【第145話】遺伝を言い訳にする人へ / 深井次郎エッセイ

メビウスの輪のように不思議に見えた

8はメビウスの輪のように不思議に見えた

 

「ぼくは8が書けない」
遺伝にしばられた少年時代の話

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できないのを遺伝のせいにする。すると、「自分の努力不足だ、言い訳するな」と叱られてしまいます。でも、本当にそうでしょうか。ぼくは遺伝の呪縛を身をもって体験しています。

幼稚園の頃、はじめて数字を習いました。けれど、どうしてもぼくは8がわからないのです。あの書き順が理解できない。先生がなんども説明してくれました。「みんな書けましたか」「はーい!」なんて言っている。書けないのは、ぼくだけのようです。書き終わった人から、遊びの時間に入っていきます。ひとり抜け、ふたり抜け、いよいよ大きなテーブルにぼくひとり、ぽつんと残されました。まわりのみんなは、キャーキャー楽しそうに遊んでいます。「なぜみんなわかるんだ? あの複雑な書き順を」超エリートすぎるだろ、と劣等感を感じました。

「大丈夫?」
先生がよってきて教えてくれました。
「8は、こうして、こうよ」
ぼくの手をもって、なんどもなぞってくれる。

8の形自体は単純なものだとわかるのです。0が2個ですから。でも、書き順となると、ひねりが加わるので複雑です。どうしてもわかりませんでした。まるでメビウスの輪。魔法のように思える。全員できてるのに、自分だけアホである。この状況はキツいものがあります。 〈 もう限界だ 〉  ぼくは先生が脇見をしてるスキを見計らうしかありませんでした。0を2つ、まるっまるっと書いて、「できた!」 先生は、「お、すごいじゃない」と言いながら、じっと確認。「まあ、いいわ。今日のところは…」しかたなく解放されました。先生にはズルがバレてしまったのです。どうやら2つの0が微妙に離れていたようです。

帰りの幼稚園バスに暗い顔で乗り、家に着くやいなや、この悔しさを母に訴えました。

「ぼくは8がどうしても書けないんだ」
台所でトントンと夕飯のしたくをしている足にしがみつくと
「今きんぴら作ってるから」
火が危ないでしょう、とはじかれてしまいます。
「数字のことは、お父さんに聞きなさい。お父さん理系だから」

そういえば父親は、建築士。毎日のように図面に数字を書いていました。図面と向かい合っている父親に、「ぼくはバカかもしれない」。そう悩みを打ち明けました。

「そうか、8か…」

お前ももうそんな年になったかと頭をなで、ポパイが吸ってるようなパイプを手に取り、ゆっくりと火をつけました。

先生がいつも正しいとは限らない。まわりのみんなと違っても、自分のやりかたを通すことも必要だ。いいか、それが男というものだ。みんなと同じなんてつまらないだろう。そういう話をひと通りしてから、「いいか次郎、これが8だ」父がいよいよ8を書くと、はっ! ぼくの目も口も全開のまま固まりました。父は0を2つ書いたのです。「こ、これ、ちがうよ、8じゃない!」なんと父も8が正しく書けなかったのです。

ひるむな、息子よ。山の登り方がいくつもあるように、生き方はひとつじゃない。自分の道を行きなさい。たとえみんなに反対されても、男はひとりでも歩まなければならないこともあるものだ。いいかい、父さんは、いつだってそうやって生きてきた。

パイプをくゆらせながら、父は長々と男の美学を説いたのです。

それからぼくは変わりました。ヤダそんな屁理屈と思って、8の練習を続けたのです。努力の末、5年かけてようやく矯正することができた次第です。遺伝の力をこのとき思い知りました。外見が似てるとかならまだしも、親子2代で8が書けない。そんなことがあるのですから。そういうDNAなのです。努力だけではどうしてもできないことがあります。自分を責めつづけて壊れそうなとき。遺伝だからしょうがない、とあきらめると楽になることもあります。

 

(約1426字)

Photo: rvtr.com


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。