自立を守るより
迷惑をかけあう関係から
かけがえなさは生まれる
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(前編はこちら)
ソニーがリストラをし、品川の「創業の地」を手放すというニュースがありました。創業者もすでに他界し、創業期に苦楽を共にしたメンバーもいまは社内にいないでしょう。リストラをする前に、「仲間なんだから痛み分けしよう」という発想にはならなかった。高い給料をもらっているのだから、みんなで給料を下げて、ひとりも欠けることなくこの難局を乗り切ろう、と言い出す人はいなかった。もう人数が多すぎて、一人一人の顔がわからず、つながりも希薄。同じ部署の人くらいは、苦楽を共にしますが、それにしても数年でコロコロと部署移動なり転勤なり、つながりを離してしまいます。そんな環境で、かけがえのなさを蓄積することは難しい。「営業ノルマをクリアしてる俺たちまで給料を下げられるなどごめんだ」となるのも仕方のないことかもしれません。そもそも社長自体もいつクビになるかもわからない状況。社長自身が「かけがえのない人」でないのに、社員を大切に扱うことはむずかしい。社長と苦楽を共にしても、社長自体が何年かするといなくなってしまうのです。ということを考えると、会社はできるだけ小さいうちにジョインした方が楽しそうだなと思います。
売り上げが伸びれば、物質的な豊かさは手に入るかもしれません。でも、それだけです。精神的な幸せとは、歴史を共有することにあります。簡単に言うと、一緒に苦楽を共にした仲間とじいさんになってから「あのときさ、もうダメかと思ったけど、うまくやったよなぁ。楽しかったなぁ」と思い出話をして笑い合う。それが幸せだと思うのです。自分が生き残るために、道中で仲間全員を切り捨て、今いるのは後から加わった新参者だけ。これでは、会社が伸びたとしても、むなしい。「あのときさあ」と言っても、歴史を共有している人がだれもいないのです。よくSFなどである自分だけ寿命が300歳で、まわりに同じ時代を共有した人がいない状況というのは、楽しいとは思えません。
目先の損得にとらわれ、ころころと簡単に人を切る人。こういう人は、かけがえのなさを蓄積できません。自分にとって「かけがえのない人」もできないし、自分もだれかにとっての「かけがえのない人」になることもない。これは寂しいです。利己的にふるまい出世することで、交換可能な駒や歯車から脱出できるかと思ったのに、そのせいでいつまでも交換可能なままになってしまうのです。
世界のトップカンパニーになったソニー。この会社はかつて「自由闊達にして愉快なる理想工場」として、盛田さん井深さんが始めました。ジョブズもゲイツも憧れて、盛田さんの前では、彼らも憧れのヒーローを見る子どものようになっていたといいます。盛田昭夫さんの弟子が、大久保秀夫で、その弟子のひとりがぼくということを考えると、ソニースピリットがぼくにも注入されているので、先のニュースは他人事とは思えません。カッコいいソニーでいて欲しい。
人は優れた能力があるから、かけがえのない存在になれるわけではない。手間ひまが、かけがえのない存在にするのです。教師がよく言う「バカな子ほど可愛い」というのは、それだけ手をかけたからです。いま、みんな自立しようということで、できるだけ自分のことは自分でしようと頑張っています。人に頼らないようにしている。でも、迷惑をかけてもいいのではないか。「迷惑をかけないように」ではなく、「迷惑をかけてもいいから、その代わり後でお返ししたり助け合ったり」という生き方の方が、よほど幸せだと思います。だれにも世話にならなかったら、だれのかけがえのない人にもなれないということです。(だからといって、迷惑ばかりかけるのも違いますが)
では、あなたが「かけがえのない表現者」になるにはどうしたらいいか。それは、読者に手間ひまをかけてもらうこと。たとえば、書くことを通して、読者に考えてもらうことです。こちらがすぐに答えを渡すのではなく、考えるきっかけを与えること。書き手と読者が物理的な空間に一緒にいることはできなくても、問いを投げかけて一緒に考える時間を増やすことはできる。ここらへんにヒントがありそうです。書き手がいつも答えを出していたら、読者は自分の頭で考えなくなってしまう。読者の思考力を奪い、受動的にさせてしまう。とはいっても、「わからない」というのはめんどくさいものです。めんどくさいものは読まれない。だから最初は、好かれないかもしれません。でも、一緒に面倒な体験をしたもの同志は、そこに絆ができるのです。
(約1751字)
Photo : babelux