面倒な映画帖 18「第三の男」売れない物書きはウィーンをさまよう

面倒な映画帖


突然、おじさんがスプーンでグラスをカンカンたたく。テーブルのお客が注目する中、大声で「おいみんな、俺は決めたぞ、このかわいい日本の女の子と結婚することにした!」おじさんにギュウギュウ抱きしめられ、ほっぺにチュウされ、何がなにやらわからない。その辺で酔っぱらっていたおじさんたちが、突然ヴァイオリンやビオラをひきはじめ、なにやらお祭り状態に突入する。結婚?今すぐ?ママに電話しなくちゃ…こちらも酔っぱらっているので、言うことがおかしい。「そうかそうか、ママにウィーンに住むからっていいな。」とか言われてうんうんうなづいている。

< 連載 >
モトカワマリコの面倒な映画帖 とは 

映画ならたくさん観ている。多分1万本くらい。いろんなジャンルがあるけど、好きなのは大人の迷子が出てくる映画。主人公は大体どん底で、迷い、途方にくれている。ひょっとしたらこれといったストーリーもなかったり。でも、こういう映画を見終わると、元気が湧いてくる。それは、トモダチと夜通し話した朝のように、クタクタだけど爽快、あの感覚と似ている。面倒だけど愛しい、そういう映画を語るエッセイです。



第三の男

1949年公開の古い映画だがシーンのテンポといい、人物描写のキレといい、まるで色あせないクオリティを誇る、不朽の名作。カンヌで賞をとったがアメリカと日本でしか人気がないらしい。題材が微妙すぎてヨーロッパ人は居心地が悪いのかもしれない。

面倒な映画 18

 「第三の男」

売れない物書きはウィーンをさまよう

オーソン・ウェルズはどうした!

第二次世界大戦後のウィーン、高い石造りの建物の上に石像が立ち並ぶあの独特な建物群も、瓦礫の山になり傷ついている。爆撃で崩れた芸術の都でのロケ、それでもウィーンらしさは残り、プラーターの木製の観覧車は不思議と無事なようだ。1949年に公開されたこの作品はキャロル・リードの代表作で、米英仏露の戦勝四か国に分割占領されているウィーンが舞台。戦争の影がまだ生々しい時期、当時の人たちは今の観客とは違う切実さでこの映画をとらえていたに違いない。主人公は陰気な二枚目ジョセフ・コットン演じる売れない作家ホリー、ウィーンに仕事を求めてくるのだが、仕事をくれるはずのハリー・ライムは彼が到着する直前に死んでいた。一文無しであてもないまま、せめてライムの死の真相をさぐろうとするが…という話。

当時の映画の呼び物はオーソン・ウェルズの出演なのだが、ファンとしてはいつまでたっても出てこないウェルズに苛々。冒頭の葬式からハリー・ライムの名前は誰もが連呼するけれど、ご本人はまるで現れない。実際にウェルズは撮影予定にウィーンに現れず、撮ろうにも登場させられなかった。映画開始1時間後に死んだはずのライムが最初に登場する夜のシーンでは実は代役が走っているので、顔は見せない。ウェルズはどうした!

いよいよハリー・ライムが顔出しで現れる。今も残る遊園地プラーターの回転木馬の向こう側から軽やかに笑顔で。悔しいけど、惚れているので、オーソン・ウェルズが登場すると「待ってました」という気持ちになる、撮影にも来ないくせに、でも会えてうれしいわ、と思ってしまう。世の中は不公平なのだ。

そうは言いながらミーハーなので、プラーターの名シーンを撮影した観覧車には乗ったことがある。木の箱がぶら下がっているだけのシンプルな構造、映画では町を見下ろすテッペン付近でハリーがドアを開け、アメリカから来た旧友を脅すシーンが有名だ。誰もいなかったので、開けてみる。見下ろすと硬そうな地面と、係員が見える。若い女が夜にたった一人で観覧車、バカな映画ファンの迷惑行為には慣れっこだろうが、こいつがもっとバカだと困るぞ…係員は怪訝そうにこちらを見上げている。まさか飛び降りないから大丈夫、目でそういうサインを送る、まだそこまでは堕ちていない。

文無し、仕事なし、暇はたっぷり

その2時間前、ウィーン中央駅、19時すぎ。予定外の遅い時間についてしまったので、観光案内も閉まっている。泊まる場所がない。夏だから公園か墓地か駅で寝るか、カフェか、あるいは教会に忍び込むか。

