【第179話】ノンフィクションが盛りにくい時代 / 深井次郎エッセイ

「昔はずいぶんとモテたもんです」「うそつけ」

武勇伝を盛るとfacebookで
旧友からつっこみが入ってしまう


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文筆家にとっては、めんどうな時代です。とはいえ、匿名での発言が信用されないのは当たり前です。どうしてもネット上で「本名、顔出し」で活動している人を信じます。会社対会社でやるような仕事もありますが、個人対個人の思いで成立するような仕事も多いです。その個人が立ってる仕事をするときに、相手がどんな人かというを今はネットで検索する時代です。名前を検索するとfacebookやブログがヒットします。そこで「本名、顔出し」で情報を発信しているか。これは見られます。

ぼくは初めてネットにアクセスした時から、ネット上で匿名の発言を一度もしたことがありません。すべての発言に「深井次郎」と署名しています。経歴も連絡先もさらけだしています。自分の発言に責任を持ちたいというのがその理由です。自分がそうだからと言って、他人にその基準を適用するのは酷ですが、時代はfacebookの例を出すまでもなく、本名顔出しの方へ向かっています。すごくいいことだと思います。

発言者の身分が明らかになれば、ウソが減ります。ウソの話をしていたら、まわりから突っ込まれます。ウソが多い人は、「この人はウソが多いから気をつけてね」という警告がネット上に残ります。

自分のブログで過去の武勇伝を語っている人がいます。「昔はおれも悪かったもんよ」と。昔話というのは、尾ひれがつくものです。すると、facebookで友人知人とつながってますから、「うそつけ、おまえ、皆勤賞だったじゃん」と突っ込まれます。ウソがすぐにバレてしまうのです。

ノンフィションと言えども多少、面白く分かりやすく盛っていくのが文筆家のスキル。ですが、facebook時代になって、盛るのがやりにくくなっているのではないでしょうか。旧友たちの目が、抑止力になるのです。ウソがつきにくくなり、誠実なほうへ時代が向かっています。

ちょっと昔はネットでの「本名、顔出し」が信用になってましたが、もうこれが普通になっています。ということは、その普通をしていないという人は「怪しい」ということになってきつつあります。隠してるなんて、過去に何かやましいことがあるんじゃないの、と見られる可能性があるということです。出していないことがマイナスになってしまう。

会社の傘の下で定年まで匿名で仕事をしていていく人は別です。しかし、会社の内外関係なく、個人で立って仕事をしていく人は、「本名、顔出し」にさすがにそろそろ慣れていくのがいいのではないでしょうか。なんとなく恥ずかしい、というのはわかりますけど。さらした方が世の中にとっても、個人にとっても良いことの方が多いのではないかと思っています。

 

(約1004字)
Photo: The Hamster Factor


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。