【第058話】大丈夫な未来

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社会は確実に変わるけど
よくなっているので
心配ないよ

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昨日した、石蹴りの話。石を蹴っていると、犬のふんを間違って蹴りそうになります。それくらい子どもの頃は、道に犬のふんが落ちていたものでした。でも今は、ほとんど見かけることはありません。犬自体が減っているのでなければ、飼い主のマナーがよくなっているのでしょう。

あの頃、ヘドロだらけだった川もきれいになっている。ポイ捨てする人も減りました。ゴミの分別もあたりまえになったし、車や電車に乗る人もずいぶんと譲り合うようになったように感じます。自分さえ良ければいいという精神性の人が減り、思いやりをもてる人が増えてきました。

少年犯罪や若い親の愚行が報じられるたびに、最近の若者は大丈夫か。これから世の中はますます悪くなっていくだろうと言われます。そういう悲観的な言説を聞くたびに、どうしても首をかしげてしまうのです。

経済成長が止まるとか、格差が大きくなるとか、経済に関してはわかりません(そもそも経済成長が幸せとは思っていない)が、人の精神性は確実に良くなっていると思いませんか。少なくともぼくは生きている30数年での体感として、そう思う。

人々の精神性が高まっていて、技術の進歩もあるとしたら、昔よりもできることの選択肢は増えているわけです。悪くなるわけがない。明るい未来しか見えないのです。

こういうお気楽な明るい話をする人は、一般的には頭が悪そうにみえるようです。どうしてもリスクを列挙する悲観的な意見のほうが、賢そうに感じる。だから賢そうに見られたい人は、悲観的な話を眉間にしわ寄せながらするのです。

マスコミの話題の多くも悲観的な意見ばかりです。マーケティング的に不安がらせた方が儲かるからです。大衆を動かすには、恐怖を煽るか、快楽を提供するかの2パターンあります。恐怖を煽る方が、簡単にすぐ動かすことができる。不安にさせるのです。セキュリティーとか保険とか資格や教育もそうです。あなたこのままじゃマズいですよ、だからこれを買いなさい。このパターンばかりです。病気の危険を煽って健康食品を買わせたり、モテないと将来孤独ですよと、服を買いなさい、化粧品を買いなさい、車を買いなさいとそればかりです。どうせなら、恐怖ではなく、快楽を押す広告にしたほうがよほどクリエイティブで明るくなる。でもどうしても恐怖のほうがワンパターンで工夫しないでいいので楽なのです。

事故や事件などの悲しいニュースしか載らないのは、悲劇のほうが人の感心を呼びやすいからです。良いニュースはそれと同数かそれ以上に起きているはずなのですが。経済の論理で考えた時にそれはネタとして弱いのです。人は自分の見たいものしか見ません。「これからよくなる」という人よりも「これから悪くなる」と考える人の方が多い。となったら、悪くなる情報を与えた方が共感が集まるのです。経済的に言っても、人々を安心させるニュースは、消費に結びつかないから流さない。「このままで安心ですよ」と言ったら、人は動かず何も買い増すことはありません。

昔ほど「他人の不幸は蜜の味」だという精神性の人は減ったと思うのですが、どうでしょう。これも主観でしかないのでわかりません。心のあたたまるグッドニュースだけを集めた新聞という企画は昔からありますが、それが大きな部数で売れていく時代になったら、他のメディアも追随して明るいニュースを流しだすかもしれませんね。

世の中は、どんどん変わっていきます。変わるのはだれでもこわいものですが、良くなってますので大丈夫、心配ない。若いうちから老後を心配してやりたいことをやらないなんて、もったいないですよ。医療も福祉もすすんでいるし、助け合いの心も浸透している。やりたいことをやってください。

 

(約1556字)

 

Photo : garryknight


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。