【第218話】風のような人は美しい / 深井次郎エッセイ

 

風は見えないけれど
その影響は見える

 

葉が揺れたり、髪がなびいたり、雲が流れたり。今日も窓からその様子をみて、ああ、外は風が吹いているんだと気づきます。

「注意すべきか、悩んでるんです」

ある若い友人Mさんが相談してきました。彼女は、小さなカフェでアルバイトをしている大学生。かれこれすでに6年も働かせてもらっていて、いまやアルバイトの中では一番の古株です。オーナーは老夫婦で、彼女がバイトを始めた高校時代からずいぶんとやさしくしてもらっている。まるで祖父母のような存在です。

事件は、新しい高校生バイトくんが入ってきたことから始まります。彼は、休憩時間になると、商品である紅茶やときにはケーキにまで手を伸ばし、つまんでしまうのです。初めて見た時は、「え… 」と思ったけど、Mさんは見て見ぬ振りをしてしまいました。同じバイトという立場ではありますが、先輩として、古株として、注意すべき。だけど、どんな顔して注意していいのかわかりません。

そうこう思いあぐね日々が経つうちに、その高校生の仲間数人がバイトとして採用され、フロアに立つようになりました。勢力が拡大されていったわけです。

「ここのバイト、超ラクだからやりなよ」

そう仲間を誘っているようです。もちろん休憩時間になると、仲間にもすすめて、商品に手をつける。

「食べちゃってOKだから」

これはもうさすがに注意しないといけない。このお店だって、経営的にカツカツなのは知っている。オーナーのおじいちゃん、おばあちゃんとの以前した会話が思い出されます。

「昔はよかったけれど、このごろは厳しくてね、こういう個人の古い店は… 若い人には趣味が合わないのかね」

「そんなことないですよ! わたし、このお店好きだし、ケーキもこの辺じゃ一番美味しいと思います」

古株の自分が注意しないと。でも一歩が踏み出せない。「なに良い子ちゃんぶってるんすか」そう逆ギレされるかもしれない。いままで黙認してきたのに、今頃になって注意するのもどうなのか。彼らの仲間は多いので、バイトの中で孤立して、今後働きにくくなるのも避けたい。

オーナーに言ったほうがいいな。いや、でも彼らのことを「元気のある良い子たち」と思っているから、影で裏切ってると知ったらショックでガックリきてしまうかもしれない。ああ、どうすべき。

そんな相談だったのです。ぼくは、それは注意すべきで、どういう言い回しで注意したら良いか、そういう場面は、今後社会人になりリーダーになっていったら必ず出てくる。意見を伝えながらも関係をこじらせないようフォローするやり方を、いまからできるようにならないといけないよ。と話しました。

「やっぱりそうですよね、わかりました… やってみます!」

しかし、年のせいもあるのでしょうけど、そのオーナーも管理が手薄ですよね。紅茶はともかくケーキが減ってたら、その日の売上げと照らし合わせて異変に気づきそうなものですが…。

後日、Mさんが晴れた表情でやってきました。

「あの件、解決しました!」

「お、注意できたんだ? よくがんばったね」

「いえ、それが… 注意はできなかったのですが… 」

「え、じゃあどうなったの?」

ことの顛末はこうです。

「よし、今日こそ注意するぞ」

その日、Mさんが意気込んでカフェに向かうと新人アルバイトの方が入っていました。小学生のお子さんがいるママさんでした。子どもが学校に行ってる昼間だけ働かせてほしいと応募してきたのです。

古株のMさん、高校生バイト君、新人ママさんがその日のメンバーです。いよいよ、休憩時間になりました。「今日こそ注意するぞ」と決めているMさんに緊張が走ります。高校生バイトくんは、いつものように紅茶に手をつけます。そして、ケーキにも手を伸ばした、そのときです。

(よし、いくぞ)

Mさんが意を決して立ち上がったところ、それよりも一瞬早く動いた影がありました。ママさんです。

「おいしそうよね、ここの紅茶… 」

「へ… !?」

なに、もしかしてママさんまでもダダ飲みをするのか! と固まったところ、ママさんが向かった先はレジでした。

「わたしもいただこうっと。紅茶ください」

ちゃんとお金を払って買ったのです。

「うーん、やっぱりおいしいわね」

それ以来です。高校生バイト君たちは、商品に手を付けることはなくなったといいます。というわけで、結局だれも注意することなく事件は解決してしまいました。Mさんは「大人の機転を見ました… 」と感心していました。

「そうだね、さすが年の功。子育てを経てきてるだけあるね」

もし、ぼくがその場にいたら、何をしただろう。きっと相手を説得していたでしょう。自分の得意技は、言葉だし、伝えることだし、ついついそのアプローチばかりとってしまいます。

ところで、ママさんは、高校生たちに注意しようとして行動したのでしょうか。それは彼女にしかわかりません。お店に入ったばかりで事件の状況も知らないはずで、もしかしたら、何も考えずたまたまそういう行動をとっただけかもしれません。

なんだか風みたいだなと思いました。直接彼らに声をかけなくても、その存在だけでまわりを動かし、意識を変え、解決してしまった。ずっと悩んでいた問題を、一瞬です。だれとも戦うことなく、しこりを残すことなく治めてしまった。

風は、何かを動かそうとして吹いているわけではありません。ただ吹いている。自分の色もないし、においもない。風の姿は見えません。目立たないし、主張をしない。けれど、草がゆれたり、風鈴が鳴ったり、まわりのモノが動くことでその存在を確かに感じます。そのものは目には見えないけど、まわりの動きをみて、その存在を知る。風のような人は、美しいと思います。

 

(約2304字)Photo:きうこ


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。