業式直後にパチリ。4年間通った校舎です

 

4年間、学生へ伝え続けた
たったひとつのこと
「なければつくろう」

 

最初から最後までずっと言ってきたことは、「なければつくれ」ということ。

学校だって、会社だって、つくっていいし、つくれるのです。それは、フェスだって、スポーツ大会だって、アートプロジェクトだって、音楽だって、映画だって、本だって、雑誌だって、WEBマガジンだって、服だって、旅だって、デザインだって、畑だって、新しい職業だって、国さえも。だれかがつくった既製品が合わなかったら、自分でつくればいい。

どうか、これからも他人のせいにだけはしないでほしい。だれかがリスク背負ってつくってくれた会社の中でぬくぬくしているのに、やれ上司がダメだ、景気がダメだ、政治がダメだと、全部他人のせいにして文句いってる大人。そうなってしまってはさびしい。

つくれるのにつくろうとしないのは、自分の責任です。自分の居場所は、自分でつくる。時代は急激に変わっているんだから、同じことをしていていいわけがない。ひと昔前の両親の世代では常識だったものが、もう今の自分たちには合わない。そういうことがあるのです。

すべては自分次第。dクラスを通して、「楽しい毎日は自分の手でつくるものだ」ということがわかりました。だれかの言われた通りに生きてたら、人生なんて面白いわけがありません。

「つくりかたの実践」を彼らはこの4年間やってきました。だれかがやってくれるだろうじゃなくて、自分がやるんだと。指をくわえて待ってるんじゃなくて、その指を天に一本立てるのです。

「この指とまれ! だれか一緒にやらない? 」

それでも、社会に出たらうまくいかないことだらけでしょう。何か新しいことを始める時は、当然です。前のパターンが使えなくなるから。 悔しくて眠れない日もあるでしょう。失敗続きで、自分の可能性を信じられなくなる時もくるでしょう。でも、そんなときこそクリエイティブに。笑顔で。やわらかく。クリエイティブとは、どうにもできないことをどうにかする力です。「どんな状況も、つくれるんだ」と、自分の力を思い出してください。大切なのは、楽しむこと。もし楽しめていないとしたら、何かを変えなさいというサインです。

クリエイティブは、生き抜く力そのものです。4年間を見てきて、「彼らなら大丈夫、どこでもやっていける」という自信があります。ぼくも自分の夢を生きて、ひきつづき精進します。

さあ、また新しいスタート。社会に出て、さらに成長していく彼らを見るのが楽しみです。ぼくにとって、またひとつ人生の楽しみが増えました。人の成長に寄り添う仕事って、これだからやめられないですよね。自分の未来だけでなく何人分もの未来を楽しみにできるから。dクラスをつくる機会をいただけて、本当によかった。

1期のみんな、全力で社会人やってください。最初から飛ばそう。
2期のみんな、進路決める大事な時期。たくさん考えて、たくさん動いて楽しんで。

みんな、それぞれの持ち場でがんばろう。ぼくもやるよ。 

(約8178字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。