TOOLS 73 “東京疲れ” を無視していたら私が壊れた/上野 真由香 ( ライター )

上野真由香編集者としての会社員生活を辞め、フリーランスで活動を始めた矢先のことです。私はとにかく働くことでしか自分の存在価値を見出だせなくなっていたので、許容量以上の仕事を受けていました。「なんでこんなになるまで放っておいたの!」ハッとしました。
TOOLS 73
“東京疲れ” を無視していたら私が壊れた
上野 真由香  ( ライター )

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自由に生きるために
当たり前になりすぎて実は無理していること、を見直そう

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東京暮らしで感じてきたこと

現在2016年、春が訪れ自然も人もなんかザワザワしている空気感の中、私は東京で生活しています。

突然ですが、今の東京、いや、もうずっと漠然と感じてはいるんですが…… 閉塞感ありませんか? いま東京に暮らしている人には共感してもらえるでしょうか。いろいろな仕組みによって現実を受け止めさせないよう気をそらされて、よくわかんないけど走り続けないと生きていけない、みたいな。

はじめまして。私は、上野真由香といいます。何者か、と言いますと、職業は主にライターとして雑誌に記事を書いたり、編集者として雑誌づくりに関わっています。

そして、東京で生まれ、ずっと東京に暮らし続け、今年で34年目です。幼稚園に通っていた頃から毎日満員の井の頭線に乗り、小学生の頃は塾に通うためほぼ毎日3本の電車を乗り継ぎながら、自転車に乗るよりも電車のスムーズな乗り継ぎに自信がある子どもでした。それが私にとって当たり前の生活だったので、東京という場所がいかに異常なのか、今思えば潜在的に薄々気づいていながらも、気づいたところでこの生活環境を変えられるわけじゃないし、と気づかないフリをしていたのかもしれません。

でも、日を追うごとに、ときにはゆっくり飼い殺されていくように、ときには異常さが加速して東京という大きな敵軍に撃ち抜かれるように、東京で暮らすことが辛いと感じる瞬間が増えてきました。

満員電車、
見知らぬ人と当たり前にぶつかること、
公共の場所で譲り合えないこと、
歩きながらタバコを吸う人がたくさんいること、
眉間にシワを寄せたまま歩いている人もたくさんいること、
ロボットと会話をしてるかのような接客を受けること、
普通に生活していても犯罪に巻き込まれそうになること、
震災によって浮き彫りになったこと……

もちろん、楽しいことや好きな場所、大切な仲間とのコミュニティ、無限の可能性が拡がっていくような高揚感を感じられるツールやチャンスが東京にはあふれています。

そんな東京で味わってきたキラキラした瞬間たちは、形には残っていないけど私にとってかけがえのない、誰にも譲れない財産です。もしこの財産を失ってしまったら私が私でなくなってしまうくらい、私を形作る “形なきもの” です。

 

自分が壊れたとき、“東京暮らし” にも原因があると気づいた

東京での閉塞感とキラキラした瞬間は私にとって当たり前すぎる日常で、仕事に没頭すればするほどその閉塞感とキラキラのセットを “より色濃く感じること” = “生きること” なんだと勘違いし始めていた頃。折しも2011年の春直前、東日本大震災と同時期でした。

編集者としての会社員生活を辞め、フリーランスで活動を始めた矢先のことです。私はとにかく働くことでしか自分の存在価値を見出だせなくなっていたので、許容量以上の仕事を受けていました。そして、その時に関わっていた人間関係の辛さが体と心を痛めつけ、ある1つの仕事で大きなミスをしてしまいました。

とにかく自分を責め続けたある日、腕と首前側、頭皮全体に湿疹が出始めました。ストレスで湿疹が出るというのはよく聞く話だったので、とりあえず皮膚科でもらった軟膏を塗っていたのですが、一向に収まりません。むしろどんどん酷くなり、腕下は包帯をしないといられないほどただれていきます。軟膏がきれかけたので、ちょっと別の皮膚科でもう一度診察してもらおうと行った先の女医さんに、私は酷く怒られました。

「なんでこんなになるまで放っておいたの!」

ハッとしました。

だってこうなったのはストレスが原因だってわかってるし、軟膏塗って治すしかないでしょ? 早く治したいからとにかく薬出してよ、と、自分の内側の問題を外側からササッと解決しようとしていたことに気づいたんですね。

