【第191話】がんばれと言うのに資格がいるのか / 深井次郎エッセイ

「燃えてますか」「はい、燃えてますよ」

「燃えてますか」

応援する人間は
応援される人間よりも
強くなければいけない

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「あなたを応援します」なんて簡単に言ってしまう。けれど、そう簡単に人を応援することなどできるのでしょうか。ぼくは「書くこと、つくること、教えること」をやっていますが、それらはすべて、新しいことを始める人たちを応援するためです。

新しい自分になろうとする時には、いろんな不安や葛藤もあります。今までの習慣を破るためには、大きなインパクトを与えないといけないし、それによってドライブがかかりすぎて事故を起こしそうになったり、大きく揺れるものです。その時に、必要な知識や仲間やコーチがいるとどんなに助かるか。

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映画 「フレフレ少女」 予告編

 

新しい何かに挑戦する人の応援がしたい。そんな思いでずっとやってますけど、応援する側の資格みたいなものもあるんじゃないかと思っています。この間、映画「フレフレ少女」を何の気なしに観てしまったのですが、それは高校生の応援団の話なんです。応援団って、熱い夏に学ランに下駄はいて、硬派とか、押忍とか言ってて、なんか変わった人たちだなと昔は思ってました。気合いとか根性とか、古くさくてダサいよねって。でも、いまこの映画を観たら、ぼくがやってることも学ラン着た応援団たちと同じなんじゃないかなと思いました。

応援団は、きついトレーニングがあります。運動部よりも過酷なランニングをするし、合唱部よりも大きな声で歌います。「なぜ応援する人が、きついトレーニングをしないといけないのか」 映画の中でも新垣結衣演じる主人公が、疑問を投げかけます。自分たちが野球の試合に出るわけでもないのに、体を鍛える必要はないわけです。

すると、先輩の答えは、こうでした。「応援する人間は、応援される人間よりも強くなければいけない。より努力した人間だけに、他人をがんばれと励ます資格がある」 だから、運動部よりも厳しいトレーニングに励まなければならないと言うのです。ランニングや筋トレをするかどうかは別として、応援する人は、自分も何かに挑戦していないといけません。

好きなことをやって生きていこうよ、夢もってやっていこうよと。ぼくらもやってるから、みんなもやっていこうよというのがぼくらオーディナリーの役割です。強い人間にならないと、人にパワーを送ることができません。いや、強くなくても、弱いなりにでも挑みつづける姿勢が、応援につながるのです。挑んでるかと自分に問いかけながら、やばい、いま挑んでないかも、えへへと照れながら、背筋をのばしてやっていきます。挑んでない人間に、挑んでる人を応援することはできない。気軽に「応援します」と言いそうな時にはいつも、「そう言う自分は挑んでるか?」と問いかけたいものです。

(約1067字)
Photo:Éole Wind


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。