一身上の都合 第5話 「ずっと戦い続けたかったから」 尾和 正登さんの場合

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東大から電通へ。エリートビジネスマンが、なぜ居酒屋の店主になったのか。

第5話  尾和正登さんの場合

ずっと戦い続けたかったから

 

 

2年、2年、2年、3年。この数字はこれまで紹介した退職経験者が最初の会社に務めた年数である。今回登場いただく尾和正登さんは新卒で入社した電通に20年勤めた後、居酒屋の店主に転身した。

周囲を見回すと、社会人3年目、8年目、30代後半ぐらいに自分のキャリアを見直し、方向転換を図る人が多い。仕事へのマンネリ感、ライフステージの変化、新たな挑戦、残りの人生を考えた時のリミット。心が揺れるタイミングがその辺りに来るのだろうと想像していた。尾和さんにとって最適なタイミングは21年目の夏、45歳になって訪れた。

 

「窓からホームが見えるんです」 新橋駅の目の前だ


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難しい課題が日々を豊かにする

 

子供の頃から囲碁が趣味だ。ルールや定石を学び、経験を積みながら能力を上げ強い相手に勝つことに喜びを感じた。知識を増やしながら課題を解決していくというプロセスは、勉強にも通じるものがあった。ゲームを進めるように、より高い目標を目指す中で成績が伸び、東京大学へ進学する。

囲碁やゲームが好きなのは、明確な目標に向かって努力を積み上げて行くことが楽しかったからだ。その嗜好は社会人になって、「やること自体に意義がある」仕事への苦痛の原因となる。自分で見つけた会社の課題であれば、改善のために寝る間を惜しんで仕事をした。投資の検討にあたっては、現状を正しく認識して今後の投資の参考にするため、過去の投資を洗い出し、膨大な資料をひっくり返してシステム化した。ゴールにたどり着くため知恵を絞ること、成果を出すために努力することは厭わない。だが、目の前のことをこなすこと自体に意義を見つけ、自分を喜ばせることは難しかった。

大学卒業後、電通に就職したが新入社員時代は特にそんな仕事が多かった。退職が頭をよぎることもあったが、やるべき仕事と自分の努力する方向が一致する部署に異動し気持ちを持ち直すことができた。巨大な組織だから自分の仕事の価値が見えなくなることもあるが、同時に多様な受け皿を持つことが救いになった。
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「両親も親戚もだれも大学に行ってないんです。ぼくにとっては勉強もゲームでしたね」

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社会人になってすぐに直面した大きな山を超えてからは、着実に仕事を進めていった。自由な社風の中で、尊敬できる人たちに囲まれて、のびのびと楽しく仕事と向き合えた。だが、社内でのポジションが上がると、1プレイヤーだけでない役割を求められるようになる。管理、調整、社内政治。ゴールへ最短で駆け上がることだけが仕事ではなくなっていく。これは自分のやりたいことだろうかという思いがふたたび顔を出す中で、独立への道がちらつき始める。もともとサラリーマンという職業が自分に合っているとは思っていなかった。それなりにうまく歩いてきたが、潮時を感じていた。

 

 

食に繋がった人生

 

会社員を辞めてから何をするかは明確だった。自分の理想の飲食店を作るのだ。

長野県上田市の実家は食堂を営んでいた。厨房と客席に繋がった四畳半の部屋で放課後を過ごし、店で出されるものを食べる。囲碁が好きになったのも、そこで出会った将棋がきっかけだった。お客さんと接することは自然に身についていた。そんな環境で育ったから、家業を継ぐことが当たり前だと思っていた。

上京したことでその道は選択肢から消えてしまったが、食に関する興味は社会人になっても続く。職場柄、美味しい物やはやりの店には敏感な同僚が多かった。飲み歩く中で様々な知識を得て、「自分ならこうしたい」というアイデアもたまっていった。その経験が自分の店への構想を膨らませるヒントになった。食べること、飲むことは人生の中で欠かせない要素だった。あとは理想を形にするだけであった。
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「長居しても疲れないですね」 日本人も落ち着ける低めのカウンター席に座るむらかみ

 

20年以上電通で働いて来た中で、最も役立っているのは食にまつわる体験と、お客さんとして来店してくれる同僚たちだ。舌の肥えた、価格にも厳しい新橋のサラリーマンたちの叱咤激励を受けながらもうすぐ一周年を迎える。

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サラリーマンから居酒屋の店主へ

 

ちょうど1年前、2013年9月に電通を退職した。

入社してから21年目の夏に退職を決めたのは、義父の死もきっかけのひとつだった。何事もなければあと15年ぐらい会社員を続けることもできる。けれど、あと何年と定年を待つ意義を感じられなかった。