今思うと何とも ”東京的” な考えです。自分の心の声を無視して、なんとなく心が満たされたような気になるツールが東京には溢れています。そんな東京的な考えで自分の体と心の声を無視して、いつも “自分はどうしたいか” ではなく ”他人に認められる自分” を演じようとしていました。自分の答えを外側にばかり求め、本当の答えは自分しか持っていないのに、自分しか気づけないことなのに、その答えを出すことを他人の価値観に合わせたり物に頼ったり、外側から満たすことしか考えていませんでした。

その場で血液検査をし、やはりこれはただの湿疹じゃないから今すぐ大学病院に行きなさいと、その女医さんは私に紹介状を渡してくれました。そして再度大学病院での検査の結果、「全身性エリテマトーデス」という膠原病の一種であると診断されました。

この病気は自分で自分の細胞を敵だと思って攻撃してしまうことにより発症するもので、自分を責め続けていた私にとってすごく納得のいくものでした。病気については今回割愛させて頂きますが、このことにより私は ”東京暮らし” を見直し始めます。今まではそれが当たり前だと開き直っていた生活習慣自体にも、自分が壊れてしまった原因があると気づいていたからです。

 

無理していたこと、嫌なことを1つずつやめていく

ただれた腕、首、頭皮を掻きながら、私は未だ自分を責めていました。

世間は震災で混乱し、それぞれに自分のできるボランティア活動をしている人がたくさんいるのに、私はこんな体と心でとてもじゃないけど現地に行きたくても行けない。非力な自分を様々な角度から責める要素がたくさん溢れてくるような時期でした。毎日感情の荒波を乗りこなせず、溺れてずっと息ができないような感覚。

ある時私はそもそも波に乗ることをやめようと思いました。無理をするから感情の波が荒れる。嫌なのに我慢しちゃうから荒れる。だったら少しでも波をつくらない生活にしよう。

他人軸と東京の忙しなさに振り回されていた私は、何かをやめたり捨てることで居場所がなくなるんじゃないかという不安がありました。でも、体が悲鳴をあげて病気になった以上、他人にどう思われようが何を失おうが、まずは「NO」を明確にすることで自分を立て直すことにしました。

仕事においてはとにかく長時間働き過ぎない、あまりにもストレスフルな人間関係や理不尽過ぎる事象が多い環境からは潔く離れる、この2つを心に決めました。

自分を犠牲にし過ぎてまで他人や会社の期待に応えようと頑張っても、自分を大切にできてない限り他人からも大切にされることはあんまりないように思います。そもそもそこまで自分を犠牲にしなければならない職場にいること自体不自然ですし、だから会社が悪いというのではなく自分には合わない、ということなのかもしれません。

そして、東京暮らしの中で自分が不快だと思っていたけれど仕方ないと開き直って利用していた3つのことを極力減らしていきました。

 

電車、ファストフード、SNSとの付き合いを極力減らす

私の場合、これらを利用しているときに “良い気分” になることはあまりありません(ここで言うSNSはある程度流れてきて目にしてしまう情報、ということです)。どれもそれを利用すると嫌な気分になったり寂しくなったりソワソワした気分になります。

特に東京の電車はいつでも常に大混雑です。電車の中も、ホームも、改札までの階段も、駅の出口までの道のりも、人であふれています。最初に言ったように当たり前に人とガンガンぶつかります。みんな急いでいます。笑顔の人はあまりいません。そんな空間にいる時間が毎日あることが、私にとってはこの上なく苦痛でした。

これは小学生のときからずっと感じていたことなので、普段から極力バスや徒歩で行ける場所には電車を使わずに行っていたのですが、病気になってからはさらに電車に乗ることを減らしました。仕事場も自宅から歩いていけることを基準に選び、移動も時間に余裕を持てるなら1〜2時間歩くほうが電車に乗るよりよっぽど楽なんです。今でもこれは意識して生活していて、ギスギスした気持ちになることもほとんどなくなりました。

ファストフードはコンビニも含めてそれ自体を否定するつもりはないのですが、忙しくて毎食コンビニやファストフード(牛丼も含む)を食べているとすぐ風邪をひいたり、いつも体がだるかったりすることを自覚していました。そして私の場合は、ファストフードはいくら食べても満足感を感じられません。一時的な食欲はおさまるのですが、すぐにまた何か食べたくなってしまう。体をゴミ箱のようにして、「とりあえずなにか食べなきゃ」とファストフードを体に詰め込んでいたことに体が拒否反応を示したんだと思います。