私はフリーランスになりたてでろくに仕事もなく、勢いで会社を辞めたことに半ばヤケを起こしていた。なけなしの貯金で何か月生きられるかというときに、旅行に出かけるなんてバカだ。でも、じっとしていることもできなかった。しかも旅の仲間は、ステキ女子な友人たち、纏っている空気もカバンも靴も服も、エアーもホテルも私とはランクが違う。ステイタスの違う相手と旅をすることでさらに惨めさが助長される。彼女たちが到着したら、安宿から毎日同じ服装で、グランドホテルのフロントに警戒されながらお迎えにあがるのだろう。マゾもここまでくるとポリシーだ。時間だけはゼイタクにある。だからせめて数日前にウィーン入りしてやった。

ああ、これじゃまるで「第三の男」のホリーみたい、文無しの売れない物書きが食い詰めてヨーロッパに流れてくるの図。もう一つ「ビフォアサンライズ」という映画でも、主人公は作家志望であてもなくウィーンにやってくる。ウィーンはふらふらしたそういう人間を吸い寄せるんだろうか…それにしても夏はオペラもオフシーズン、音楽好きはザルツブルクへ行っていて町はカラだ。まだ明るいけれど、人気もなく、多分もう夜なのだ。

やる気がないので地図も持っておらず、不安と空腹でイライラしながら歩いていると、どこかで見たことのある広場が。ああここはホーエル・マルクトという広場、「第三の男」でチェコ人のアンナことアニタ・ヴァリがジョセフ・コットン演じる作家にガンガン文句を言うあの広場だ。街を歩いていると、あちこちに排水溝があるが、これも映画に出てきた。映画の後半では現実にウィーンの地下に広がる網の目のような地下水道が登場する。それは地上の荒廃した街並みとは別に堂々としていて、町の各所から地下通路でつながり、ドナウ河に通じている。部外者が知らないウィーンの秘密を秘めた政治的な意味も深いものだったのだろう。

映画のクライマックス、警察から逃げ回っていたライムは地下水道で追い詰められ、地上に出ようと、広場に通じる排水溝に地下から手を掛けて開けようとして力尽きるのだ。カメラは地上にあり、排水溝の蓋の格子からニョキニョキっと伸びるライムの両手のアップを見つめる。銃声がして、その指が地下に戻っていくことで、男の最後を表現した。一人の男がウィーンと闘っているかのような、人の破滅を排水溝で表現するキャロル・リードのすごさ、悪党が街に負けた体、いわばウィーンの名演技。実際のロケがどの排水溝で行われたのか定かではないが、広場という広場には地下に続く入口があり、人気のない石の道に格子の蓋を見ると、手が出てくるような気がした。不機嫌がハリー・ライムの亡霊を呼び寄せたんだろうか。

おいしいモノはホイリゲにあり

「どこか安くておいしい食事ができる場所はないですか?」通りで見かけた親子連れに助けを求めると、ウィーンに来たらホイリゲでしょう、と言う。いわゆるウィーンの森にある観光ブドウ農園ホイリゲなら夜中までやっているのだそうだ。それじゃあと市電に乗ってしばらくすると、ウィーンの郊外に広がるブドウ畑があり、いわゆるワイナリー村が開いているのが名物の居酒屋だった。

日本にも造り酒屋というと杉玉という葉っぱの玉を玄関に吊るすが、同じようなものが吊るしてある。あまりにもたくさんの店があるので、古そうでにぎやかな店を選んだ。庭に簡単なテーブルとイスが並んでいて、素朴な感じ。お作法がわからないので、座っていたら、陽気なおばさんが声をかけてくれた。

「何か食べるなら、こっちへいらっしゃい。」腹減ったという顔をしていたのだろうか、おばさんに手をひかれて、子どものようについていくと、大きな台所のようなところに食べ物が積まれている。「さあさあ、何を食べる?おすすめは私が子豚から育てて仕上げたベーコンだよ、おいしいよ。」おおらかなのかシビアなのかよくわからない感じだったが、気にしない。「これも?これもこれも食べる?」うんうんといくつもの肉片をお皿に載せてもらう。「ピクルスも、キャベツは好きかい?」うなづき続けていると「本当にこんなに食べられるの?パイもおいしいけどね、あとは食べてからしなさいね。」おばさんに促されてテーブルに戻ると、今度はもっと陽気なおじさんにつかまる。

