「大人になったとき、自分の助けになれば」コツコツ続けた10歳からの貯金が、自分にとって「一生楽しめそうなもの」との出会いをつくってくれました。「子どもはいいよな」なんて言う大人には、絶対ならないような生き方をしようと決めたのです。
ズグラフィートに魅せられて
一生楽しめる情熱に出会う方法
石神 華織里 ( ズグラフィート研究家 )
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自由に生きるために
「10歳の自分」が目を輝かせるような進路をとろう
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「ズグラフィート」を目にしたのは今から10年前。ベルギーのブリュッセルでのことでした。ズグラフィートなんて、ほとんどの人が初めて聞くかもしれませんが、アール・ヌーヴォーの建築装飾のひとつです。あの時「これは何だろう」と思ったものの、まさかこんなに探求し続けているとは想像していませんでした。勉強も運動も嫌いで、何をやっても続かなかった私の転機は大学卒業時。両親の目標が子どもの四年制大学卒業で、その後は何をやっても良いとのことだったので、10歳から渡航費用を貯めていました。
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大学卒業後、念願かなって海外留学
アール・ヌーヴォー建築を見にベルギーへ
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私が初めてベルギーを訪れたのは、建築内装の勉強で英国のカレッジに留学して10ヶ月が過ぎたころ。言葉が分からないこと、宗教や考え方、外見の違いは既にだいぶ慣れて、快適な生活を送っていました。春休みを目前に控え、私の学生ビザの期限の関係から英国国外に一度出る必要あったので、英国から近いベルギーを一次出国先に選んだのです。ちょうど同時期、先生からアール・ヌーヴォーの写真集を見せられ、そこに載っていた建築家 オルタの作品を見てみたいと思っていたので、オルタ作品が多く残るブリュッセル行きを決めました。
行きの機内で「ベルギー人は何語を話すのだろう」と思うほど、目的以外のことに興味がありませんでした。人間が生活しているのだから、言葉が分からなくてもどうにかなるし、どうにかならなくてもどうにかすると、英国生活を通じて少し免疫がついていたのかもしれません。実は、渡英直後の私はアジア人ではない人種の人々がたくさん行き交う大通りを避け、あまり人とすれ違わない裏道を歩いていたほど。今は慣れない環境に脅えていたのが嘘のようです。
そうして辿り着いたブリュッセルで、ある家族経営のホステルに滞在しました。
「キミは、この街に何をしに来たの?」
スタッフのヴィンセントさんに尋ねられました。
「アール・ヌーヴォー建築を観るためです」
それならばと、彼と建築の話になりました。私の観たい建築リストを渡すと、ホステルのオーナーのギーさんがその中のひとつを訪れたことがあるというのです。
「ここから近いから、いま出れば日が暮れるまでに間に合うよ」
喜んで、早速向かうことにしました。
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憧れのオルタ作品に発見した「日本の影響」
日本ぎらいが癒されていく
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着いた先はオルタの作品でした。エントランスにあるチャイムを鳴らすと、優しい表情の紳士、ロランさんが迎え入れてくれました。足を踏み入れることに躊躇してしまうほど美しいモザイク装飾の床。そして英国では見たことのない内装装飾に圧倒されます。見学後、オルタの作品集を購入。
「ロランさん、私は英国で内装装飾の勉強をしているんです」
簡単に自己紹介をすると、ロランさんは、1つのステンドグラスを指差し
「ここにはたくさんの日本人が見学にやってくるけれど、私には不思議なんだ。アール・ヌーヴォーは日本の影響を受けて出来たものなんだから」
そう言われて見ると、そのステンドグラスは浮世絵のようなデザインで、黒い輪郭線も手伝ってそのように見えてきました。異国の地にいて、美しいと思ったものがなんと日本の影響を受けたものだったのです。しかもそれが1世紀以上経った今でも現役で使われているなんて! 嬉しくて仕方がありませんでした。
実はそれまで、私は日本があまり好きではありませんでした。4人姉弟の長女として両親に迷惑を掛かけないように、世間体に傷をつけないように気をつけて暮らしてきたせいかもしれません。その息苦しさから早く脱出したい。気づくと日本までも嫌いになっていました。また英国での生活を通じて知った人種差別から、日本人、アジア人、有色人種であることに劣等感を抱くようになっていました。そんな自分の考えも、ズグラフィートを見て回るうちに、どんどん癒されていったように思います。
