【第198話】よく泣く子は書き手に育つ。受けて止めてくれる人の存在が、生き方の姿勢をつくる / 深井次郎エッセイ

Carnagenyc

壁「これだけ話せば、だれか振り向いてくれるはず」

声をあげるのは、必ずだれかに届くと信じているからです
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受けて止めてくれる人の存在が
生き方の姿勢をつくる

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書き手は大きな赤ちゃんみたいだと、よく思います。書き手はなぜ書き始められるのか。それは、声をあげれば必ず届くと曇りもなく信じているからです。 赤ちゃんはよく泣いて、まわりに気持ちを伝えたり、ヘルプを頼みます。あの小さな体いっぱい振るわせて泣くのは、かなりの重労働。それでも声をあげるのは、必ずだれかに届くと信じているからです。 だれかが声に気づいて反応してくれる。

「手がかからなくていいわねぇ」たまに静かな赤ちゃんがいて、賢い子のように言われます。でも、本当はこわいことなのだとある精神科医の先生は言います。 親がゲームに夢中だったりして泣いてる赤ちゃんを放置しつづけると、そのうち泣かなくなります。表情もなくなってきます。どうせ声をあげたってだれにも届かないと絶望するからです。届かないなら省エネモードで体力を温存していよう、生き抜くために。そういう思考になります。

人はだれでも1冊は本を書くことができる。そうよく言っていますが、中には小さい頃に絶望してしまった人たちもいます。彼らが書き始めるのはリハビリが必要だなぁと多くの作家志望者たちを見てきて思います。 その点、人気連載『旅って面白いの?』の小林圭子さんを見ていると、編集をぼくがやっているのですが、彼女は書き手向き。旅先の慣れない環境でありながら、すらすら楽しそうに書いてきます。正確には海外ですので楽しそうかどうか、姿は見えないのですが、原稿を見ればわかります。言葉が跳ねているのです。

その昨日の第3話何もない素人である小林さんが、(ずうずうしくも)企業からの協賛を得るために35社にメールを送りました。まわりは「やるだけ無駄じゃないの?」という雰囲気の中、「やってみなきゃ、わからないから」と声を上げたのです。 たくさんメールを送れば、応えてくれる人がきっとどこかに1人はいる。そう信じられたから、行動したのです。

ぼくがクリエイター志望の学生たちを相手にするときも、まずたくさん泣きましょうねと伝えます。やりたいことがあったら、やりたいと声をあげる。嬉しいでも、悔しいでもいいから、声をあげれば少しでも世界は動くんだ。それをわかってもらうためです。 会いたい人にメールを送り、その一通が受け入れられて、思いもよらないことが実現してしまうこともよく起こります。そんなとき、「自分勝手に諦めないでよかった」と、みんな言います。 相手に断られたのなら諦めもつきますが、自分から諦めたのではもったいなさすぎます。

先輩方は、多少無理してでも下の世代の依頼を聞き入れてくれるものです。夢って意外と叶うよ、と伝えるために。応えることが先輩としての義務だとさえ思っています。声をあげた成功体験が人生に大きな影響を与えることを、自分自身も体験してきているから。

職場でもギャーギャー騒がしい人よりも、静かな人の方が賢く見えることはあります。 「ダメでもともと、やってみよう」と笑う人よりも、「無理でしょ。常識的に考えて」というクールな人のほうが理知的に見えるものです。 「この情報洪水のネットの片隅で、何を書いたって読んでくれる人なんていないよ」普通に考えたら、そうです。でも、書き手たちは違います。 だれかに届くまで叫びつづけることができるのです。生まれたての赤ちゃんのように、自分の未来を曇りもなく肯定しているのです。

「俺なんかにモノを言う資格があるのかな……」
「え、資格、そんなの必要? 」
「自分なんかが言ってもだれも聞く耳持ってくれないよ」
「言いたいこと言えばいいんだよ。声をあげれば、だれか応えてくれるもんだぜ」

モノを言う資格があるかなど、赤ちゃんは考えもしません。自己肯定感100%。どんな環境で育てられたかが、書き手に与える影響は大きいものです。

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(約1500字)

 Photo:Carnagenyc


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。