いったいどういう顔をすればいいのか…カイザー・ソゼが誰かわかった上でもう一度観るこの映画は、俳優の超絶技巧をじっと観察するというまったく別の魅力を放ち始める。まるで違う作品のように。
< 連載 > 映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。SFXもスペクタクルもなし、魔法使いも宇宙人も海賊もなし。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。 |
面倒な映画 09
「ユージュアル・サスぺクツ」
1本で3回楽しめるお得なクライムサスペンス
カイザーソゼとは何者か?
この映画は90年代に彗星のごとく登場したブライアン・ジンガー監督の傑作。デビット・フィンチャーの「セブン」と並ぶ90年代アメリカ映画の代表作だ。大筋は名前しかわからないカイザー・ソゼという正体不明の犯罪者を探し出すクライムサスペンスで、容疑者は前科のある5人、この中にソゼがいるらしいがそれが誰だかまったくわからない。絡み合う伏線、予想外の展開、女っ気もほとんどない微塵も甘さのないハードボイルドだ。キャストもスターゼロ、クセの強いバイプレーヤーだけで組み上げているのが渋い。誰が犯人でもおかしくない、でも中心を作らない絶妙なキャスティング。俳優の私生活や前の役がちらつかない、でも見たことはある、身震いするほどダークで裏がありそうな強面をそろえているのも見どころ。
仮面を2枚被る俳優の超絶技巧
最低でも2回は観ないと良さがわからない映画というのがこの世には数本あると思うのだが、これは間違いなくそういう作品だ。初回は監督や脚本の腕に舌を巻き、2回目以降は天才的な俳優の演技を堪能できるんだから、DVDを借りてみるなら2本分、お得な内容だ。
この映画を観ると、演じるってなんだろうと思う。映画なんてもともと嘘の塊みたいなものだし、俳優は自分の人生とは関係のないセリフをしゃべり、別の人物になりすますことが仕事だ。だから嘘をつく演技をするにあたって、俳優は自分の顔の上に二重の仮面を被ることになる。観客に対してキャラクターを演じて見せながら、かつその嘘の奥にもうひとつ見破られないように嘘をつくという重層構造。いったいどういう顔をすればいいのか…カイザー・ソゼが誰かわかった上でもう一度観るこの映画は、俳優の超絶技巧をじっと観察するというまったく別の魅力を放ち始める。まるで違う作品のように。
【1回目】だまされる快感を堪能する
ぜひ一人で観てほしい。メインキャストはすべて達者で、全員が怪しい。スターを使わなかったのは監督の配慮、巧くてあまり色のついていない俳優じゃないとキャラクターに入り込めないから。しかし20年もたってみると、今や誰でも知っている賞レースの常連ばかり。監督として成功した人もいる。90年代以降の映画を支える名優図鑑みたいにもなっているので、そこもチェック。そしてお待ちかねのラストには立っている地面が崩れ落ちるような衝撃が待っている。だまされた、やられたという自虐的な快感に酔いしれつつ、世の中には怖いくらい頭のいい奴がいるということを静かに受け止めよう。
【2回目】気の合う友達を呼ぶ
さて、今やあなたはそれまでのあなたではない、なにしろソゼの正体を知っている。そうなったところでぜひ友達を呼ぼう。友達は誰が犯人かさっぱりわからなくて、困惑の極みだろう。あなたには随所に組み込まれた「伏線」が見えているが、友達はそうじゃない。でも負けず嫌いな彼あるいは彼女は的外れな推測をしてくるかもしれない。あなたはそれに大人の対応をしながら、「なんならソゼが誰か教えようか?」と悪魔のささやきさえできるのである。そんな恐ろしい情報力をもちつつ、友達の行く末を見守るという楽しみがついてくる。
たまには温情を示して、なんでアイルランド人まるだしの俳優が「小林」なんて名乗っているのか、彼の事務所には「成功、力、財産」なんて言葉が日本語で書かれているんだろうねえなんて言ってみたりしてもいい。
やがて運命の1時間38分頃、運命のドアが閉まり、コーヒーカップが砕け散り、足元の地面が崩れ落ちるような衝撃とともにすべてが白日の下にさらされるあの瞬間が待ち遠しくてしょうがない。何も信じられない、それはないでしょう、友達の衝撃が嬉しくてしょうがない。答えを知っているからこそ知る醍醐味とはこういうものなのだ。
【3回目】映画を語る楽しみ
さて、ここからがこの映画の一番盛り上がるパートだ。カイザー・ソゼの正体を知っている同士でもう一度検証してみよう。今観た友達ともう一度最初から観ることさえ、かなり楽しい。冷蔵庫からビールでも出して、興奮さめやらぬうちに全貌を解明するのは、映画好きのオタクなお楽しみ。答えを知っていても、一筋縄ではいかなくて、どこが伏線なのか、どういう構造なのか、通算5回は観ているけれど、何回観ても完全にわかったという気になれない。ソゼ役の俳優の技量が空恐ろしいし、頭のいい悪い人間の怖さ、自分の目がいかに曇っているのか、話題はいくらでもあるだろう。何かしらの感動を共有できたら、カイザー・ソゼを合言葉にその後の友情を温めることもできるかもしれない。
ストーリー以外のディテールも盛りだくさんだ。NYゲイカルチャーに生きているブライアン・ジンガーの言いたいことは映画の端々に見えているし、キャストのプロフィールもわかれば、90年代のアメリカ映画のことも見えてくる。
もちろん映画の謎は映画の中にしかない。容疑者の一人怯えたバーバル・キントが言ったように、仕事が終われば伝説の犯罪者カイザー・ソゼは煙のように消える。映画は映画、それ以上のものではない。でも観客は映画が終わっても生きている、パワーのある映画から始まるおしゃべりは、広い世界に広がり、生きた人間に影響を与えつづける、カルチャーはこうでなくてはいけない。