メディア人間は
壁をつくらず
吸い上げよう。きっと梅雨なのだろう。
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きっと梅雨なのだろう。毎日雨ばかりだ。じめじめした気候は好きではないが、湿気っているせんべいは好きです。わざわざ湿気らせるまではしないけど、つい置きっぱなしで湿気ってしまったのを食べるのはうれしい。
しなっとした感触。この世界である外気と、せんべいがなじんだ感じ。ぱきっとした境界線が、多少あいまいになった感じ。
湿気ったせんべいなど許せない。そう竹を割ったような性格の人たちは口をそろえる。反対に、湿気ったのが好きな人も少数派ながらいて、「しみせん」や「ぬれせん」というジャンルがある。しみたせんべい、ぬれたせんべいである。ぼくはそれらが好きだ。せっかく表面に醤油を塗るのなら、少しはしみさせてほしい。
この世界のすべては粒子でできています。固いものも柔らかいものの、厚いものも薄いものも。粒の集まりなのです。面に見えるものも、細かく見ると、粒なのです。だから実はスキマがある。より細かい粒子になれば、スキマを通ることができるのです。ビニール袋に水を入れても漏れません。でも、水(H2O)よりも細かい粒子のものを入れたら、漏れてしまう。ザルで砂をすくうようなものです。
人間にも細かい粒子の人と、大きな粒子の人がいます。集団の中で、なじみやすい人とそうでない人です。粒子が細かい人は、他人に感情移入することもできるし、気持ちをくむこともできる。自分から話をふるし、意見を吸い上げる。他人と混じり合っていくのです。
メディアとは、「媒介するもの」です。混じり合って、吸い上げたり、もぐりこんだり、行ったり来たりさせるのが役割です。混じり合うのが仕事です。メディアをつくる人たちは潔癖に壁をつくって、乾燥剤をいれて、パリパリのせんべいを食べて喜んでる場合ではありません。ぐちゃぐちゃなカオスへの耐性が必要です。
朝食のシリアルだってミルクをしみ込むまで置きます。あれをサクサクのまま食べるなら、なぜミルクをかけるのか。揚げ玉もそうだ。うどんにのせて、汁にしみしみのテロテロになるのがいいのです。使い倒したタオルもいいですね。おろしたてのタオルは、水をはじいて吸ってくれません。
他人の意見を吸い上げる。しみたせんべいのような人でありたい。しみたせんべいはおいしいメディアである。
(約929字)
Photo: Cincono-