【第046話】孤高の跳び箱で楽しめるか

 

【インド旅篇】

孤高か群れて生きるかは
熟練度によって変わる

 

「表現者は孤高の存在であり、群れるな」偉大な作家たちからは、こういう台詞がよく聞かれます。そう言ってる人たちのことを調べてみると、案外若いころは、よくカフェに集まって議論したり、グループを組んで活動していたりしているものです。言ってることと違わないかと思ったことが、あなたにもあるのではないでしょうか。いま、「つながりの魅力」がよく説かれていますが、それと反対に「群れるな」とも言われます。あなたにとってどちらがいいかは結局、バランスだよね、自分に合うスタンスを見い出すしかないよねということではあるのですが、その基準はどこにあるのかについて考えてみましょう。人生がもし遊びだとすると、一人で遊ぶか、集団で遊ぶか。あなたはどっちが楽しいかな、成長するかなということです。

河西、村上、熊谷、深井

河西、村上、熊谷、深井


今回のインドへの旅は、1人ではなく、4人で行った。
こちらに来て強く思ったのは、「1人じゃなくてよかった」ということでした。同じ行程を1人で旅することもきっとできたには違いないですが、楽しさという点では複数の方が良かった。現実的に、何日も寝たきりになり意識がなくなるほどの病気にかかったので、1人ではどうなっていたかわかりません。それに移動のトイレのときに大きな荷物を見ててもらえるとか、複数の方が犯罪に巻き込まれにくいとか、実用面で複数の方が助かったということはもちろんあります。けれど、そんな実用面のことはどうでも良くなるくらい、なによりぼくにとって大きかったのは、仲間と感動を共有できたことした。

ぼくらは体はずいぶんと大人になったけど、中身は基本的に子どもとそんなに変わらないことも多いものです。同じ活動をひとりで行うより、集団の中で行うほうが楽しいと感じる現象はいまだにあります。たとえば、ある幼稚園の先生によると、園児たちの中で跳び箱が人気なのだそうです。その幼稚園には、跳び箱が一台しかないので、長い列ができる。朝、一番乗りに来た園児は、跳び箱を独り占めできました。「よし、他に人がいないから、いまなら並ばずに思う存分跳ぶことができるぞ」その園児は1人で跳んだんです。でもすぐにやめてしまった。聞くと「ひとりじゃつまらない…」ということを言ったのです。

みんなといっしょに跳ぶから楽しい。園児は、それに気づいたのでした。「いまの見た?」「すごいね」「あー、失敗しちゃった」「だせー」という他者とのやりとりが楽しいのです。ドヤ顔という言葉もありますが、ドヤッというのが快感なんでしょうね。1人でドヤッても見てくれる人がいないと満たされません。かまってもらいたがる「かまってちゃん」ともいいますね。園児も、跳び箱をやめて今度はすべり台を滑った後に、必ず先生のほうを振り向きます。ハッとした顔で「いまの見た、すごくない?」と。で、振り向いた時に、先生が他の用事をしていて見ていないと「見てよー」と怒るのです。個人差はありますが、共感欲求の強い子だと、見てる人がいないところではもう何もしないくらいに極端です。

「どうよ、これすごくない?」「すごいね」というやりとり。これって、人間の根源的な欲求なのでしょうね。だれかと共感したいという欲求。スポーツで、いいプレーをしてまわりを沸かせた時の快感は凄まじいものでしょうね。ドヤ顔やかまってちゃんというのは、幼稚な精神性の象徴として語られます。反対に、ひとり孤高の世界のなかで、「自分との勝負」というのが大人な成熟した精神性だとも言われます。ひとり山にこもって陶芸のろくろを回していて、他者評価に関わらず、自分の意志で前に進み、納得できない作品は割る、というような生活。

「他者からの共感がないと幸せを感じられないのは、未熟な精神の人間」というのは、そのとおりだと思います。よく目安として、1つの技を習得していくのに500時間つぎこむまでは初心者、1500時間で次の階段がやってきて初心者の中で上手い方になると言われます。熟練者になるのは5000から10000時間つぎこむあたりからです。

初心者のうちは下手だし、その世界の奥深さもわからないので、ひとりだと楽しさがよくわかりません。跳び箱を跳ぶ幼児の段階です。いっしょに見ててくれる仲間がいて、「どうよ」「いいね」というやりとりがないとなかなか楽しくなれないのです。熟練者になると、1人遊びができる。他人のフィードバックがなくても、自分の理想にどれだけ近づけるか「自分との戦い」の楽しさがわかってきます。「今回は我ながらなかなか良くできた」とにんまりして満足することができる。「自分との対話」ができるようになるから、孤高となっても続くし良いものがつくれるのです。

そういう意味で、「表現者は群れてはいけないのか」は、あなたが初心者か熟練者かで話は変わってくるということです。書き手でも、ブログを書こうとしたら続かなくて、フェイスブックなら続いたという人が多くいます。「どうよ」「いいね」というやりとりがあって、必ず見ててくれる友達がいて一人きりじゃないという状況が、楽しく前に進ませるのでしょう。

このインド旅でも、「なにこれ?」「すごすぎるね」「これ食べてみようか」「うわ、まずいね」という共感が道中を楽しくさせてくれました。思い返してみるとぼくはまだ、過去に海外を旅したトータル時間を考えると、1500時間くらいなのかな。海外旅の初心者です。旅に関しては、まだ他者との共感で喜びを感じる段階なのだと思います。トレーニングが続かないという初心者は、孤高にならずに仲間とやったほうが道中が楽しくなる。結果、そのほうが成長すると思います。仕事にしても人生に関してもしかり、熟練者ではない人は、群れで歩んだ方が楽しいのです。「どう、いまの見た?」「見たよ、すごいね」とわいわいやりながらやっていきましょう。

(約2352字)


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。