すべて上手くいかなくなって初めて「私は何がしたいんだろう?」と考え直さざるをえなくなりました。仕事を辞め毎日ぼーっとしながら、考えて考えて考え過ぎて疲れきった頃に少し肩の力が抜けて、「そうだ、私は食べることもごはんを作ることも好きだった」
食の聖地で出会った美しい骨たち
オガワユキ ( 調理アシスタント/エッセイスト )
.
自由に生きるために
他人の目線も大切にした上で、自分の目線を信じてみよう
.
学生時代には写真を学び、卒業後しばらくは印刷屋さんで働きながら更に勉強を重ね、その後、広告撮影スタジオのスタジオマン(スタジオ内の何でも屋さんのような立場)として働いてきました。
(このまま写真に関わるお仕事を続けていくだろう)
そう思っていた私が、約2年前からあるきっかけで築地市場のお店で調理アシスタントとして働くようになりました。
あなたは、築地市場に入ったことがあるでしょうか? 築地がどういうところかは映画「築地ワンダーランド」の予告編で、なんとなくイメージができるかと思います。
今回、私が今どうして畑違いの築地にやってきてしまったのか。そして「食の聖地、築地の人々から学んだ、自信のつくりかた」について書いてみようと思います。
20代「人に批判をされることに恐れがあった」私の、生きづらさについて
小さな頃から、比較的自分の考え方を持っていて、人に合わせることは苦手だったように思います。
マイペースで面倒くさがり。
けれど、人の輪の外へ出るのはイヤ。
集団の中で上手く生活するためには、できるだけ目立たず黙っている方がいい、と考えるようになっていきました。自分の意見を言うことで、他の誰かが傷つくのではないかという気持ちもあり、主張をすること自体が次第に怖くなってしまっていました。
そのうち思春期になり友人と好きな俳優さんやテレビ番組などの話になっても、友人たちと同じように “情熱的になる” ということができません。
「好きだけど、そこまで好きじゃない… 」
人に語れるほどの価値観を持っておらず、「何が好き?」と言われても、人に自信を持って伝えられるほど深く追求したものは何ひとつなかったのです。
自分が好きなものを他の誰かに否定されたくない、という気持ちから、批判されても何とも思わないように、少し冷めた人間になっていきました。
社会人になってからも、 “批判恐怖症” は、いつもついて回っていました。
スタジオで働いている時にも当然それはつきまとい、写真家の誰が好きで、どうなりたいか、将来の夢を語る先輩たちと同じような情熱を持ってはいないと気が付き、好きだと思って続けてきた写真のことも、「本当に好きなのだろうか?」 と、次第に疑うように。
自信がなく、他人に批判をされると、それ以上追求ができない。
かといって自分も周りの意見に同調できない。いま自分がいる環境の中で周りに同じような発想の人がいないと、指針を失ってしまうほどに弱かったのです。
自分が信じていたものも、他人が見ればそんな風に見えてしまうのかと、“他人の目線” を気にしては落ち込んでいきました。
自分自身が本当は何に興味があって、何がしたくて、実際に何ができる人間なのか。少しずつわからなくなっていったのです。
仕事やプライベートがすべて上手くいかなくなった時に初めて
「私は、何がしたいんだろう?」
“人に何を言われても自信を持っていられることはなんだろう?” と、改めて真剣に考え直したのでした。
仕事を辞め、毎日ぼーっとしながら、考えて考えて考えて… 考え過ぎて疲れきった頃に少し肩の力が抜けて、私は「食べること」も「ごはんを作ること」も好きだったと思い立ちました。
(今までチャレンジしてこなかったけれど、飲食店の調理場で仕事をしてみようかな)
そう決心して行動に移したとき、ご縁があって出会えた場所が「食の聖地」、築地でした。
.
