【第028話】感覚のボキャブラリー

なんだこの人間の多さは

 

 

【インド旅篇】

 

想像が間違っていないか
それを確認するために旅をする

 

 

本当に百聞は一見にしかずか

旅をする理由は、人によってさまざまです。出不精というか、そんなに旅好きの部類ではないぼくは、海外旅行へいく若者が減っている気持ちもわかります。「書を捨てよ、旅に出よう」とか「百聞は一見にしかず」と説教し、体験していない人を未熟者という人もいます。

「体験してない人にはわからないんだよ」と武勇伝を披露する人にはいつも首を傾げてしまいます。想像力もなかなかすごいものじゃないかな。いや、正確にはわかりませんよ。でも忠実にかなり近いところまで接近させることはできるのではないか。

 

女子の気持ちがわかるか

「いじめにあった人じゃないといじめられる側の気持ちはわからない」と言われます。「男には女子の気持ちがわからない」とも言われます。そうだと思います。正確にはわからない。でも、体験したものにしかわからないのだとしたら、いじめられた人だって、わかるのは自分がいじめられた1つのケースだけなはずです。いじめられた人全体の気持ちを代弁することはできない。「わたしの場合は」ということでしか話せない。

 

想像力は体験に勝てないのか

バーチャルはリアルを超えられないのか。夏目漱石の『三四郎』でも言っていました。熊本より東京のほうが広く、東京より日本の方が広いという会話で「日本より頭の中の方が広いでしょう」と答えるのです。外に向かう冒険もいいけど、内に向かう冒険もたのしい。「ここではないどこか」へ行かなくても、「いまここ」にある公園のベンチであなたと話しているだけで全然たのしい。そういう変わった人間(ぼくのことです)もいるのです。

 

旅に出ず、本ばかり読んでいる人

かれらを頭でっかちだと馬鹿にする人もいます。でもあと何十年かの人生で、ぼくらはすべての体験をしている時間はない。そこは想像で補っていかなければなりません。本を読みましょう。

 

前方はこんな状態

 


自分の山を選ぶために

進路を選ぶ時も、見渡せばいろんな山がありました。起業して上場して日本を代表する大企業に育てる山もあるし、サラリーマンで出世競争していく山もある。世界を旅して旅作家として生きる山もあれば、政治家として日本をよくする山もある。一度の人生、それらの山を「とりあえず全部登ってみる」には時間が足りません。

登ってみたけど、やっぱり違ったというケースもある。そういう人ほど体験を重視しすぎていて、想像することを軽視しているように思います。株で儲けたり、会社を上場させて大金を稼いでも「あれ、おかしい。幸せじゃないぞ」というお金持ちもいる。美容整形して美人になったけど「あれ、思ったほど幸せじゃないぞ」という人もいる。苦労して登ってきたけど、そこには幸せはなかった。想像してた山頂の景色が違ったのです。かれらの想像と現実にずれがあった。

 

小さいのが自分らしい

ぼくが独立した2005年当時も会社をつくったからには大きくして上場してメイクマネーでサクセスでしょうと言ってる人も多かった。それがカッコいいとマスメディアでも言っていました。「小さくていいじゃん、田舎でもいいじゃん」と言ってたぼくらは、夢がないとか欲望が少ないとか、言われました。酸っぱい葡萄を例に、できない奴の負け惜しみと言う人もいました。出資しますよとやってきたギラギラしたベンチャー投資会社とした会話を覚えています。

「六本木ヒルズとかにオフィスかまえたいでしょ?」
「いや、別に。あんまり土のにおいのしないところは好きじゃないんですよね」
「上場目指さないの? 100億儲けられるよ」
「大変な思いして100億儲けてどうするんですか?」
「そしたらほら、何でも好きなことができるよ!」
「好きなこと。のんびり本でも読んで暮らしたいです」
「そうだよ、のんびり暮らせる!」
「あれ、それならもうすでにのんびり暮らしているからいいですよ」
「ん、ああ?」
「もう夢叶ってるみたいです、ぼく」

大きいものがいいものだと考える人と、自分に合ったものがいいものだと考える人。このパターンのかみ合わない会話はいたるところで起きています。すでにそばでいろんな経営者を見て行動をともにしたこともあるので、拡大路線の道もありありと想像することはできた。でも、そうなった自分を想像してもワクワクしなかったんです。肩の荷が重いな、そっちじゃないなという感覚だったので選びませんでした。

 

想像力をアップデートするために

良い本がつくりたい、というのが目標のぼくは、自らの想像力をアップデートしていきたい。人間のいろんな気持ち。いろんな状況の人に感情移入できるようになりたい。やさしい人間になりたい。(なりたいということは、まだまだやさしくないなぁということです)

そのために、悔しさや心細さ。喜びも恥ずかしさも、いろんな感情のボキャブラリーを増やしてストックしていくんです。言葉もわからず看板も読めない文盲の感覚とか、死体や下水が流れるガンジス川で体を清める感覚とか、自分の子どもの足を切り落として物乞いにしなければならない母親の気持ちとか、貧困を救うために目の前の一人の物乞いをまたいでいった社会活動家の気持ちとか。まわりのみんなが普通にできるのに自分だけできない悲しみとか、その悲しんでいる人をなぐさめても、「あなたにはわからないでしょう」と突き放されてしまうことがあります。

 

