【第021話】いつもの暮らしがスポーツだ

 

【インド旅篇】

向かってくるからこわい
向かっていけばこわくない

 

インド人の反射神経はすごい。道路を渡るときも、信号が1つもないから、車を交わしながら渡るしかない。トゥクトゥクは常にアクセル全開、クラクション鳴らしっぱなしで突っ走る。

そんなに急いでいないくせに、全力で走る。あと1センチでかするというギリギリのところで、接触を免れたりする。「もう、ぶつかる!」というヒヤヒヤの連続。もしこれが日本だったら、間違いなくツイートしてる。「いま、ありえない運転の車がいて、危ない目にあったなう」思わず愚痴ってしまうレベルの危なさが15秒に1回くらいのペースで起きる。

インド人はそれでも、落ち着いている。風のようにすり抜けていき、不思議と事故が起きていない。流れに身をまかせて、風には交通事故はないかのようである。

スノーボードの感覚だなと思った。初心者のうちはスピードが出てくると、景色がこちらにビュンビュンと向かってくる。向かってくると思うと、こわくて腰が引けてしまって転ぶんですね。腰が引けると制御ができなくなる。こわくて体も固まるし。

逆に景色の中に、前のめりで飛び込んでいく感覚に切り替えれば転ばない。ちょっと勇気を出してこちらから向かっていくと、こわくない。制御もできる。

こういう身体性が日常の中にある。インドでは普段の暮らしがスポーツだ。

「ついてこれる?」

最初は、道も渡れなかった。でも車が途切れるのを待ってたら、日が暮れてしまう。コツとしては、堂々と道に飛び出ること。かわそうとするんじゃなくて、むしろ当たりにいこうという気持ちで前に出る。すると、バイクや車のほうがかわしてくれる。余計な動きをむしろしないほうがいい。牛がのんびりと道路を横切るけど、だれもぶつかっていない光景をみればそれがわかる。「車は急に止まれない」って教わったけど、ここインドに限っては、急に止まれる。彼らの動体視力と反射神経は、ぼくらとは違うなと思った。

昔、『水曜どうでしょう!』とか『電波少年』とかテレビ番組で行き先を明かされないで旅に連れ出されるものがあった。あれも、タレントはなんでそんなにこわがるのかなと思ったら、向かってくるから、こわいんだろうな。スノーボードの腰が引けちゃってる感じ。

こちらから向かっていけること。
自分で決められること。
これがあれば先が見えない人生も、こわいだけのものではなくなるだろう。

タクシーも自分で選ぶ。乗り物に乗る時、向こうから「タクシー乗らないか?」と積極的に勧誘してくる人は断ることにしていた。自分から声をかけていくと、不思議とぼられることもなかった。なるべくもの静かでガツガツしていない人に声をかけていくといい。それでもたまにぼられることもあったけど、自分で選んだんだから後悔はなかった。外れクジひいちゃったな、残念という気持ち。

『天国に行けないパパ』という大好きなコメディー映画があって、そのことを思い出していた。余命3ヶ月と診断されたお父さん(刑事)が、息子に保険金を残すため殉職しようと頑張る。犯人を追いながら、わざわざ殺されようとするんだけど、なかなか殺されなくて、「頼むから、俺を殺してくれ」と犯人に向かっていくんだ。犯人は、気持ち悪くなっちゃって、「なんだよ、お前! こっちくるな」って逃げていっちゃう。死のうとして色々無謀なことをするのに、それがなかなか上手く行かない。むしろ難事件を解決して、表彰状をもらってしまったりする。死に向かっていくやつが一番強い。これが人生の真理だなぁと学生の頃、何度もくり返しみてた。クビになったらどうしようじゃなくて、むしろ早くクビにしてくださいと思えたらこわいものなしだよね。そういうときこそ、堂々としてるから上手くいってしまうもの。おもしろいよね。

 

(約1540字)

Photo : N.Kumagai
Movie : M.Kawanishi


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。