【第017話】資格は自分で出すものだ

「わたしは布屋です」「ぼくはブックライターです」

【インド旅篇】


「あなたは何をやってる人ですか?」
 セルフイメージの話

バラナシでは、ほどんど外国人に会わなかった。きっとガンジス川が氾濫したのを知って、みんなこの地域は避けたのだろう。ぼくらのような「情報弱者」以外は…。白人も日本人も数人すれ違ったくらいだった。

 

それにしても旅がしやすい時代になった。かつて世界一周は特別なものだった。ほんの数十年前まで、一握りの人しかできないものだった。いまはまわりに多くいる。どのくらいの割合なんだろう。小学校だったらクラスに1人はいるくらいの割合なんだろうか。宇宙旅行も、そのうちそんな感じになるのかな。

 

旅をしてると必ず聞かれる質問がある。「きみの職業はなに?」というものだ。今回一緒に旅をした他の3人のメンバーは、それぞれWEBマガジンやフリーペーパー、映像制作をしていたり、そういう若手クリエイターたちなんだけど、年齢的にはまだ大学3年生。インド人からの「何やってる人?」という質問に「スチューデント」と答えていた。そこでぼくが言ったのは「学生って答えをやめてみたら?」ということだ。フリーペーパーの編集長をしてるんだから、チーフエディターだよね、と。

 

「学生」とか「会社員」という肩書きは、「自分は何をしている人か」と自らに問うことを避けてしまう。なんとなく相手に通じてしまうからだ。学生ではなく、「エディター」と答えた時に、「エディターってどんな仕事?」「編集者って何する人?」という話になる。そこで自分の役割について改めて考える機会が生まれる。相手の接し方も大人相手のそれになる。相手の対応が変われば、こちらもそれに応じて振る舞いが編集者っぽく変わってくる。そういう小さな積み重ねで自分ができていく。

 

セルフイメージの話。自分を何者として考えているかってことなんだけど、まわりの20代で何かしら面白いことやってる人って、学生時代からすでに「その職業」だった。それで稼いでるとかは関係ない。学生のときからデザイナーですとか、政治家ですとか、映画監督ですとか言ってる。彼らは学生というセルフイメージではない。「学割ききますよ」と映画館で言われてはじめて「あ、そういえば、おれ学生だった」と気づくくらい忘れてたりする。

 

ある若い写真家は、学生でもあるんだけど、宿泊するホテルのフロントで書く「職業」の欄ありますよね。そこに「写真家」と書いていた。彼はまだ一枚も写真が売れたことがないので、「まだプロではないでしょう」と先輩に茶化されて、「写真家」の後に「の卵」と落書きされてしまった。「職業=写真家の卵」みんなで笑ってたんだけど、彼は負けじとさらに「天才」をつけたした。結果、職業の欄は、「天才写真家の卵」。すごいのかなんなのかわからないけど。ホテルのフロンマンはきょとんとした顔をしていましたが、彼はきっとやるだろうね。

 

馬鹿みたいな話をしてます。けれど、けっこうこれが大事な話で、これからの時代、ますます仕事も多様化していって、今までにない職業や肩書きが増えていきます。アプリクリエイターとかブックコーディネーターとか、城メグリストとか、ユーチューバー(YOUTUBEで活躍する人)とか10年前は存在しなかった職業です。

 

よく「自分にはその資格がないんじゃないか」という人がいますけど、古くからある弁護士や医者には国家資格が必要ですが、新しい職業やクリエイティブ職には資格がありませんからね。資格は自分で出すしかないんです。

 

明治時代に、中村直吉って旅人がいまして、彼は日本で初めて「世界一周貧乏旅」をした人じゃないかと言われています。政府から派遣されたとかじゃなくて、無銭のヒッチハイク旅というからすごい。彼はもともと名古屋で帽子屋を営んでましたが、36歳のときに新婚の妻を日本に残して旅立ち、6年かけて60カ国を回りました。明治時代ですから、当然ガイドブックもない。しかも、パスポートすらないんです。

「お前は何者だ、入国の許可は取ってるのか?」

初めて見る日本人に驚き、警戒される。「政府の許可がないと入国できない」と止められてしまう。とはいえ、日本政府に頼んだところでパスポートなどない時代ですので発行されるわけがない。どうしたかといえば単純で、自分でパスポートをつくってしまった。なんかそれっぽいカードを。彼は自分で自分に、許可をした。資格を与えたんです。その自作パスポートを堂々と提示し、胸をはって彼は世界を旅した。幾多の国境で、検閲を越えて行ったのです。

 

資格は人から与えられるものじゃない。自分で与えるものなんですね。もしあなたが先生になりたいんだったら、いますぐ教えはじめればいい。資格がとれるまで待ってないで、いますぐ私塾でも開けばいい。

 

この中村直吉は、旅人としては天才的にすごいんだけど、世界一周から帰ってきて、名古屋で市議会議員に立候補した。そしたら、5票しか集まらなかった。5票って、たぶん家族、身内くらいしか入れてないよね。旅の天才も政治はてんでダメだった。人には向き不向きがあるんだなぁと思わされる。そして最期は、かき氷を食べて心臓発作で死亡。世界中で数々のゲテモノを食べてきただろうに、かき氷でダウンとは、面白い。カッコいい男だ。(約2037文字)

 

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。