【第065話】かけがえなさの構造 -前編-

「いろんなことがあったよね」

「いろんなことがあったよね」


かけがえなさは

優秀さではなく
手間ひまでつくられる

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「かけがえのなさ」は、どこから生まれるのでしょう。「かけがえのない命」とは言いますが、「かけがえのない冷蔵庫」とはあまり言いません。でもどこにでもある冷蔵庫だって、かけがえのない存在になることはありえると思います。「かけがえ」というのは、替えがきく、交換可能であるということです。たとえば、捨て猫を拾ってきたとき、とにかく助けないとと思い、家に連れて帰った。友人や近所の人に飼ってくれる人がいないか、声をかけてみる。でもなかなか里親は現れません。2週間が立ち、子猫も目が開くようになった。ミルクを毎日飲ませて、1ヶ月もすると元気が出てきて、歩き回るようになった。けれど、あいにくもらってくれる里親はみつからない。本当は、猫を飼うつもりなんかなかったのに、しかたなく自分の家でそのまま飼うことになってしまった。と、こういうケースはよくありますが、最初は正直、子猫はだれに渡してもいいような存在でした。それが月日が経つと、手放せなくなる。たとえ「欲しい」という人が現れてもです。この猫が他の幾多の猫たちと比べて、特別かわいいかというと、そういうわけではない。どこにでもいるような猫とたまたま出会った。それでも今はかけがえのない存在になっている。他の猫じゃダメ。いつの時点かで、交換可能ではなくなったのです。

かけがえのない存在の代表は、家族です。血のつながった家族。ほかに代わりはいません。では、かけがえのなさとは、血のなのでしょうか。それも違いそうです。過去に「赤ちゃんの取り違え事件」がありました。たしかその赤ちゃんが10歳くらいになるまで、2つの家族は気づかなかった。でも、気づいたとき、お互いの家族はどういう行動に出たでしょう。育てた子同士を交換したか、そのまま行ったか。あなただったら、どうしますか? 子どもの年齢によるでしょうか。では、何歳だったら交換して、何歳だったら交換しないか。血のつながってる子が自分の子なのか、育てた子が自分の子なのか。という問題。難しい問題ですが、悩んだあげく、おそらく「育てた子を、そのまま自分の子として育てていく」と答える人が多いのではないかと思います。注いだ愛情は、血さえも超えてしまうことが出来るのかもしれません。

希少価値ではなく、対象にどれだけ愛情を注いだか。これ「かけがえのなさ」のポイントになると言えそうです。よく、ビジネスマンが会社にとってかけがえのない存在になるために、能力を磨いたり資格をとったり、残業して尽くして努力しています。交換可能にならないよう、他の社員とは違う希少価値をつくろうとしています。日本の近代教育は、交換可能な優秀な部品をつくることをしてきました。でも、もしかしたらぼくらが幸せになるための努力の方向は、そっちじゃないかもしれません。優秀であることは必要ではないかもしれないのです。

『星の王子様』で、こんな台詞がでてきます。「その薔薇が大切なのはね、君がその薔薇のために時間を使ったからだよ」事実、王子様が可愛がったそのバラは、どこにでもあるような普通のバラでした。バラが特別美しかったわけでも、珍しいバラだったわけでもありません。ただ、王子様がたまたまそれを選んで、水を毎日あげだした。時間と手間ひまをかけた。その行為が積み重なって、「このバラじゃないと」という愛着が生まれたのです。時間が経てば、たとえばタンスでさえ、かけがえのない存在になります。祖父の代から受け継がれて、毎日使っている桐ダンスを躊躇なく捨てられる人はいません。ということは、その人がどれだけ会社の売り上げに貢献したかではなく、会社のほうが彼にどれだけ手間ひまかけたか。こっちのほうがかけがえのない社員になるためには重要だと言えそうです。会社に貢献した量ではなく、一緒に共通体験をした、苦楽を共にした量です。共に過ごした時間、愛情を注いだ量が多い社員には、経営者はそう簡単にリストラすることはできないでしょう。

〈後編につづく〉

(約1668字)

Photo : marfis75


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。