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運命の出会い、美しい外壁装飾ズグラフィート
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「どうぞ、これを勉強に役立ててください」
「そ、そんな… 売り物なのに、悪いですよ」
親切なロランさんからアール・ヌーヴォー建築マップやポストカードを頂き、そのマップに沿って見て回ります。たちまち、ファサード(建物の正面部分)を色鮮やかに飾るズグラフィートに魅かれていきました。中でも「日本髪に着物姿の女性」や「黒い輪郭線」など、浮世絵からの影響が見られるデザインは、私の興味を刺激します。
しかし、もっと知りたくて本を探してもなかなか見つかりません。小さな書店でやっと1冊見つけ、英国へ持って帰ることが出来ました。その本で初めてその装飾デザインが「ズグラフィート」というイタリア発祥とされるフレスコ画の一技法であると知り、2ヶ月後にはイタリアへ行っていました。本場イタリアの「ズグラフィート」を見て思ったのは、
「これだったらベルギーの方が美しいな…」
ベルギーの方が、色彩が豊かで密度の濃いデザインなのです。宗教色も皆無で、純粋に「美」を追究する自由さが私の好みでした。それからというもの、私は何度となく英国からこの装飾見たさにベルギーを訪れます。
ちなみにベルギーのズグラフィートは、19世紀末から20世紀初頭に流行。同時期に流行していたベルギー発祥のアール・ヌーヴォーが、ズグラフィートに取り入れられます。
・うねる黒い輪郭線
・余白を許さない密度の高いデザイン
・色彩の豊かさ
これらが大きな特徴でしょうか。市長も景観づくりに積極的で、道路を美しい美術館に変身させようと、市民を巻き込んでファサード・コンクールなども開催。ブリュッセルの外壁には絵画を飾ったように装飾が生み出されました。職人たちは道行く人の目を惹くため、家主の好きなモチーフを色彩豊かに描き、建物も含めた総合芸術として個性を競っていたようです。こういう背景もあり、本場のイタリアをしのぐ美しさのズグラフィートがベルギーで生まれたのです。
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職人として現場へ
左官さんたちの仕事を見て学ぶ
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日本に帰国後、一度は憧れていた建築家の事務所で働きましたが、その後建築現場で働ける会社へ転職しました。なぜデスクワークよりも現場に出たかったのか。それは足場で補修作業をしている職人を見て、いつかあんなことが出来たらと思うようになったからです。
「現場なら、英国で学んだ内装装飾の知識をもっと活かせるかもしれない」
補修の道に進んでからは、左官や装飾専門の職人の仕事を見たりして学びました。作業着の男性ばかりの土木現場に女性がいると目立つのでしょう。大工さんたちが親身になってくれて、左官さんと知り合うきっかけを作ってくれたのです。ある左官さんに材料を見てもらい、尋ねたこともありました。
「(あなたの技術で)ベルギーのズグラフィートを造れますか? 」
返ってきた応えは
「左官をなめるなよ(できるに決まってるだろ!)」
やった、日本でもあれが造れるかもしれないと嬉しくなりました。
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自分でもつくってみたい
フレスコ画教室でサンプル作り
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仕事で建築の現場を学ぶと同時に、フレスコ画教室も探しました。
「ズグラフィートと同じ技法を使って、一度自分で作品を作ってみたい」と思ったのです。
まず、フレスコ画家の教室へ見学に行くことにしました。生徒は先生と話した上で、個々がやりたいことをやって先生に見てもらうスタイルだったので、私もやりたいことを伝えました。即通い始めたかったのですが、「自分は本当にこれをやりたいのか」試す意味もあって丸1年寝かせました。通うことになって、先生に初めてベルギーの本を見ていただきましたが
「うーん、これはズグラフィートではないですね。色数が多すぎます」
これには戸惑いました。そこで改めてベルギーのものが特殊であり、フレスコに詳しい方ほど色数からズグラフィートとは思わない点を面白く感じました。
フレスコで外壁を装飾した例は多くありますが、その場合、風雨に耐えるズグラフィートがよく使われます。ベルギー以外の国で色数が少ないのは、屋外では顔料が変色しやすいことも一つの要因として考えられます。ベルギーは色数だけでなく、純金まで使っているのです。
結局自分で本を翻訳し、そこで得た情報と先生の知識をもとにサンプルを造りはじめました。
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本の通りにつくってもダメ?
