【第147話】みんな一冊の本を書いて生まれてきた / 深井次郎エッセイ

「よし、ここの夫婦に生まれようか」

「よし、721号室の夫婦のところに生まれようかな」

それぞれ自分なりの死生観をもつと
マイペースで歩ける

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勝手に信じてる死生観なのだけど、みんなシナリオライターなんです。生まれる前に自分でシナリオを書いている。「今度の人生では、わたしはこんな物語を味わいたい」と。詳しくこと細かに書いているものも入れば、大雑把に「最高の興奮を味わい、そして死ぬ」とだけ書いているものもいる。いずれにせよ、全員そのシナリオを書いた記憶を消してから、「よし、あそこの夫婦のところに生まれよう」と自ら選んでオギャーと生まれてくる。生まれる前に記憶を消すのは、より楽しむためです。はじめからストーリーがネタバレしてたら、ドキドキも半減してしまいます。

人生は、映画やゲームと同じ。悔しかったり、嬉しかったり、その幅が大きかったり、いろんな感情の種類やグラデーションを味わえた方が、面白いでしょう。人はいろんな感情を味わうために生きている。きっとそうだと思う。自分はどんなシナリオを書いたんだろうと想像してみる。きっと自分のことだから、主人公をきっと泣かせるし、悲しませるし、喜ばせる。山も谷も、緩急もつくる。そしてわりとベタだから、ぜったいにハッピーエンドにするはず。ちなみに、死のタイミングもあらかじめ、ざっくり決めてきています。いろんな人の話や伝記を読んでも、自分がなんとなく早死にするんじゃないかとか、80歳までは生きるだろうとかの予想がけっこう当たってる。それは、もともと自分で決めたからなんじゃないか。

いまぼくはしばらく死なないと思います。その理由は、まだ道半ばだから。ハッピーエンドになる前に死ぬようなシュールなシナリオを、このベタでシンプルでポップ志向のぼくが書くわけないと思うのです。だから、ピンチになっても妙に安心していられる。「いま、ここで物語が終わるわけないな。尻切れとんぼでシュールすぎる」と思うのです。

「なぜ自分ばかりが、こんな目に」そう嘆きたくなることもある。けど、それも自分で楽しむために書いたシナリオなのだ。「乗りこえられない試練はない」とよく言われるけど、自分で書いたシナリオだもん、そのままつぶれて終わるようなつまらないストーリーにはしないよね。もうダメか、というところから破壊と創造。逆転するから面白くなるわけで。

「ワクワクにしたがって進めば、人生がうまく回りだす」そう、いろんな方がよく言っています。これも、シナリオ自体は記憶を消してしまって覚えてないけど、うっすら覚えてて、体が反応するんだと思う。こっちの道だよって。SDカードのメモリーを間違って消去してしまっても、復元できるサービスがあったりしますよね。消しても、奥の奥でうっすらメモリーが残ってる。あの感じです。

ある本だけがなぜか光って見えて、その本を読んで人生が大きく変わったことが、ぼくにはあります。古本屋で偶然、棚からぼてっと落ちてきた。その本がきっかけで、大きなヒントを得たとか。そういう映画みたいな奇跡があります。「うっそーそんなこと現実にあるわけじゃないじゃん。フィクションだからって強引すぎて冷めるわ」これがもし映画だったら、そう突っ込んでるところです。けれど、そういう「曲がり角でぶつかった人と恋に落ちて結婚する」みたいなベタベタな奇跡が案外、普通にあったりする。確率論とか科学的に考えたら、到底説明もつかないようなことが起きるのが人生です。

すべて自分が書いたシナリオだということです。だから他人を責めないし、苦しみも味わい尽くして、また浮上するのです。両親は選べないというし、上司も部下も選べないという。でも、実は選んだのは自分のほうなのです。「母さんは、どうしてぼくを生んだの?」ではなく、きみが両親をえらんだのだ。ここに生まれれば、シナリオ通り有意義な人生を送れると思って。外見だって、自分で選んだ。こういう外見でいこうと。

修行として人生を生きるのか、アミューズメントパークとしてなのか、トレーニングジムとしてなのか。ジャンルは、ホラーなのか、コメディなのか、エンタメなのか、アートなのか。観客にどんなメッセージを伝えたいのか。詳細に企画して生まれてくる人もいます。ぼくはわりときっちり書くタイプな気がするなぁ。

次に何が起こるんだろう。映画を見て、なにも感情が動かなかったら、「観て損した」と思います。苦しむのも、何もないよりは楽しいことなのです。アップダウンの変化が楽しいのですから。いろんな感情を味わうこと。その経験を通して、器(魂)を大きくすること。これが生きる目的。それに最適なシナリオをそれぞれが自分で書いて生まれてきている。

今日の話は、まったく根拠ないし、科学的でもありません。ただぼくが「そうなんじゃないか。そうだったら面白いなー」って思ってるだけの「人生のしくみ」です。これが唯一の真実だー、とも思っていません。でも、ぼくはこれまでのいろんな人生の不思議のつじつまが合うし、なにより信じた方が楽だし面白いので、信じています。どの宗教を信じるでもない「マイ宗教」(ちなみにぼくは無宗教です)。ここら辺のことは、あくまで仮説で、100年経っても科学的には解明できないかもしれません。しかし、こういう自分だけの死生観があると、やみくもに死を恐れたり、誰かに腹を立てたり、実体のない不安に足をつかまれないようになると思います。

(約2018字)

Photo: Brandon Warren


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。