叫んでる人の魂胆に
思いを馳せよう。ホームベーカリーでパンを
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「ホームベーカリーでパンを焼かないヤツはバカだ」たとえば、そう批判してまで勧めてくる人がいたら、あきらかにおかしい人だとわかります。でもこれが、結婚する人はバカだ、しない人はバカだとか、東京に住む人はバカだ、地方はバカだとか、生き方の話になるとみんな真面目に聞いてしまうのです。そんな批判をいちいち聞いちゃダメです。おかしいんですから。彼らは初期のビギナー熱におかされてるだけです。
経験を積んできたベテランは、結婚のいいところもそうでないところも実感してきています。手放しに、全員に勧めるものでもないこともわかってきます。だから、勧めるとしても、気合いは入れないし、大声も出さないし、人を批判することもありません。独立してやるのだって、サラリーマンで出世するのだって、エコな暮らしだって、地方で暮らすのだって、それだけが全てじゃないし、向き不向きがある。全員に合うものなどないのです。
「この生き方が唯一無二、他は全員バカだ」というのは一神教です。ときに危ない方向へ向かうこともある。大声の人はなにか魂胆があるのです。それに気づかないといけません。たとえば、「商売として打算的にやってる」とか、「怖くてパニックになってる」とか、「恋に落ちてお花畑になってる」とか。大きくこの3つのどれか(全部の人もいるでしょうが)、理由があるわけです。絶叫したり批判する人がいたら、「この人はなぜそこまでして叫ぶのだろう」と思いを馳せてみてください。すると、叫ぶ人の中に、不安で震える可哀想な小さな子どもの姿が見えてくるものです。聞き手にその魂胆が透けてみえてしまった。悟られたことを叫んでる本人は気づきます。「あ、この人には心のうちがバレてしまった」すると照れて、彼らは少し静かになるのです。
赤の他人の場合はもちろん、これが友人相手だとしても、人が選択した生き方にケチをつけるのは失礼な話です。「死のうと思う」という選択さえ、なるべく静かに受け止めたい。「そうか、お前がよく考えたんなら良いんじゃないか」 でも、友人が最後の最後、「じゃあ、さようなら」とベランダの柵に足をかけたら「おいちょっと待て、もうちょっと話そう」と、そこで初めて胸ぐらをつかむ。そこまで行かない限り、人が決めた選択を否定したくはありません。
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Photo: Jace Cooke