なのでこれも病気になって以来ほぼ一切口にしなくなりました。するといつも何だかソワソワしていた気持ちがどっしりしてくるのを感じてきました。自分の体は自分の食べたもので出来ていく、そんな当たり前のことを強く意識し始めたら、自ずと何を食べるべきか、自分は本当は何が食べたいのかわかるようになりました。食べるものに責任を持つ。こう書くと大げさに感じるかもしれませんが、この責任を持つことで「自分の体を大事にする」ことができるようになってきた気がします。

そしてSNS。震災以降特に、「情報に振り回されるとはこういうことか」と身を持って実感することが増えていました。自分がフォローしている情報だからとすぐ信じてしまったり、自分がフォローしているSNSの世界が全てだと思ってしまったり、とかく自ら視野を狭くしてしまうツールであることを常日頃から意識して扱わないと、どんどん自分軸がなくなっていきます。他人がどこで何をしているかすぐにわかってしまうからこそ、自分のいない場所で今何が起きているのか、自分に自信がないときほど気になって追っていました。そうやってどんどん他人ばかりに目を向けて自分から逃げていることにも気づき、SNSで情報を追うことも極力減らしました。本当に必要な情報はSNS上にはない、という自分の答えを出しました。

こうして当たり前になっていた自分の中のノイズのようなものを減らしていった結果、私は少しずつ健康を取り戻し始めました。そして東京で暮らしているということに対し、より自覚的になりました。毎日に忙殺されていると、今の生活をいつかは変えたいけどとりあえず現状維持! とあきらめたり流されたりしてしまいます。

でもその “いつか” は、自分が行動を起こさない限り一生訪れません。忙殺されているうちに、私のように体と心が突然壊れてしまうことだってあります。

これは東京に限ったことではないと思います。ただ、毎日東京にいてたくさんの人に会いたくさんの人とすれ違っていると、 “肉体” はここにいるのになんか今にも逃げ出したいような “心” が見えてきます。

東京で生活することが、働くことが辛い、そんな顔をしてる人がたくさんいて、私もその中の1人なのかなと思うとどんよりした気持ちになります。みなさんの中にも、そう感じたことがあるという人はきっといるけど、言葉にはしてないかもしれません。

 

壊れても “東京暮らし” を続ける理由

そんなに辛いなら東京を離れればいいじゃない、と思いますか?

確かに震災以降東京を離れる人が本当に増えて、離れる決意を固めて行動に移す人を見るたびに、私はいつもちょっとうらやましい気持ちになったり、自分が東京にいる意味を自問自答しています。

ですが私は今のところ東京を離れるつもりはありません。何故なら今のところ東京を離れる理由を挙げるとすれば “東京で感じる閉塞感が辛い” しかないからです。

どこに行っても閉塞感を感じることはあるかもしれないし、東京で感じる閉塞感のせいにして他の土地で暮らすのは、今の私にとっては逃げでしかありません。東京で生まれ育つ中でやりたい仕事を見つけ、途中で自分が壊れてしまったこともあったけど、幸せにもその仕事を続けられている。

だからこそこれからは、東京の閉塞感に流され過ぎず、大きなものは求めず、共感してくれる人たちと身の丈にあった暮らしで一緒に生きていきたい。もうずっと東京にあんまり希望を感じられないけど、生まれ育った街に光を見出せない自分でいるのはちょっと嫌だから。

4月というスタートの節目に何かを始めなくていいから、もしあなたも “東京疲れ” を感じていたら、ちょっと立ち止まって考えてみませんか。当たり前すぎて考えていなかったことを改めて見直してみると、今の生活をより快適にするためのヒントが出てくるかもしれません。

 

 

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“東京疲れ” を感じたら
1.  自分を犠牲にしすぎてまで他人や会社の期待に応えようとするのをやめる
2.  生活の中で自分が“不快”に感じていることを減らしたりやめてみる
3.  なぜ東京で暮らしているのかを改めて明確にすることで割り切れること、変えられることを見つける

 


上野真由香

上野真由香

(うえのまゆか)ライター 1982年11月23日東京生まれ。慶應義塾大学在学中から女性誌編集部でのアルバイト等で現在の仕事の基礎を学び、2007年よりライターとして活動を開始。並行して編集者としても独立し、主に10代〜20代前半の女性向け雑誌をメインとしながら、TV情報誌やドラマガイドムックの編集等を手がけた。現在はフリーランスで様々なメディアに執筆中。最近の趣味はキックボクシングとマグマスタジオでダンスやピラティスをすること。Facebook リクエスト承認させて頂きます。Instagramはmayuka1123