【第182話】えいやっと蹴り出す勇気について / 深井次郎エッセイ

「会社を辞めてきたわ、独立するの」「なにそれこわい」

「会社を辞めてきたわ、独立するの」 「なにそれこわい」


伝説になるのは

得たものよりも
失ったものによってである

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また1人、安定した立場を捨て、友人がひとり独立しました。会社員からの独立。その報告をfacebookでしていて、すごいなぁといつもながら尊敬の念があふれてくる。彼は、大きなピラミッドのなかで高いポジションに出世し、きっとあと20年は安定して高い給料をもらえるだろう。そんな仕事を手放したのです。ぼくが彼の立場だったら、飛び出せたかなと。独立した人をみるたびに、「いやー、ぼくがその立場だったら飛び出せないだろうなぁ」と彼らの決断に感心するのです。

「いや、深井さんも独立して長いことやってるじゃないですか」そう言ってくれるけど、ぼくの場合は25歳の何も失うものがなかった時期だからできたことです。30にも40にもなって、ある程度の立場を得てからそれを捨てるというのは、当時のぼくの何倍も大きな「えいやっ」が必要なんじゃないかと想像します。

えいやっと足を蹴り出す人の姿は、まわりの人の心をざわざわさせます。自分はどうだろうかと鏡を突きつけられるのです。おい自分よ、お前がえいやっと蹴り出したのは何年前だ? もしかして、かれこれ5年はないんじゃないか、と。

人が感動するのは、その人が得たものよりも、捨てたものの大きさです。ラスベガスのカジノで伝説になるのは、いくら儲けたかではなく、いくらすったかという話です。あの人物は、一晩で何億すったらしい。無一文になったのに、それでも笑って帰ってったよ、豪傑だよね。そういうエピソードがクチコミで広まり、伝説になるのです。稼いだ話よりも、失った話の方が、人の心を打つ。失うことがどれだけつらいかということを、多くの人が身にしみているからでしょうか。結婚するより離婚するほうが大変だと、よく経験者たちから聞きます。せっかく得たものを手放すことは、だれにとっても簡単なことではありません。

地位、名声、しがらみ、動産、不動産。ぼくがいろんなモノを持つのを避けてしまうのは、失うのが辛いからなんだろうなと思います。得てしまうと、ずっと握っていたくなる。捨てられなくなるのです。執着心が強いのでしょう。ブッダの教えにしたがって、なるべく捨てようとはしているのですが。

大きなものを得てもなお、それを軽々と捨てられるほどの豪傑に憧れはします。しかし、まだぼくはそこまでの器がないので、いつも少し足りないくらいがちょうどいいのです。ぼくみたいな人間は、少欲知足の方針が合う。独立してからの変化の多い人生でも、その都度捨てるものが少なくてすんでいます。えいやっという大きな勇気もあまり必要なくすんでいます。失うものが少なければ、いつでも方向転換できる。そういう状態に、なるべくしておきたいのです。大きなものを捨てる豪傑たちに胸を打たれながらも、ぼくは意識して「持たない暮らし」を続けていこう。地球に優しい小者でいようと思うのです。

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(約1118字)
Photo:The Hamster Factor


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。