【第194話】続いてるものには意味がある / 深井次郎エッセイ

 

歴史あるものほど
変えるのは慎重に

だれでも自分の誕生日は特別です。ケーキをわざわざ食べなくなった大人になっても、「ああ、今日は誕生日なんだなぁ」となんだか神妙な気持ちになるものです。こんなに年をとったか、とか、1年早かったな、とか、何かしら自分を振り返ったりします。ただの平日の火曜日が、特別な日になるのです。

もともと、特別な日というのはありました。祝日には意味があったし、敬老の日も秋分の日も、その日だから意味がある。けれど今は、「連休になったほうが遠出をしたり経済が活性化するからずらしてしまおうよ」という議論が出てきます。ハッピーマンデーだかなんだか、経済最優先で、簡単に変えてしまう。そういう人は、自分の誕生日も簡単にずらせるのでしょうか。

先日、広島で大きな土砂災害がありました。そこで話題になったのは、地名にも大切な意味があったということです。昔の人は、そこは水の通り道で危険だということを知っていて、警告していたのです。そこはもともと「八木蛇落地悪谷」という地名だったようです。それが「八木上楽地芦谷」に代わり、いまは八木だけが残っています。明らかに「ここは危ないよ」と伝承するための地名。それをいとも簡単に変えてしまいました。不動産価値を上げるために、印象の良い響きの名前にして、隠してしまうのです。

昔からあるものを、変えてしまうのは簡単です。しかし、なぜそれが今まで長く続いてきたのかということをいま一度立ち止まることも必要です。お祭りだって、式典だって、社員旅行だって、なんでも失くしてしまおうではなく、なぜ続いてきたのか。長く続いてきたものには何かしら良いことがあるから続いてきたのです。まったく意味のないことだったら、続いていません。

「古い慣習なんて、自分たちにあったものに変えてしまおうよ」ぼくもすぐに言ってしまうタイプですが、歴史の長いものを変えるときほど慎重にならなくては、と思うのです。だって、もし自分の誕生日を勝手に人に変えられたらいやでしょう。「うちの会社は効率化のため、社員全員の誕生日を12/24で統一し、一度に誕生会とクリスマスパーティーを済ませてしまいます」そんな会社があったら、どう思いますか。いくら経済効率が上がってもねぇ。

本日9/9で35歳になりました。25歳で会社員を辞め独立してから、10年になりました。さすがにもう新人ではなくなり、次の世代を育てる役目も担えるよう精進いたします。どうぞ変わらぬおつきあいをよろしくお願いいたします。今日は、今年最後の「スーパームーン」(月が地球に接近し通常よりも大きくみえる日)だそうですね。生きとし生けるもの、すべてのものが幸せでありますように。

(約950字)

Photo: Cincono


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。