本当にわからないのでしょうか

くりかえしますが、完璧にはわかりません。でも、人間には想像力がある。もともとセンスがある人はいるし、だれでもある程度は想像力を上げていくことができる。なぜ人生経験のない子役が、親に捨てられたときの悲しい演技ができるのか。若い俳優が、未亡人の妻をあんなにもリアルに演じられるのか。想像力があれば、子どもでも若者でも、その立場になりきることが(ある程度まで)できる。過去の体験が少ないながらも、それを寄せ集めてみる。迷子になった時の心細い感覚とか、掴まっていた手すりがするっと滑ったとまどいの感覚とかいろいろを足して、その足したものを10倍に増幅させたりして目標とする感情をつくっていく。

石を演じなさいと言われて、自分が石になった感覚を想像できますか? せいぜい、石は暇だろうなぁくらいでしょうか。美人なのに「全然モテないんです」と言ってしまう感覚は想像できますか。無職のときに「最近なにやってるの」と聞かれた時に答えに窮する感覚は。

気持ちを推し量ることができるというのが、やさしい人間の条件であり、物書きとしての生命線ですから、感覚のボキャブラリーを増やしていきたい。

 

想像力が上がるといいこと

それは、事故が防げるということです。登る前から、あの山が良さそうだなとわかる。自分に合わない、しかも難易度の高い山に登ってしまって、ボロボロになりながらも登れたのはいいけど思ったより感動はなくて下山途中に力つきて救助を呼ぶ。そんな致命傷を追うような大事故は防げます。

また、想像力が上がると毎日が楽しくなる。状況を重ねることができるんです。たとえば、お風呂から上がってすぐに外の自動販売機に飲み物を買いに行く。なんだか楽しい気分になるのは、学生時代の仲間でいった合宿の感覚を重ねているからです。寒い冬にベランダで寝袋で寝る。すると登山のビバーク気分で楽しくなったりする。1つの出来事から何重もの類似した感覚のミルフィーユを味わうことができるわけです。この感覚はあれにも似てるしこれにも似てるという感じで、重層的に人生を味わえる。


そもそも本当にリアルですか

「体験してない人にはわからない」そう誰かを突き放しそうになったら、そもそも体験は本当にリアルなのかということを考えてみましょうか。「それって本当にあったの?」と聞かれたら確信を持ってそうだと言えることの方が少ない。今回のインド旅は4人でしましたが、帰ってきたいま4人で話すと、それぞれの記憶が違っていることがあります。どれが真実だったか、もうわからない。写真も映像も残していないと、「もしかしたら夢だったんじゃないかな」とわからなくなるときがありませんか。現実とはあいまいなものです。映画だって過去1000本くらい観てきましたが、観たそばからタイトルも内容も忘れてますし、日記もつけてないし、レンタルなので手元には置いてないし、「本当に観たのか、夢じゃないのか?」と言われたら、自信がなくなります。大学時代に上野で出会ったホームレスのおじさんとの交流も、本当に彼に出会ったのか。今となってはもう連絡もとれないし、もしかしたら映画だったか、夢だったかもしれません。たしか現実なはずですが、自信がなくなります。なんにも証拠がないのですから。自分の中に残った感覚を信じるしかない。だとしたらその体験は想像となにが違いますか。見るものすべてを映像におさめたくなる人の気持ちがわかります。眼鏡に取り付ける小さなカメラはぼくも欲しいです。そうやって記録保存しておかないと現実と想像との境界をはっきりさせておくのはむずかしい。実際にいじめを体験した人と、体験してなくても人から聞いたり、本を読んだり、映像を見たりして感情移入し想像した人の差はどれほどあるでしょう。かなりの所まで寄せていくことができませんかね。

 

頭の中の広大な宇宙

「本なんか読んでないで外に出な。百聞は一見にしかずだよ」静かに本を読んでいる人を笑う人には、読書家の頭の中にうずまいている広大な宇宙が見えていません。パスカルも「成熟していない人ほど旅にでる」とたしなめていますが、体験しないとわからないというのは想像力が足りてない。そういう意見もあるのです。

 

想像力があるとギャップが減る

インドのマザーテレサの施設の支援をしている日本の若者がいて、聞いたことがあるんです。どうしてこんな遠い国の人を支援しようと思ったの? よく感情移入できたねって。彼は一度もインドに来たことがない時から、恵まれない子どもたちに感情移入をすることができたと言います。最初のきっかけは大学の授業で話を聞いただけです。それなのに、つらさがありありと想像できてしまって、動かずにはいられなくなった。それで日本を飛び出してきたというのです。想像してたインドと、実際にきてギャップはあるかと聞くと、だいたい想像通りでしたという。こういう想像力がある人もいる。

 

想像と現実のズレをチューニングしていく

想像力はいつもアップデートしていきたい。その手段のひとつがやっぱり旅です。読書で想像を膨らまし、想像で追いつかないことは体験しておきたい。そのサイクルを回して、感覚のボキャブラリーを増やしていく。今だったらちょっとインドは疲れたので、スカイダイビングをやってみたい。あの飛行機の高さからパラシュートを開かずに落ちていく時の感覚。想像してみてはいますが合ってるか自信がないので、確認したいなぁ。逆に宇宙の無重力は想像できる。わざわざ苦労して宇宙にいかなくてもいいかな。たぶん想像と合ってると思う。そうやって、自信がないものは体験してみます。体験してみて、自分の想像と現実のずれをチューニングしていくのです。特に、においとか体の感覚というのは、映像に記録することができないので、しっかりと感じ尽くします。


今日のまとめ

•旅に出るのは想像と現実のチューニングをするため
•感覚のボキャブラリーを増やしていくことが、想像力につながる
•その想像力が人の心を動かすクリエイティブをつくる

という話でした。ではまた明日ね!

(約4648字)

Photo : N.Kumagai


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。