物事にはここで踏み切るしかない、というタイミングが揃うことがある。その瞬間は勢いであっても、振り返ればあの時しかなかったと、潮目が変わる時があるのだ。それが社会人生活20年を過ぎて訪れた。

退職後は一息つく間もなく開店の準備で追われた。物件探しから採用まですべてを自分で決めて実行しなくてはならない。新入社員時代よりも多忙な日々は、40半ばの体への負荷が大きかった。それでも開店という目標に向けて目の前の問題をクリアしていくのはワクワクする喜びに満ちていた。

店は12月で1周年を迎えるが、9月にすでに2号店を開店した。目標は雰囲気と用途を変えて3店舗ほど経営することだ。無闇に事業を拡大するのではなく、お客さんのニーズに合わせながら居心地のいい空間を作っていきたい。

店の名前は『正味亭 尾和』と名付けた。ふらりと同姓の「尾和さん」が訪ねて来る珍しい苗字と組み合わせた屋号は、質がよい、美味しい料理と酒を適切な値段で提供するという心意気が現れている。

働く中では、時には正しいと思えなくても、気が進まなくてもやらなくてはいけないことがあることを、20年の会社員生活で実感してきた。それでも、自分の店では信念と一致した経営をしたいと考えている。それを実現できる場をつくり、日々直面する問題も乗り越えていく。飲食というテーマで、困難な勝負に挑む。それはどちらもずっと好きだったものだ。

 

 

編集後記 : 社会の中でどう生きていくか

 

1993年入社の尾和さんはバブル崩壊のタイミングで社会人となった。景気がよかった時代が遠くなるに連れて、会社と社員のあり方は大きく変わっていっている。企業の将来に絶対の信頼は持てず、新しい仕事像、組織に依存しない働き方など、働くことが多様化し続けている。
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「アルバイトさん、みんな可愛い女子ですよねー」「ええ、たまたまですよ」エプロンにも尾和さんが

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この連載で出会った人々は、私(むらかみ)も含め数年で仕事を変わっていた。尾和さんの20年という数字は途方も無い年月に思え、自分がその立場だったら、もう身動きが取れないくらい会社に最適化されてしまっているのではないかと想像してしまう。けれど、実際はいつだって気持ちひとつで新しい道を踏み出す決断をできるのだ。

10年あれば会社の作法を学び、ひと通り社会人としてのスキルを身につけることができる。だが、更に10年働いたことに意味はあったという。若い頃にはパワーと情熱で押し切っていた自分のいなし方を身につけ、輪の中でうまくやる術を身につけたのだと。ひとつの会社に居続けたら成長が止まるというのは杞憂だろう。20年かけて培ったものが、営む店の土台を支えてくれている。

私は未だに自分が何を人生で成し遂げたいのかはっきりしない。楽しいこと、好きなこと、やりたくないことだけどんどん明確になり、でもそれを組み立てたところでやるべき何かはおぼろげにも掴めない。そう言いながらもうすぐ20代も終わろうとしている。

だから、20年以上会社の中で役割を果たし、次の夢へと邁進する尾和さんのエネルギーは強烈だ。社会の中で自分の道を懸命に走っている。

私には、自分が社会を担っているという気持ちが乏しい。自分の名前を呼ばれて、社会の責任を果たすひとりとしてスタートラインに立たされる時をいつまでも待っている。けれど、気づけばもう走らなくてはいけない時なのだ。いつかを待っているうちに時間は過ぎ去ってしまう。明確なスタートの合図などないのに、いつまでもホイッスルが鳴るのを待っている。誰も笛は吹いてくれないし、どこにもスタートやゴールはない。自分で決めて、走りだすしかないのだ。

 

 

尾和 正登(おわ まさと)
正味亭尾和店主
1968年生まれ、長野県上田市出身。東京大学経済学部卒業後、株式会社電通に入社。新聞局を経てメディア・コンテンツ計画局に異動、予算管理、投資管理、オンライン送稿推進などを行う。2013年9月電通を退社し、同12月新橋駅前に「正味亭 尾和」を開店。囲碁はアマチュア6段。麻雀は日本プロ麻雀連盟主催大会にて全国ベストアマ。WEBwww.facebook.com/shomitei

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(次回をお楽しみに。月一更新目標です)

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むらかみ みさと

むらかみ みさと

1986年阿蘇生まれ。生きた時間の半分を読み書きに費やしてきました。 ORDINARYでは広報・PR、ユーザーコミュニケーションなどを担当。 公私ともにコミュニケーションにまつわる仕事をしています。 円の中心ではなく、接点となる役割を追求したいと思っています。