【第053話】誰よりも助けるべき人

【インド旅篇】

どのようにして
無気力な人間に
なっていくのか

——

積極的に物乞いをしてくる人は、生きていける。「俺はそれが欲しい、それをくれ」と食らいついてくる。助けを求めるこの力があれば、応えてくれる人は必ずいるから食べていける。

だけど、街のすみずみまで見てみると、無気力の小さな子どももいる。泣いてもいないし、おとなしい。お行儀の良い、いい子だなと思うかもしれないが、目はうつろで絶望している。

母親はすぐ近くにいるが、赤ちゃんが泣いても放置。自分が生きるのに精一杯なのか、単に愛がないのか、赤ちゃんを無視している。こういう環境が生まれてから何ヶ月もつづくと、赤ちゃんは、泣かなくなるという。泣いても、叫んでも、自分には世界を動かすことはできないと諦めるからだ。やっても無駄だと思うと、体力を消耗するから泣くこともしなくなる。親が無関心を続けることで、無気力で絶望した子どもができていく。

こういう子たちは、大人になるまで生きていけないものも多いという。諦めているので自分から何かアクションすることはなく、求めることもなく、おとなしくうつろな目で呆然として毎日を過ごしている。

かまってもらっている

かまってもらっている

たとえ貧しい家に育っても、親にかまってもらった子どもは幸せである。生きていける。でも、無視されて育った子は、かわいそうだ。無気力で動けない。そういう声をあげず求めもしない人ほど、本当はまわりの助けが必要だと思う。

日本の子どもは豊かだから、そんなことないと思うかもしれない。けれど、豊かな家庭でも、無気力な子どもは生まれている。赤ちゃんの時期に無視されるというのは、その人の一生を決めてしまう。泣いてるうちは、その子は諦めていない。世界を動かそうと試している。世界とは親だ。まわりの人間だ。もし泣かなくなったら、それは「いい子になった」のではなく絶望しているのだ。

パパと一緒に仕事にいく

パパと一緒に仕事にいく

貧しさでは人は死なない。愛がないことで人は死ぬのだ。日本の社会も、気をつけなければならない。非正規社員の人たちが「声をあげても社会は何も変わらない」とテレビでコメントしているが、静かな若者は、良い子なのでもなく、お行儀がいいわけでもなく、ただ絶望しているだけかもしれない。

声をあげたら何かが動いた。こういう体験を小さい頃から多く積んだ子は、きっと何をしてでも強く生きていく。小さな声には、リアクションをしてあげるのが、大人の役目だ。

 

(約980字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。