【第079話】くだものと野菜の境界線は

「こんにあは

「メロンはくだものでしょう?」 「いや、奥さんそれは違うな」


年をとればだれでも

自然に大人になれる
わけではなかった

——–

甘いトマトを食べた。「くだもののように甘いね」と言った。トマトは野菜である。くだものと野菜の境界線はどこにあるのか。スイカはくだものだと思っているが、きゅうりと同じウリ科です。だとすると、野菜か? あれれ。いい大人になっても、くだものと野菜の区別もつかない。木になる実がくだもので、草になるのは野菜かもしれないと思った。リンゴは木になるし、ナスは草になる。けれど、イチゴは草だ。木ではない。イチゴは明らかにくだものだ。ということは、木と草での分け方ではないのか。

では、甘さか。糖度の高いものはくだものという分け方か。いや、レモンはくだものだけど、トマトより糖度が低いのではないか。ならば、この分け方でもない。いまウィキペディアで検索して調べようという心をおさえている。もう少し、考えてみたい。ドレッシングをかけるのが野菜。ヨーグルトに入れて美味しいのがくだもの。この区別だろう。考えてみてください。これなら例外がないのではないか。ああ、ここで限界、もう検索しちゃう。なるほど、このくだものと野菜の区別は多くの人が論争しているようです。農林水産省によると、「はっきりした区別はない」とのこと。国によって、人によって異なるので、もう定義はないそうです。

わからなかったのは、ぼくだけじゃなかったようです。安心しました。でも両者の区別がはっきりしないというのはすっきりしないですが、このあいまいさこそが現実なのでしょう。いい年の大人が、こんなに身近な話題がわからないのです。大人とて、わからないことだらけということです。子どもの頃は、大人はなんでも知っていると思っていました。大人になれば、自然にわかるようになると思っていました。でも、そうではなかった。税金についても、政治についても、世界情勢についても。自転車のパンク修理だって、キャンプでの火の起こし方だって、普通にぼーっと生きてるだけではわからない。ただ年をとっただけでは、子どもとたいして知ってることは変わらない。これは大きな発見ですよ。

ぼくらも年上の先輩たちを、そういう目で見てしまう。30歳にもなれば料理のひとつもできるだろうとか、60歳にもなれば、多少のことにはあたふたしないようになるだろうとか、80歳にもなればもう世俗の欲には振り回されなくなるだろうとか、勝手に想像しています。先輩方を見ていると、そういう人が多いからです。だけど、これも年をとっただけで自然といける境地ではないということです。それなりに学ばないと大人にはなれないんだなと。仕事でも年を重ねるだけで自然に「できるベテラン」になれるわけではないんですね。当たり前なんですが、学ばないと身体だけ年をとって中身は悪い意味で子どものまま。中身のないおじさんほどカッコわるいものはないですからね。修行していきたいものです。

(約1222字)

 


深井次郎

深井次郎

ORDINARY 発行人 / エッセイスト 1979年生。3年間の会社員生活を経て2005年独立。「自由の探求」がテーマのエッセイ本『ハッピーリセット』(大和書房)など著作は4冊、累計10万部。2009年自由大学創立に教授、ディレクターとして参画。法政大学dクラス創立者。文科省、観光庁の新規事業に携わる。2013年ORDINARY(オーディナリー)スタート。講義「自分の本をつくる方法」定期的に開講しています。