面倒な映画帖45話 見るだけでいい、印刷でも可『ザ・フライ』/モトカワマリコ

面倒な映画帖写真も大嫌いだった。自分が自分の価値観に合わない容姿をしていることを受け入れるのがとても難しかった。まるで前世の悪行がたたって生まれ変わった美女が、罰として与えられた醜い顔に苦しむかのように、なによりも私の審美眼に何からなにまで合わないのは、私自身だったのだ。

< 連載 > モトカワマリコの面倒な映画帖 とは 

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。

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面倒な映画帖45「ザ・フライ」

見るだけでいい、印刷でも可

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一番大事なものさしはなにか。私の場合は自分なりの審美眼である。美しいと思わないものには興味をもてない。心が動いたもの、それを「美しい」という言葉でグルーピングする。幼い頃、おもちゃのビーズやおはじきなども、「きれいなもの」「そうじゃないもの」に分けて空き缶に入れていた。心が動いた「美しい」ものを見ていたい、ただただ見ていたいだけ。なにかしら美しいと思う人や物事に出会うと、常軌を逸した熱い関心をビームように注いでしまう。人生の最初の「接近禁止命令」は4歳になったばかりの頃だった。

アンチンキヨヒメ

「まるでアンチンキヨヒメですねえ、末恐ろしいわ。」入園式の日から、栗色の毛を長く三つ編にして、ハシバミ色の瞳をした同級生に私は完全に魅了されていた。毎朝、登園すると彼女をさがし、一緒に遊びたくてしょうがなかった。あまりにも好きすぎて他のお友達と遊ぼうとするのを邪魔することもあった。彼女のそばにいたい、なんなら見ているだけでもいい。4歳児には消化できない生々しい「独占欲」に自分を見失っていた。挙句、愛しの美少女は「マリコちゃんが怖い」と登園恐怖症になり、先生に苦情が入った。「アンチンキヨヒメ」と大人は苦笑していたが、美しい僧侶に懸想してふられ、諦められずに大蛇に化けて恋焦がれた男をとり殺すお姫様のことだとは思わなかった。 先生や母に明日から、彼女のそばに行ってはいけない、話しかけても、じっと見てもいけない、ときつく言い渡された。でも欲望は押さえきれない。気取られないように、園庭の木の上から、物陰から、彼女をストーキングしていた。おさげの玉の数はいつも7つ、私が入らない遊びの輪で、花のように笑う彼女を見ていると幸せだった。私は美しいその少女を見ていたい、1秒でも長く。毎日、幼稚園ライフが続くかぎり、生きて動いている彼女を見ることができるのなら、「お友達」になれなくてもよかったような気もする。それは初恋の相手が女性だったということでもない、そんな人間的な話ではなく、私が美しいと思ったものに執着するということの最初の証明だった。そして人間では彼女が最初だったということだ。

一方で毎朝顔を洗うときに、自分の顔を見るとがっかりした。私はあまりにも醜い。目が小さくて、顎がしゃくれているし、口もへの字に曲がっていて、唯一美しいと思えるのは眉の形だけ。「おまえのとりえは、蛾眉だけだね。」母や祖母がほめてくれた。小学校のとき、毎朝絶望するのが面倒で、顔を洗うのをやめてしまった。写真も大嫌いだった。自分が自分の価値観に合わない容姿をしていることを受け入れるのがとても難しかった。まるで前世の悪行がたたって生まれ変わった美女が、罰として与えられた醜い顔に苦しむかのように、なによりも私の審美眼に何からなにまで合わないのは、私自身だったのだ。

だから映画が好きなのだ。映画スターはわざわざ選りすぐった美しい人間の集団。メリーゴーランドのように、美しい男女がぐるぐる回るパラダイス。きれいな顔を見ていれば幸せなのだ。もちろんそういう人と親しくなればそれはそれで嬉しいんだろうけれど、4歳のトラウマがあるので、生きた人間は怖い。そんなリスクを冒すならば、銀幕の向こうで十分、なんなら、印刷物でもいいくらいだ。きっとスターというのは、美しい人が好きで、でもお友達になれない私のような人間のためにいるのだ。印刷されたポスターなら見つめても文句を言わない。ファンは彼女や彼を気が済むまで好きなだけ見つめて、幸せな気持ちになっていい。

 

浅黒い肌、長身、大きな黒いアーモンドアイ 

デビット・クローネンバーグが「ハエ男の恐怖」という古いホラー映画をリメイクして「ザ・フライ」というバイオホラーを撮ったというので、マニアックな気持ちで観に行った。「物質転送の研究者が、実験中のアクシデントにより悲劇に見舞われる」自分の遺伝子にハエの遺伝子が混ざって、ハエ男になってしまう・・・まあ、やりたい放題にグロテスクな映画だった。実は、筋はどうでもいいんだが、大きな収穫は 主演のジェフ・ゴールドブラムを見つけたこと。

主人公の科学者セスが、実験ポットから全裸で出てくるシーンがある。この映画は、科学の暗黒面を描いているので、セスは、その後どんどんハエ男になり、おぞましい姿に変身していく。だからモンスター誕生のゼロ地点にどんな人間をもってくるか、クローネンバーグは考えただろう。化け物になってしまってショックを受けるくらいの若さと美貌、毒にも薬にもなりうる危うい人柄、それからちょっと間抜けな運の悪さ、滑稽さ・・・光の中から生まれ出る演出は悪魔の寓意のようにも思える。サタンは元々神に逆らった大天使ルシファーだった、天使の名は夜の闇を射し抜く「黎明の光」だ。その後ジェラシックパークで有名になったころには、そうでもなくなっていたが、30代のジェフ・ゴールドブラムは面食い史上最高得点だった。

70年代から、映画界をうろうろしていて、10年以上主演もなかったバイプレーヤーだったが、「ザ・フライ」でブレーク。ユダヤ系で、大きなアーモンドアイと高い鼻梁、人間の顔としてほぼ最高レベルに力強い部品を盛り込んでいる。「業界が長く、世慣れている、人あたりが良くて悪い人じゃないが、いい人でもない。ドナルド・トランプとはパーティで顔見知り」イメージは完璧なパーピーオヤジ、そういう感じがする人だ。彼が大理石でできていればよかったのだが、彼のような美貌は、年月とともに、重力に引っ張られて、激しく下降していきがち。顔の皮膚に穿たれた穴の大きさに比例して、すべてが地球の中心に向かって垂れていく。ハンサムで売っていたので、上手に枯れるのも難しい。ここらでコロッとぼけたオシャレじいさんに化けてしまえばいいのに、と思ってしまう。そうなれば、また違った味わいがあると思う。俳優としては今一つスキじゃないのは、そういう頑なさだ。ジョン・タトゥーロくらいさばけていたら、もっといいんだけど・・・

でも、30代前半の彼の顔は、完璧だった。

だから?

それだけのことだ、私を幸せな気持ちにする美しいものとして「きれいなもの」の缶に入れられ、頭の中で何度も、完璧な姿でポットから出てくる姿を再生する。86年の公開から30年以上たつけれど、あのセスよりも心を打つ美しい人間を見たことはない。監督の意図を汲むことも、物語を追うことも、映像を楽しむことも、深淵な哲学に出会うことも楽しみだとは思う。でも映画がなくては生きられない理由は、現実世界では手が届かない、近づいてもいけないし、話しかけることもかなわないような、美しい人間を見ることができる簡単な方法だから、ということに尽きるのかもしれない。


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。現在は、ウェブサイト、月刊誌プレジデントウーマンでライターとして、文化放送で朝のニュース番組の構成作家としても活動。趣味は映画と声楽。二児の母。