【第022話】蝶のにおいがわかりますか?

『未来をつくるクエリエイティブ』USTREAM社主催 番組収録にて(2012年)

『未来をつくるクエリエイティブ』USTREAM社主催 番組収録にて(2012年)

 


芸術としての伝達とは

 

「うまく伝えるにはどうしたらいいですか」
書くとか話すということをナリワイにしていると、こう聞かれることがあります。「好きなこと以外は話さないほうがいいですよ」たったこれだけのアドバイスで変わるからおもしろい。

話すのが下手な人でも、好きなことについては話せます。下手だしマニアックな専門用語とか出て来てしまったり、ボキャブラリーがないので「とにかくすごいんです」を連呼してしまったりで、聞いてる方はよくわからない。でも、その熱のようなものは伝わります。

「天才は1%のひらめきと99%の努力」は1%のひらめきがいかに大事かという話です。この場合の1%にあたるのが、熱なんです。熱がないと人は動かない。論理的にデータなどを出してパワーポイントで理路整然とプレゼンをする。上手いなぁと思いますが、さらっと流れてしまうし、心が動かないんですね。

伝えることには、信号と芸術の2種類があります。多くの人が信号としての伝達をするんですけど、止まっているものを動かすには芸術が必要です。歌と同じ、芸術です。歌も、きれいとか上手いとか音程が正確だとか、それだけでは感動はしない。すごいね、とは思いますけど、動かない。「きみの言ってることは正しいけれど、面白くない」ってやつですね。

歌だったら思いを込めるとか、言葉だったら言霊を入れる。頭の中にイメージをありありと描いて、それを相手の脳みそにそのまま流し込む。接続するんです。あるいは、包み込むとかその感覚はそれぞれだと思いますが、そういうテレパシーみたいなものがある。それはとてもフィジカルな行為なのです。

『キュレーション学』にて (2011年6月)

自由大学で黒崎さんが講義をしたときに、みんな「面白かった」とか「すごくよくわかった」とかポジティブな意見ばかりだったので、じゃあこれをZINEにしようって、ICレコーダーで録音してものを、文字起こししたことありました。そしてあとで読み返したんですけど、話があっちこっちダンスして文字だけではわかるものにはならなかった。よくこれでみんな「わかった」っていってたなぁと。でも、わかるんです。話すのは文字とは違うので。こういう人は言葉が音楽であり、芸術として話すのです。

書くのも「信号として書く人」と、「芸術として書く人」といて、後者は起承転結とかいらないです。書きたいところから書き始める。桃太郎だったら、鬼退治にいくぞと旅立つ日から書けばいい。順番なんて気にせずに、途中で「そういえば」ってことで、回想シーンにいけばいい。「そもそも桃太郎がこの家に来たのはね、川から桃が流れて来たんだけどね」って。

自分の気持ちがのってる、いまこの瞬間に書きたいことから書く。これを意識すると書く方も楽しいし、不思議と読む方も楽しいんです。

いま、この瞬間にやりたいことをする。相手に喜ばれそうな話を、と思ったって、初対面じゃわかりようがないですから。とにかく自己紹介として自分の今この瞬間に好きなことを話す。山岳民族の集落を訪れると、歓迎の太鼓を叩いてくれますね。あの楽器のセッションと同じです。何か、太鼓を叩きたいリズムで叩く。それへのアンサーとして、相手は何かを発してくれる。

何か良いこと言おうとか、気に入られる話を、なんて邪念があると熱は下がる。もともと人間にも、あの熱が赤くなって見える赤外線サーモグラフィーが組み込まれてる。話の内容じゃない。相手の熱を感じてるんです。心理学者メラビアンの研究でもある。人を動かすのに影響を与えるのは、話の内容は7%のみ。あとの93%は聴覚と視覚情報だと。この93%にあたるようなサーモグラフィーで赤くさせるのが、熱ですね。

子どもの頃のコミュニケーションって、いつもそうだった。友達と3人くらいで魚をとりながらいろんなことを話してたけど、議論なんかしていない。会話は全然かみ合ってない。「この川は、夕方のほうが釣れるね」みたいな話をすると「クリスマスに手品セットをもらった」とか「図工の時間に、彫刻刀がさ」みたいに、おのおのが言いたいことを言ってるだけだったりする。あれは音楽なんです。セッションしている。

おばあちゃんたちの集まりの会話もそう。「孫がね」とか「畑がね」とかおのおの好き勝手な話だけして、途中に「そうなのよねぇ」みたいな全体的な相づちがあって、暗くなってくると、じゃあそろそろさようならと帰る。会話は成立してないように見えるんだけど、それでいいのだ。その場に降りて来たひらめきみたいなものを、つかまえる。みんなで自分が好きなものを持ち寄って、テーブルに載せる。そしてその中から、おのおのが受け取りたいものを受け取って帰ればいい。

議論やディベート。説得するためのプレゼンのようなコミュニケーションと比べると、それは幼稚だと言われますが、実はすごく高次元なものなのです。輪になって話す時に、いまはこの人が話すタイミングだなとか、場のエネルギーが移っていくのを感じる。グループに分かれて話してるけど、隣のグループの会話も聞こえてて、そっちの話にも加わったりする。仕切る人なんかいなくても、みんなで同じ場に集まって、自由に好きなことを話してそうやって智恵さえも共有されていったんじゃないかな。