いつまでも明るい夏のことだ、何時から宴会をやっているのかわからない感じで、相当できあがっているみたい。「ねえちゃん、どこから来たんだ?」「日本です。」「へえ、学生さんかい?」「会社員です(ウソだけど)」「そうかい、大人なんだね、子どもかと思ったよ、じゃあ白ワインを呑みなさい、俺が作ったんだよ。」自家製のワインや肉料理を振る舞うのがホイリゲなんだろうけど、あんまり「私が作った」と言われるとなんだか少し腰が引ける。でも飢えているので、どんどん食べる。「うまいだろう?うちの奥さんが作ったんだよ、名人なんだよ、奥さんは」うんうんうなづいていると、ワインもどんどん継ぎ足される。お代はどうなっているんだか、だんだんわからなくなってくる。

ベーコンやハム、ソーセージはほどよい塩味で、脂が甘く、スモークが軽くて香りがいい。ここのおばさんは本当に名人らしく、みんな口々に腕前をほめている。それに冷えてきりっとした白ワインがおいしい、少し甘口なのだが、ブタ肉にはそれがよく合うのだ。「あんまりごくごく呑んじゃだめだよ、ゆっくりにしなさいよ。口あたりがいいから、よくみんな飲みすぎて歩けなくなるからね。」よく食べるいい子だとおじさんに気に入られてしまったらしい。楽しいよ、初めての場所なのに、なんだか家族みたいで。

突然、おじさんがスプーンでグラスをカンカンたたく。テーブルのお客が注目する中、大声で「おいみんな、俺は決めたぞ、このかわいい日本の女の子と結婚することにした!」おじさんにギュウギュウ抱きしめられ、ほっぺにチュウされ、何がなにやらわからない。その辺で酔っぱらっていたおじさんたちが、突然ヴァイオリンやらビオラやらを弾きはじめ、なにやらお祭り状態に突入する。結婚?今すぐ?ボーイフレンドに電話しなくちゃ…酔いすぎて言うことがおかしい。「そうかそうか、その男にあきらめろと言いなさい。」とか言われてまた乾杯。

…というわけで私は生まれて初めての求婚を、ウィーンの森に広がる美しいブドウ畑の真ん中にあるステキな庭園で、ベーコンにかじりついている最中に経験した。数分後、特製のパイをもって現れたおばさんに「ごめんなさいね、うちのバカ亭主、若いかわいい女の子を見ると、いつもくだらないことを言うのよ、気にしないでね。」とポンポン肩を叩かれた。ブドウ農家の風景とプロポーズ、大量のワインと音楽と、しっかりもののおばさんの素朴で手の込んだ肉料理のせいで、先のことなどどうでもよくなってしまった。

公用語はドイツ語なのだが、オーストリアでは「グーテンターク」というと渋い顔をされることも学んだ。ドイツ人と同じ挨拶はしないのだ「グリュースゴット」が正しい。ウィーンは地上を爆弾で粉々にされても、地下の水道は堂々と無傷で残り、見事に芸術の都として復活した。悪辣なアメリカ人ハリー・ライムに勝ったウィーン。イギリス人監督のキャロル・リードや脚本のグレアム・グリーンの意図はともかく、ハンガリー人のプロデューサーが、サスペンス映画のスタイルを借りながら、ウィーンを舞台に傷ついたヨーロッパを描いたことが、カンヌで評価された理由なんだろうなと思うにつけ、パリでもローマでもなく、地理的にも古来から欧州のヘソはここなのだと思えてくる。

あれからもう20年、泥酔してて場所も名前も覚えていない農家の庭先が懐かしい、もうおばさんもおじさんもいないかもしれないけど、チャンスがあればまたふらふら行って見たいなと思ったりしている。


モトカワマリコ

モトカワマリコ

フリーランスライター・エディター 産業広告のコピーライターを経て、月刊誌で映画評、インタビュー記事を担当。活動をウェブに移し、子育て&キッズサイトの企画運営に10年近く携わる。現在は、ウェブサイト、月刊誌プレジデントウーマンでライターとして、文化放送で朝のニュース番組の構成作家としても活動。趣味は映画と声楽。二児の母。