【第045話】折れた指で触れる世界

 

【インド旅篇】

狡猾で無愛想なインド人が
笑顔になってきた理由

 

はじめにインドに来て思ったことは、顔がこわいということだ。目につく人すべてが無愛想で、笑顔に出会うことはなかった。彫りが深く精悍で色黒の顔たちは、シリアスで威圧感があった。その顔でぼくら異邦人に睨むような刺さるような視線を送ってくる。視線が痛い。それが一週間も過ごしてくると、笑顔にもよく出会うようになってきた。痛さがなくなってくる。何が起きたのか、この変化はなぜなのだろう。まさかインドの情勢がこの一週間足らずで変化したとは思えない。

こんな話を思い出した。イランかどこかの映画で、医者と患者の不思議なやりとりのシーンです。ある日、「全身のいたるところが痛いんです」という患者がやってきた。「ここも痛いし、足首も痛いし、そしてここも、腰も、頭の後頭部も痛いんです」と次々に指差すんです。見たところ悪そうな箇所はないので、精密検査をして、結果が出た。原因がわかった医者はこう言いました。「どこも異常ありませんよ。ただし、指が折れてます」

「きみの指が折れてるんじゃないの?」

「きみの指が折れてるんじゃないの?」

原因はどこにあるのか。外側にではなく、内側になるのではないかという話です。インドで出会う人々に笑顔がなかった理由はぼくら自身にあった。ぼくら自身がピリピリと気を張っていて、警戒モード、戦うモードになっていた。ぼくら自身が、「折れた指」だったのだ。だから、だれに触れても痛い。インド人は傷つけてくる嫌なやつばかりだと腹を立てていた。慣れてきて、現地の若者とも話し、わかってくると心もやわらかくなってきた。だれでも知らないものには不安と警戒しかない。けれど、知ってくると親近感もわいてくる。それに比例して、少しずつ笑顔に出会うようになってきた。変わったのは彼らではない、ぼくら自身が変わってきたのだ。

「写真? 照れますね」約100年の歴史があるアジア最大の大学、バラナシ・ヒンドゥー大学のキャンパスにて

「写真? 照れますね」
約100年の歴史があるアジア最大の大学
バラナシ・ヒンドゥー大学のキャンパスにて

なぜわたしのまわりには、冷たい人しかいないのか。そう嘆く人もいるものですが、その人に触れている「自分の指」が折れていないか。それをまず確認しないといけません。世の中に冷たい人しかいないわけがない。もちろん、たまにはいるものですが、全員というのはさすがに多すぎる。そんなわけはない。もしかしたら、自分に原因があるのでは。そういう意識を常に持っていたい。

世界各国をめぐって、この国の人は優しかった、あの国は冷たかったと言っている。相手のことばかり言ってるが、自分の警戒モードがその国の冷たさをつくっていることも多いはずだ。違う人がその国に行ったら、「みんな優しかった」ということになったりする。そういう意味で、旅人に向いてる性格というのはあると思う。いつも親切な人に出会い、困った時に助けてもらえる旅人たちは、心をひらいている。

人に触れる時に痛いのは、自分の指が折れてるからかもしれない。ついつい相手の体にトゲがあるかのように思ってしまうが、実はそんなものは存在しなかった。笑える余裕が出てきてから、笑顔に出会えるようになった。これがもしたった数日の滞在では、この笑顔たちには出会えなかった。トゲばかりを体験し、そのことを帰国してからもみんなに語っただろう。世界をつくっているのは、自分自身なのに。

 

(約1289字)

Photo: N.Kumagai / J.Fukai


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。