【第238話】なぜスーパーマンは正体を隠しているのか? / 深井次郎エッセイ

「実はここで無農薬のリンゴを育ててる」「ウソでしょ」

「実はここで無農薬のリンゴを育ててる」「ウソでしょ」

 

 

だれもが隠れた特殊能力を持っている

 

「おじいちゃんかと油断してたら、実はプロ選手だった!」

このパターンのサプライズ演出は昔から定番の人気です。ペプシコーラのバスケのCMを筆頭に、サッカー、スケーター、オーケストラなどさまざまなバージョンで、つくられ続けています。見た目で判断して、弱いと決めつけて油断していたところに、「えっ?」。その場の全員が反転する瞬間が気持ちいい。


昨日のバスケの大会で、このサプライズがありました。対戦相手のチームに還暦、60歳を過ぎた選手が出てきたのです。おなかも出ているし、スポーツができるような体型ではないのです。スラムダンクの安西先生みたいな…。

ところが、ビックリ。試合が始まると3ポイントシュートを、ボコボコと決めだしたのです。たしかに動きは早くないのですが、超正確。9割以上決めて、ひとりで30点獲って、さすがに疲れたのか途中で交代していきました。思わぬスーパーマンの出現に、会場も盛り上がりました。おじさんの活躍のおかげで、こちらは惜しくも負けたわけですが、負けたことも忘れるくらい笑っていました。そんな人見たことなかったので、「あの10番、すごい!」って、みんなで話しかけにいって「この中にカイリー・アービング(NBA選手)とか入ってませんか?」とか、ある意味、失礼なこと言われているのに、おじさんはニコニコ嬉しそうでした。

「わたしはね、こんなことくらいしか活躍できる時がない、しがないオヤジなんですよ… 」

本人が自嘲していましたが、彼は、誰が見てもスポーツやってる人に見えません。会社でも知られていないでしょう。試合をしたぼくらは彼がスーパーマンであり、レジェンドであることを知っていますが、まわりは知らない。

「彼はクラーク・ケントだったのか… 」

スーパーマンは、宇宙人。それがバレないように、仮の姿として普段は新聞社に勤める(最近辞めたらしいけど!)サラリーマンをやっています。それがクラーク・ケント。普段は冴えない眼鏡と猫背とドジな仕事っぷりで身を隠しているため、だれもクラークがあのスーパーマンだとは気づきません。

主人公が特殊能力を持っている。だけどまわりに隠して生活している。そんな設定の映画や小説はたくさんつくられるけれど、多くの人が惹かれるのは、なぜでしょう。みんな何かを隠して生きているし、秘密にするって本能的にワクワクするのでしょうね。

 

クラーク・ケントな生き方のほうが楽しい

生き方には、2通り。「クラーク・ケントな生き方」と「スーパーマンな生き方」があります。

・普段は冴えないけど、すごい能力を隠し持っている
・普段は超人だけど、すごいダメな部分を隠し持っている

前者は楽しそうだけど、後者は疲れそうです。いつダメな部分がバレるかビクビクしそう。『アルマゲドン』でも『釣りバカ日誌』でも映画の主人公は、前者が多いですね。

逆に悪役のほうは、後者が多い。普段、完璧で隙がないのに、実は弱点を抱えていて、そこをつかれて最後に負けるというパターン。 映画が人生の教科書だとしたら、「クラークケントな生き方のほうが楽しいよ」、と教えているのではないでしょうか。

普通の人も、だれもが隠れた特殊能力をもっていて、実は料理がプロ級だとか、熱烈な読者を持つブロガーだったとか、クラフト作家だったとか、バンドマンだったとか、脱いだらすごいカラダだとか、鳥と話せるとか、あるものです。特にぼくらのやっている出版や学校の世界は、そういうクラーク・ケントに出会えることが多いので面白いですね。

スーパーマンは強すぎて完璧すぎて、実は孤独です。憧れられはするけど、友だちはいません。敵は多くて、次々と最強の敵が挑んできます。スーパーマンは、できて当たり前、勝って当たり前。失敗したらまわりの期待が高かった分、何倍もがっかりされる。スーパーマンだって、ダメなところ、クラーク・ケントなところもあるのに…。戦い続ける人生、大変ですね。

生まれた時はだれもがみんな弱い赤ちゃんで、いつも泣いてて、何もできなくて、そんなクラーク・ケントなところから人生がスタートしています。でも、いつからか、どこかでスーパーマンに変わってしまう段階がある。

新人のうちはクラークケントだったのに、会社で後輩ができ、上司になり、立場が偉くなってきます。「完璧であらねば」と力んでしまうこともあるでしょう。まわりからの期待もあるでしょう。リーダーや責任者と呼ばれるようになったり、本を出したら先生と呼ばれたり、何でもできる頼れるスーパーマンであることを求められます。その期待に応えようとしているうちに、最初は非常時だけに限っていたスーパーマンが、普段から出しっ放しになってしまったのです。

 

 

負け上手な人に仲間はできる

 

クラークの人のほうが、つきあいやすいです。余裕があるんです。負けても、さわやか。反対に、試合や仕事で負けて不機嫌になる人はスーパーマンに多い。悔しがるのはいいけど、不機嫌になるのは勘弁ですよね。敵でも味方でも、この人とは一緒にやりたくないって思ってしまいます。

スーパーマンって、どんなささいなことでも勝たないといけないので、勝ちをゆずれないのです。試合でも審判の微妙な判定を正そうと主張したり、仕事でもいかに自分が正しいかネチネチと論破したり。つまらないところで勝つ必要ないのに。

「ここで勝たなくていい」とさわやかに負けられるか。これが仲間ができる人です。 勝ってしまったらその場は気持ちいいけど、続きません。会社と社員がもめて争ったり、という話があるけど、社員が勝ってもその会社にいられないでしょう。ギャラを上げて欲しい、正当な報酬をはらうべきだ、なんて交渉に勝っても、次の仕事は来ません。試合で審判に抗議して、もし判定をくつがえせたとしても、あそこ感じ悪いよねと対戦してくれるチームがいなくなります。勝っても、「どうやって勝ったのか」という内容を案外まわりは見ているものです。

「負けはしたけど、楽しかったね」

そう言いあえる仲間とやるのが幸せです。勝ったら当然うれしいけど、負けてもいっしょにやれて楽しかった。たとえば、一生懸命、良い本をつくったけど、結果、売れなかった。このとき担当編集者に不機嫌になられるとさびしいものです。「ああ、この人は勝ちたかっただけで、売れさえすればぼくでなくてもだれでもよかったんだなぁ」と悲しくなってしまいます。(幸い、そんなケースはありませんが)

勝ったときよりも、負けたときに本当の仲間ができるのです。負け上手のクラーク・ケントな生き方。なかなか理想です。というわけで、今日もサプライズな特殊能力を磨いておきます。それが何かって? もちろん秘密です。

 

(約2530字)
PHOTO: Sean McGrath

 

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。