【第154話】自分の仕事を絶滅させる勇気 / 深井次郎エッセイ

「さて、掘った穴を埋めにいくか」

「さて、掘った穴を埋めにいくか」


マッチポンプに手を染めだしたら

その仕事は潮時です

ーーーー

ある大雪が降った日。ラジオから信じられない言葉が聞こえてきました。整骨院を新しく開業した医院長が、電話で生ラジオ出演していたのです。「お仕事の調子はどうですか」番組パーソナリティーの問いへの答えがこれでした。「今日はあいにく大雪なので暇です。みんな滑って転んでくれるといいのですが」そうすれば患者が増えるのに、と冗談めかしてはいました。けれど、ああ、これは本音だなと背筋が凍りました。

彼はサラリーマンを辞めて、資格をとって整体師になった。いざ自分の医院を開業したが、お客さんが来ない。営業やマーケティングを学んだことのない方が独立すると、お店を開けば自然にお客がくるだろうと甘く考えていることがあるものです。このままでは家賃や人件費の固定費ばかりかかって経営が立ち行かないと焦るオーナーは多くいます。もちろん、食べていかなければならない焦りはわかります。けれど、他人のケガを願うような、そこまで落ちたらいさぎよく店じまいをするのが誇りをもった男だと思うのです。

儲けるために仕事をはじめた人と、社会問題を解決するために仕事をはじめた人。「お金の人」と「魂の人」と言ってもいい。このふたりでは、考え方がまったく違います。冒頭の医院長は前者です。もし「ケガ人を減らして、健康な人を増やしたい」という思いでやっていたとしたら、たとえ冗談でもあんなセリフが出るわけがありません。「雪なので、どうかみなさん気をつけて」と願います。

社会問題を解決する仕事のジレンマ。それは、「その問題を解決すると同時に自分たちの役割がなくなってしまう」ということです。例えば、医者はわかりやすいですが、全員治療し尽くしてこの世から病人がいなくなったら役割がなくなります。貧困問題を解決するNPOは、世界中の人が豊かになったら役割がなくなります。

自分たちの役割がなくなることが目標達成のサインなのです。社会問題を解決するためにやっている人は、その瞬間を喜びます。もちろん一抹の寂しさはあることでしょう。でも、よかった。貧困はなくなったんだと喜びを噛み締めることができる。しかし、生活するために、儲けるためにその仕事をやっている人にとっては、なくなっては困ります。なので、なくなりそうになると抵抗してしまうのです。

セキュリティー会社でいえば、泥棒がいなくなったら彼らの仕事はなくなります。治安が悪くなるほど、商売としてはおいしいわけです。営業マンがたばこの吸い殻を玄関前にまいておき、事前にその家の住人を不安にさせておいてから「この辺も物騒な事件が多いですから」とセキュリティー契約の営業をする。そんな卑劣な手段をしている社員もいるようです。創業者は本当は「地域のみなさんの平和な暮らしを実現するため」にセキュリティー会社をつくったはず。それなのに、末端の営業マンは、ただの食い扶持としか思っていないのです。だから、地域の治安が悪くなった方が都合がいい。

この営業マンの話をすると、みなさん「それはひどい」と言います。でも、それを自分の会社はしていないと言えるでしょうか。自動車メーカーは、「良い車をつくって人々の移動を便利にすること」が目的です。それなのに、車が売れなくなってくると、無理矢理車を売ろうとする。「車を持っていないと女の子にモテないよ」とか広告で不安を煽るわけです。これは先ほどの営業マンや、病人を増やしたい医者と何が違うのか。もともとは、不安や不満を解決するための仕事だったはずです。それなのに、不安や不満がなくなってしまったらだれもモノを買わなくなるので、新たな不満をつくりださないといけなくなる。

マッチポンプとは「自分でマッチで火をつけておきながら、火が大きくなるとポンプで水をかけて消す」ことをさす言葉です。まさにマッチポンプになっていないでしょうか。知らず知らずやってしまっていることがあるので、定期点検すると良いでしょう。マッチポンプに手を染めだしたら、その仕事は潮時です。あなたが「お金の人」でなく「魂の人」ならば、すみやかに目標達成を喜び、次のことを始めましょう。

(約1674字)

Photo: Thomas Leth-Olsen


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。