築地で出会ったのは「狭く深く」探求する
その道一筋の専門家たちでした
私が働く魚料理屋の親方(60代・築地愛にあふれた素敵な笑顔の持主)は、もともと市場で仲卸業をしていたので、魚についてとにかく詳しい人です。笑顔が素敵で、魚の話をしているときの親方は、さらにとびきり素敵な顔になります。魚が心から好きなんだ、というのが伝わってきます。
親方は昨年お店を引退してしまいましたが、そんな親方と一緒に仕入れに行って10年以上の師匠(40代・料理長、照れ屋だけど話すと面白い)も、私からすればとにかく詳しい人です。
もちろん、他にも市場の中には、たくさんの専門家たちがいます。取り扱っている魚の種類は480種もありますし、仲卸だけでも630店、市場には細かく分けられた担当の専門家たちが働いているのです。
鮪(マグロ)の中でも、メバチマグロが専門の人もいれば、インドマグロが専門の人も。鮮魚の中でも、いわゆる大衆魚を得意とする人もいれば、牡蠣などの貝類を専門としている人もいます。そうした人たちが集まって、ひとつの「マグロ屋」や「鮮魚店」「貝屋」となり、それらが集合しているのが築地市場です。
毎日、自分の担当している魚たちと向き合っている専門家が知っている知識は、私のようなひよっこの人間からすれば、話をする度に「へぇー、そんなことがあるんだ!!」 と。
築地市場で見る “それぞれの専門家たち” の堂々とした姿は、私にとって衝撃とも言えるものでした。薄っぺらな知識を知った気になっているだけの、私のようなひよっこには、何ひとつ敵うものはありません。初めて誰かを尊敬し、相手を認めるということの意味がわかった気がします。
“ただ仕事をこなす” のではなく “情熱的に取り組む” という自信と力強さは、言葉では言い表しがたい「人としての輝き」を放っていました。
“批判恐怖症” を招いていたのは、自分自身が抱えていた たくさんの “否定的目線”
他人からの批判を恐れていた20代の私。
専門家になることはどこかで
「 大勢の興味から外れること=批判される対象 になるのではないか? 」
と恐れていたのかもしれません。
狭く深く専門性をつき詰める生き方が、他人との距離を生むような気がして怖かったのです。
思えば、批判されるのが恐いと思っていた私自身が、他人との違いを感じとっては
(この人たちは私とは違うんだなぁ)
と、勝手に溝を作っていたのかもしれません。
好きなものを熱く語る人に出会うと “自分にはそこまでのものはない” と諦めてしまう。本当は自分が他者の中に否定的な目線を持っているので、他人の目線の中に同じようなものを感じて怖くなる。怖いのは自分や他人を認められない “自分自身” だったのです。
専門家になり他人とは違う道を歩む、ということは自分自身に自信と責任を持たなくてはいけません。
“他人の目線” にとらわれていた人間にとって “自分が思う一歩をふみ出す” のはとても勇気のいることです。
(本当にこの道が自分にとってベストな選択なのか?)
どうしても信じられず、迷ってばかり。「その道一筋の専門家」を目指すことで遮られてしまう “その他の道” への未練を加速させました。自分がその道を目指すということに、とにかく自信と責任が持てなかったせいでしょうし、何でもネットを見て知った気になり、専門家の立場を甘く考えていたのかもしれません。
築地のプロフェッショナルたちと出会ってからというもの、思えば私の「批判恐怖症」は影を潜めてくれるようになりました。
築地の専門家たちを素直に尊敬し認められるようになったことで、他人の目線が気にならなくなったのです。
.
.
.
荒波にもまれた天然モノだけに宿る “丸い骨”
「自分にはこれができる」
そう自信を持って言えるようになるまでに、あとどのくらいかかるでしょう。もちろん、すでに自信を持てている方もたくさんいらっしゃるでしょうね。
天然の真鯛の中には、荒波を泳ぐことにより骨の中に丸い “タコ” を形成させるものがいます。私の師匠はそれを “泳ぎダコ” と呼んでいますが、地域によってはそれを “鳴門骨” と呼ぶようですね。
流れの激しい海域を泳ぐことで、骨の一部が丸く成長するようです。
ある日の夕方、鯛をおろしていた師匠が突然
「こんなの見たことある?」
と言って、この骨を見せてくれました。生簀で成長した養殖の真鯛には見られない特徴だそうです。
天然と養殖では、ヒレの形や顔つきも、見る人が見ればすぐにわかるほど違いがあります。
天然は、顔つきは険しく、ヒレも大きく荒々しい。
養殖は、優しい穏やかな顔つきで、ヒレも丸く美しい。
生き方次第で、同じ鯛でもこれほど違いが現れるのです。
築地に来るまで、師匠の下で働くまで、そんなことは知りませんでした。私にはこの丸い骨が、荒波を越えてきた「自信の結晶」のように思えて仕方がないのです。
「この骨、もらっていいですか?」
と言ったら、師匠は優しく笑っていました。
今まで生きてきて、ほろ苦さもたくさん経験しましたが、それを活かしながら日々の荒波を泳ぐことで、私の中にもそんな丸い骨を成長させていければと願う毎日です。
.
.
築地で学んだ 自信のつくりかた
1. 尊敬できる相手がいる場所にいこう
2. 他人の目線も大事、でも自分の目線も大事
3. 荒波を越えてきた自信は、心と態度ににじみ出る
.
<築地を知るためのおすすめ本>
築地で生まれ育った長年の経験を元に書かれた「築地魚の達人 魚河岸三代目(集英社文庫)」が面白いです。市場の中の話や、スーパーで買い物をする時の魚の目利き方法なども書かれていますよ。人情豊かな築地という場所や、魚に興味を持って下さる方が増えますように。少し仕事に疲れたら、一息ついて美味しいお料理を召し上がって下さいね。
トップとプロフィール写真撮影:Mika Hirose