【第020話】空気みたいな人でいい

忘れられてもいい

【インド旅篇】

なぜ死ぬのがこわいのか
痛み以外の何かとは

ガンガーのほとりに死体が置かれていた。ぼくがここで死んだらどうなるかな。一瞬考えてみたけど、別に何も変わらないだろう。ちょっと悲しむ人もいるだろうけど、またいつもの日常に戻るだろう。それでいいし、そうなって欲しいと思う。

「なんで死ぬのが怖いんだろうね」という話をした。死ぬ時の痛みが怖いというのはみんな共通。他に「自分の存在がいないのに、世界が普通に続いていくのが怖い」という意見があった。自分の終わりと一緒に、世界もそこで終わってしまえば怖くないのだという。

いったいこれはどういう気持ちなんだろう。「忘れられてしまうのが、こわい」ということか。

ぼくにはこの感情はない。生きてるうちに、友人に「お前だれだっけ?」と忘れられたらつらいけど、死んだらさくっと忘れてもらってかまわないと思う。死んだ後まで、人々の記憶に残りたいとは思わない。墓も別にいらない。でも、名前も存在も忘れてもらっていいけど、何か1つ後世の人々のために良い影響を与えたいという密かな願望はある。

焼かれて灰になる(バラナシ)

いなくなっても変わらない。ぼくも含めて、たいていの人がそうだ。いなくなっても変わらずに地球は回っていく。

「きみがいないと困るんだ」と誰かに頼られると嬉しいという。そういう、なくてならない存在になろうとみんな頑張るのだ。高熱が出ているのに出社するビジネスマンがいる。休めばいいのに、行くと言う。「私が行かないと、仕事が回らないから」 本当はそんなことない。社長だって、部長だって、一日や二日いなくても回る。悲しいけど、ちゃんと回ってしまう。

みんな実はうすうす気づいている。
「自分がいなくても回るんじゃないか」
でも、休めない。
「あの人、別にいなくても困らないよね」
この事実が露呈するのが怖くて、休めないと言う。

就活のグループディカッションもそうだけど、目立とうとする。存在をアピールするために、声を大きくしたり、無理に仕切ったり。テレビでも芸人がひな壇でガヤガヤしている。会社でも、いる時に目立つ人ほど、いなくなっても気づかなかったりする。いる時に目立つ人よりも、いなくなった時に目立つ人が、本当の縁の下の力持ちだ。普段は全然目立たないんだけど、失って初めて気づく。「そうか、あの人がいないと困るなぁ」

縁の下の力持ちって、自己アピールも下手なので、採用する方も見落としてしまうものだ。地味で空気みたいな人ほど、丁寧に話していきたい。すぐにはわからないけど、同じ釜の飯を食ったり、いっしょに山登ったりしていくと魅力がわかるんですよね。

全然話さないから、魅力が伝わりづらいんだけど、その人の書いてるブログを読んだらすごい、ということはある。書く人って、基本的に暗いから。人見知りだし。くよくよするから書くんだし。

何が言いたいかっていうと、いるときに目立つ人よりも、いないときに目立つ人があなたにとって本当に大事な人かもしれないよってこと。「空気みたいな人」って馬鹿にするけど、空気はなくなったら死んじゃうんだからね。

(約1225字)

Photo: N.Kumagai

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。