打開のヒントを求めて再びベルギーへ
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小さいものから造りはじめ、徐々にサイズを大きくしていくと上手くいかなくなってしまいました。本に書かれている装飾方法通りにやっているのですが…。
「またベルギーに行けば、何かヒントが得られるかもしれない」
行き詰まりを打破するべく、久しぶりにブリュッセルを旅することにしました。たった2週間でしたが、今まさに補修中という現場を偶然見つけ、1週間その作業工程を観察することができました。すると驚いたことに自分がやっていた工程とあまりに違う。 ヒントを得るどころか混乱してしまいました。
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ようやくできた作品を
第1回フレスコ展で披露するが…
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その補修現場で見た工程でサンプルを造ると、それまでなかなかうまくいかなかったことが簡単にできるようになったので、『第1回フレスコ展』(日本 / 2011年)に参加することにしました。
参加できたことに満足していたものの、壁に掛けられている自分の作品を見て思ったのです。
「違う… 全く美しくない」
これでは自分のせいでベルギーのズグラフィートを誤解されてしまう。不安に駆られました。
『つくるのとは他の方向から取り組むべきかもしれない』
そう思って武蔵野美術大学通信課程に編入学することにしたのです。
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まだまだ知らないことだらけ
協力してほしいと送った手紙
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この年、私は3通の手紙を送りました。
1通目は、在日ベルギー大使
2通目は、ズグラフィートを見て回るきっかけとなったロランさん
3通目は、ズグラフィート装飾家の代表作に惚れ込み、取り壊しになるところを救ったオーナーへ
どうしてもズグラフィートのことをもっと知りたい。力を貸してほしい。自分の思いを伝えたい一心で書きました。
「あなた馬鹿じゃないの… 」
母には呆れられましたが、私は真剣でした。
返事が2週間後に1通、2ヶ月後に1通、ベルギーから届きました。オーナーからの手紙には、学業を応援する言葉と共に名刺が添えられていました。
「あなたの研究を応援します。次回からはこの住所に手紙を送ってください」
それ以来、1年の活動と今後の展望を書いた手紙をクリスマスに合わせて送っています。
29歳、美大へ
違う角度からさらに理解を深めたい
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武蔵野美術大学へ、決して安くはない受講料を払って編入学したことに、否定的な意見もありました。
「卒業したらどんな資格が得られるのか」
「就職に役立つのか」
周りは気にしていましたが、私はそんなことを考えてもいませんでした。ズグラフィートのことをもっと知りたい、それだけで十分な理由だったのです。
しかし、カリキュラムが進み、いよいよ卒業制作に取りかかる段階になっても、当初考えていた方向では資料が十分に集められませんでした。そこでしかたなく、いま持っている資料から書ける内容へ変更することに。本当に書きたかった技法やモチーフ、デザインは、卒業後の課題として残すことになってしまいました。
そういうわけで卒業後、ズグラフィート撮影旅行の計画を立てることにしたのです。
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ベルギーでズグラフィート漬けの3ヶ月
ローラー作戦で1300軒を調査
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修復された美しいものは、本を調べれば掲載されています。しかし、私はそうでないものも含めたすべてを撮影したかったので、ミシュランの地図を頼りにズグラフィートのローラー作戦を始めました。500軒くらいは残っているだろうと思っていたのが、ひょんなことからまだ5000軒あると知り、毎日が忙しくなっていきました。石畳の道を7時間ほど歩き回るので、朝は足の裏の痛みで歩くのも大変な状態。そうして約2ヶ月で1300軒ほど撮影することができました。
卒業制作で使った本で「ズグラフィートはブリュッセルから周辺の街に広がっていった」と知り、まだ残っている街があるかもしれない、そう期待して13都市を巡りました。見つけられたズグラフィートは少なかったものの、ブリュッセルのものとは違う傾向のものを見ることができました。
「これで最後」と思って過ごしたベルギーでのこの3ヶ月は、夢のような日々でした。持参したパソコンとカメラが盗難に遭ってしまったけれど、おかげでバックパックにはたくさんの貴重な本を持ち帰るスペースができました。
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好きなことさえあれば
大人も楽しいものです
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日本に帰ってきましたが、また今後の研究活動資金を貯めなければいけません。現在は建設会社で土木の図面を描いたりして会社員をしています。働きながらでも、残りの3700軒を撮影し終えるまでベルギーと私の関係は続くことでしょう。やっぱり私はズグラフィートが好きなのかもしれません。
「大人になったとき、自分の助けになれば」
そう願ってコツコツ続けた10歳からの貯金が、自分にとって「一生楽しめそうなもの」との出会いをつくってくれました。
子どもの頃、「子どもはいいよな」「学生時代に戻りたい」と大人に言われたり、そういう話を聞いたことがありました。
「大人って、そんなにつまらないの?」
疑問に思って、逆に大人に興味が湧いて、早く大人になりたいと思うようになっていました。そして、「子どもはいいよな」なんて言う大人には、絶対ならないような生き方をしようと決めたのです。
「10歳の自分」が「今の自分」を見たら、なんて言うだろうか。「素敵! わたしは将来そんなこともできるんだ!」と目を輝かせてくれるだろうか。その問いがいつも進路を決めるときの軸になっています。
「やりたい」と思ったら「やる」。
「行きたい」と思ったら「行く」。
「いつかやる」は無い状態にしたいのです。
いま「ズグラフィート研究」というやりたいことが私にはあって、それを自由に、思う存分続けられるよう、日々模索を続けています。(了)
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一生楽しめる情熱に出会う方法 1. 両親や社会の期待から自由になる 2. いつかのために活動資金を貯めておく 3. 「10歳の自分」が目を輝かせるような進路選択をする 4. 偶然の波に乗り、直感を信じて旅に出る 5. 現場に潜入し、詳しい人に聞き、協力者をつくる 6. これだと思ったら、とことん追求。教育、研究のための自己投資を惜しまない |
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石神さんとズグラフィートの歩み年表
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写真提供:筆者本人