【第014話】美味しいクリエイティブをつくる

みんなでホットドッグをつくりました


地層と動きが美味しさをつくる

学校の給食で変わった食べ方をしている生徒がいた。一品ずつ片付けているのだ。まず、みそ汁だけを全部飲み干す。それがすんだら、ご飯だけを全部平らげる。その次に、肉じゃがを全部、というように。最後に牛乳を一気に飲み干した。

この食べ方を発見した先生は、「思わず注意してしまいました」とぼくに笑って聞かせてくれました。先生は、「それぞれ少しずつ交互に食べなさいね」と教えた。食べ方での体への影響とか、マナーとかよくわかりませんが、見ててとにかく「気持ち悪かった」のだそうです。

なぜ、気持ち悪いと思ったのでしょう
野菜を先に食べてから肉を食べたほうがいいとか、太りにくいと言われる食べ方は色々あるようですが、それはさておき多くの人たちは、なぜ少しずつ交互に食べるのか。

それは単純に、「交互に食べた方が美味しいと感じるから」です。いろんな味がコロコロと変わっていくというのが、美味しいのです。日本料理も小皿がいくつも並んでいるし、単品のラーメンだって、スープにはたくさんの種類のエキスが溶け込んでいる。複数の味を小刻みに経験することが美味しさなんですね。

生きることは「苦」である
そう仏陀は発見しましたが、肉体を持っている以上、苦しみは避けられない。苦が基本なのだということです。ずっと座り続けていると苦しくなって、立ち上がる。でも立ったままだと、それも苦しくなって、歩いたり、また座ったりする。どれを選んでも、それだけ1つを続けるというのは苦しいのです。

ジョン・ケージの『4分33秒(4’33″)』
この演奏にはどんなメッセージがあると思いますか? 楽譜も売ってる 

 

たとえば、ピアノも単音だけずっと一定に鳴り続けていたら苦痛でしかたない。一瞬一瞬、複数の音が跳ねて動き回っているから、音楽はここちよく、喜びを感じるのです。ベースとドラムに音の層を積んでいき、ボーカルも複数のせるとか、オーケストラのように、多くの楽器が重なり合っている。その複雑さを美しい、気持ちいいと感じるのです。同じ曲でも飽きずに何度も何度も聴く人がいるのです。反対に電子音でつくった、何回か聴いてすぐ飽きてしまう音楽もあります。

生きるとは何か
この哲学的な質問も、死んでいる人と生きている人の違いを考えればわかります。登山漫画『岳』でも、遭難者が救助される話がよく出てきます。救助ヘリには、生きている人しか乗せることができないルールがある。遺体は、崖の下に放り投げるか、ヘリの下にロープでつり下げて輸送し降ろします。遺体になると人ではなく、モノ扱いになってしまうのです。その場面が描かれるたびに、厳しい線引きだなと考えさせられます。

さて、生と死を分ける基準とはどこにあるのか。細胞でも脈でも心臓でも、「体が動いているか否か」です。生きるとは、動くことなのです。「人生とは何か」と聞かれたとき、その答えは人それぞれなんでもいいんですけど(この質問に答えはないので本当に何でもいいんですよ)、何も面白い答えが思い浮かばない時、ぼくは「動きである」と答えています。

たくさんの種類の「苦」を散りばめて、それを交互に入れ替えながら騙し騙し生きているんですね。「苦」とは止まること。反対の「快」とは動くことなのです。生の喜び、幸せとは、動きなんです。

なぜ旅に、冒険に惹かれるか
なぜ踊るのか、歌うのか。それは死を避ける人間の本能です。安定とか、混じりけのない均一で止まった状況というのは、「死」を予感させる。死、そのものなのです。だから安全、便利、快適な高層マンションの部屋で「苦しい」と言って自殺してしまう金持ちがいるわけです。クビになる心配のない安全な公務員を辞めてしまう人がいるのです。動きが苦を和らげる。動いていないと死ぬのです、生物は。

アートとは生きる喜びを伝えるものだとすれば、生命力を感じさせるのは、動きであり、複雑さ、ランダムさにヒントがありそうです。

デジタルのベタッとした均一のデザイン。均一の一色で固定化されたプラスティック、アスファルトの部屋。そこには椅子も本も何も置いていない。そんな独房のような空間に長時間いたら、だれでも気が狂います。

反対に、木目の壁だったり、石の模様に、藍染めの布に、貝殻の模様に、手で描いたグラデーションが美しいアートが飾ってあって、窓の外の景色は四季折々変わっていく。そういう場所なら、ずっと部屋の中にいられるかもしれません。木目だったり、貝殻だったり、眺めていても飽きないモノには、そういうランダムな層がありますね。

愛を語るマルクス
あまり知られてませんけど、『資本論』のマルクスも経済や貨幣について難しいことばかり書いていると思いきや、若いころ、愛について書いているんです。『経済学•哲学草稿』という本です。おカタい学者の中で、「愛が大事」とか抽象的なふわふわしたことを言うのは気がひけたのではないか。愛だの思いやりだの言っていると、学者として賢そうには見られない風潮もあるだろうし。

経済、エコノミクスの語源は、ギリシャ語のオイコスノモス。これは、「家(オイコス)とそのルール(ノモス)」という言葉で、「家族がよりよく暮らすための方法」という話。もう少し広げて隣人愛ともいえる。

経済とは、本当は愛とか思いやりの話なんです。「自分が得することばかり考えてはいけませんよ。他人を愛することによって、かえって自分自身が愛される人間になるのだ」 それが貨幣が間に入ることよって、病的に暴走してしまう。その暴走を再び健康な状態に戻すことができるのは、「ただ愛の力だけだ」とマルクスは語っている。臆することなく、愛を口にした、乱発していたんですね。若いころの彼は。

マルクスは、愛の上に、貨幣の話を重ねていった。こういう、厚みがある人物は人を飽きさせない。だから彼に興味を持ち、彼を研究する人がたくさんいるんです。まさに油絵のようにどんどん絵の具を重ねていく。下の方に描いた「愛についての絵」はもう見えなくなってるんだけど、存在だけは厚みとして感じることができる。地層のようになっている。

今日は、美味しくて飽きさせないクリエイティブとは、という話をしている
それは、複雑に、ランダムに、カオスに、地層をつくっていこう、ということだ。では、あなたが今できることはなんだろう。他ジャンルの仕事を渡り歩き、地層を重ねていくのも大事だ。あとは一人だけでつくるのではなく、人と関わるというのもありだと思う。グループをつくっていく。アーティストもよくグループをつくりますね。グループで運動を起こす。動くんです。フルクサスもバウハウスもマグナムフォトも運動です。ソロでずっと美味しくいられる人が少ない理由は地層と動きが少ないことにある。どんなに美味しいコシヒカリのご飯でも、他におかずがなければつらい。毎日白米だけでは違う味も食べたくなる。ふりかけでもかけたくなるし、やっぱりたこわさびが食べたいな。たこだけ食べてもあれだけど、たこわさびにするとうまい。わさびだけもりもり食べるのはつらいけど、ふたつ合わせるといいんですよ、これが。

単品だと「苦」でも、それを複数散りばめると「美味」。これが人生なんだね。さて、これ書いていたらお腹が減ってきたので、この辺で。たこわさびを食べるよ。(約2897文字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。