講義でも、それぞれの発表の機会も設けますが、ぼくはその順番をいつも自由にしています。おのおのが行きたいタイミングで、話してもらう。「じゃあ、私いきます」とやってもらう。つねに状況は流れているし、みんなで形成している場のエネルギーも移ろっている。そういうライブなものを最大限に活用したいし、そういうエネルギーの存在があるんだってことを知って欲しいと思うんです。スポーツで言えば「流れ」の存在です。

だから、会議で寝ちゃう人とか、帰りたくなったらすっと帰る人がいてもいい。それはもちろん個人の性質もあるけど、場がつくった現象だから。みんなでその状況をつくったんだよね。

芸術とか、熱とか、場に漂うエネルギーの存在を意識してみると、単なる信号としての「上手なプレゼンテーション」とは違うレイヤーの存在に気づきますよね。

「人に何かを伝えたいなら、好きなこと以外は話さないように」とぼくが言うのは、それ以外にこの熱を帯びさせる方法を今のことろ発見できていないからです。心のサーモグラフィーでみればすぐわかってしまう。女性は特にこのセンサーはよく働くでしょう。目の前の人が本気か否か、すぐわかってしまう。「あなたそれ、本気で言ってますか?」プレゼンの後に真顔で問うと、たいていのビジネスマンはドキッと固まる。

「あなたのここがダメ、ここが嫌い」とえんえん訴えてる人がいますが、そこに熱は発生していない。たしかに一見熱そうに見えますが、体はぐったりするばかりじゃないですか。嫌いなことは話さなくていい。「こういう状況になったら嬉しい」と、それだけを話せばいい。それが、「生きる喜び」としての芸術です。だから、その熱が人に伝わり、動かす。

「好き」は伝染するんです。ランナーなので話は決して上手くないんですが、その人と話すとどうしてかランニングをしたくなる。そういう人がいる。彼は「みなさんランニングをしましょう」なんて一言も言ってない。むしろ、「はまるとけっこうこれが大変なんですよ。中毒性がありますので困ったものです」とか言ってるのに、こちらはやってみたくなる。「大変ですからやらない方がいいかも」と彼は止めてるのに、聞き手は熱のほうに影響されて走りたくなるものなんです。

だから話し手、先生たちに大事なのは、その先生自身が楽しんでいることです。いま現在、面白いと思ってることを話したらいい。ただの信号としての伝達、知識や情報だったら、先生じゃなくてもネットにも本にも転がっている。それで十分じゃないですか。子どもに本を読ませたい親は、まず自分が読書を楽しむこと。子どもと一緒にいる空間で、あなたの背中を見せるんです。

最近、「飛行機で泣く赤ちゃん問題」が話題になりました。隣の赤ちゃんがうるさくて、舌打ちをしたというのです。その人のツイートに対して賛否は議論しませんが、なぜそんなに嫌うのかなということを考えてみると発見があります。

「赤ちゃんや騒ぐ子どもが苦手」という人は確かにいます。嫌いなものに出会った時、自分のエネルギーが落ちた時、なぜなのかなと考えてみる。そうすると、もしかしたら自由な赤ちゃんに対する嫉妬があるんじゃないかと気づいたりする。泣きたい時に泣けるっていいよな。寝たい時に寝られるのもいいよな。お母さんに守られてて孤独じゃないっていうのもいいよな。好きな時に好きなことできていいよな、とか。

大人は、感情を出すこととか、自由奔放に振る舞うことを抑圧して生きています。この方は「大人とは、そうであらなければならない」という自分に厳しい方なんだと思います。でも同時に、その役割演技がすごくしんどいなと思っていて、疲れてしまっている。

そのツイートした方についてはわかりませんが、少なくともぼくの知り合いにはそういうビジネスマンがいた。大人は、常に冷静で理性的でなければならないという堅物だったのですが、「もっと無邪気でいいんじゃないですか」。好きなことをやるように薦めたら変わってきた。

小さいころ好きだったという虫取りを始めたんです。週末に森にいって、虫取り網もって蝶を追い出した。「蝶のにおいが好きなんですよ。生きてるってにおいなんですけど、わかります?」とか言ってて、ぼくは鼻がよくないので全然わからないんですけど、いいエネルギーなんです。

自分の中の「大人とはこうあらねば」を溶かして、感情をやわらかくした。そうしたら騒ぐ子どものフリーダムな動きにもイライラしなくなってきたようです。ついでに、大事なプレゼンの日に遅刻した部下にもイライラしなかったと笑ってました。

嫌いという感情は、あなたに何かを伝えています。それを読み解くと、あたらしい自分になっていくはず。

まとめましょう。伝えることには、信号と芸術の2種類がある。芸術としての伝達には、熱が必要で、それはその瞬間瞬間に好きなことをやるということから生まれる。だから、好きなことについて話せばいいんだよ、という話でした。また明日!

 

 

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深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。