TOOLS 110 さようなら、過剰な自意識 / 吾郷智子(ポジティブ心理学者)

ニューヨーク吾郷智子40代独身心理学者が、告白するため渡米して見つけた人生の幸福度を上げる方法。クリスマスを2週間後に控えた週末のミッドタウン。どことなく浮き足立った人々の群れをかき分け、その夜私は、待ち合わせの場所へと急ぎ足で向かっていました。俗に言うところの友達以上
さようなら、過剰な自意識
– 40代独身心理学者が、告白するため渡米して見つけた人生の幸福度を上げる方法 –

吾郷 智子 ( ポジティブ心理学者 ) .


自由に生きるために
みっともない自分も、他の誰かへ開いていこう

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こんにちは、「ポジティブ心理学」を研究、実践している 吾郷 智子(あごう ともこ)です。

ポジティブ心理学とは、ざっくり言えば「幸せ」や「ウェルビーイング」というトピックを主にテーマとする心理学の領域です。日頃は研究のかたわら、その分野の関連書籍や資料の翻訳、社会人向け講座の講師、企業向け研修プログラムの開発や実践などの活動をフリーの立場で行なっています。

そんなフリーランス心理学者とも言える私ですが、去年の年末、ニューヨークに1週間ほど行ってきました。実は人生最大とも言える金欠の中、あえてクリスマスムードに湧くNYに渡ったのは、何を隠そう半年ほど前から密かに気になっていたアメリカ人の男性に告白するためでした。

ポジティブ心理学なんて学問に足を突っ込んでいるにも関わらず、過剰すぎる自意識のせいか、ややもするとこじらせ気味とも言えるこれまでの人生。

 

今回のお話は、そんな「こじらせ系」の私が、思い切って一歩踏み出したことでわかった「過剰な自意識」から卒業し、幸福感が高まるヒントを、旅の記録とともにお伝えしたいと思います。

 

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「ニューヨークに行きたい。でも… 」

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さて、いざニューヨークに行くとは決めたものの、実のところ出発するまでの心の葛藤たるや…… なんとも大変なものでした。

「思い切って行くか… いや、やっぱりやめとこうか… 」

こんな具合に、出発直前まで葛藤の嵐が吹き荒れていた理由の1つは、まずお金。

ここのところ、ギャラは安くても意義が感じられる仕事や研究を優先的に行っており、そちらに時間とエネルギーの大半を要していることに加え、海外での国際学会への参加(当然自腹、かつ参加費がバカ高い…)など、大きな出費もかさみ、慢性的な金欠状態だったのです。こんな時に不安定なフリーランスという身を考えると、恥ずかしながらコンビニおにぎり1つ買うのも躊躇することすらあったほど。

けれど今回、ことは単にお金だけの問題ではありませんでした。「彼に会いたい」という動機そのものが、お金以上の激しい葛藤の元だったのです。

「好きな人に会うためにニューヨークまで行くって、自分いくつだと思ってんの? ばっかじゃないの! しかも金欠なのに… 」

この時、自分の内から出た会いたい思いを、どうしても素直に受け入れることができませんでした。

 


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考えすぎてチャンスを失ってきた過去

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そもそも私は、超のつく恋愛ベタ、加えて超・人生「こじらせ系」。

あれこれ考え過ぎた挙句、どんどん思考がこじれ、結果、チャンスを逃したり、あらぬ方向に人生よじれたり。恥ずかしながらそんなこと、これまでの人生ではしょっちゅう。だからこそ心理学を学び始めたと言っていいくらいです。

心理学を学んだおかげか、以前よりはかなり進歩しましたが、とは言え、恋愛は今だ得意とは言えない領域。当然、自分からストレートに「告白する」なんて大の苦手です。

しかも年齢が上がれば上がるほどそのハードルは上がり、ここ数年は私自身、半分あきらめとともに、ますます恋愛方面から遠ざかり気味になっていたのです。

「もう、いい年だし、もはやどうでもいいや」と。

そんな訳で今回にしても、「会いたい」とは思ったものの、まさか「告白する」までは、当初まったく考えていませんでした。第一、「日本からあなたに会いに来たくて海を渡ってきたの」なんて、面と向かって言うことすらとんでもないこと。

と、こんな具合に、資金面でのハードルに加え、私アゴウの「プライド問題」もあり、出発ギリギリまで、私の思考はどんどんと「こじれた」方向に向かってしまっていたのです。

 

「ニューヨーク、行くべきか、いかざるべきか・・・」悩み多き人生

「ニューヨーク、行くべきか、いかざるべきか…」悩み多き人生

 

 

 

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とってつけた大義名分は「取材旅行」

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散々迷うのもうんざりしてきた頃です。ある考えが浮かんできました。

「だったらいっそ、今回の旅を自分の本のための取材旅行にしてしまおう!」

もともと私はここ数年、ずっと本を出したいと思ってきました。 

「専門であるポジティブ心理学を軸に、「幸せ」あるいは「女性の生き方」的テーマで、実用エッセイ風の本を書きたい」

そう考えていた私にとって「本の取材のための旅行」というのは、自分でも納得のいき、プライドも担保されるような目的に感じたのです。

幸い、私にはかの地で暮らす日本人の友達が何人かいます。異国の地で奮闘する彼女たちの話を聞くだけでも、「幸せ」や「女性の生き方」を考える上で、何かヴィヴィッドなヒントが得られるはず。思わず小躍りしました。

かくの如く、ひとまずは「行くか」「やめとくか」論争は収束。2018年も黄昏時のある日、「取材旅行」というコンセプトを引っさげた私は、慌ただしく羽田空港を飛び立ち、一路ニューヨークへ向かったのです。

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「あの頃、セントラル・パークで」ついにニューヨークへやって来る

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初冬のセントラル・パーク。キリッとした空気の中、歩く。

初冬のセントラル・パーク。キリッとした空気の中、歩く。

 

ニューヨークについた翌日、私は一人セントラル・パークを歩いていました。

気温約2度。薄曇りの冬空。それでもまだかろうじてベンチに腰掛け、熱いコーヒーをすするだけの余裕は残されています。散々迷った挙句の果てにやって来たニューヨーク。この街を訪れるのは、実にほぼ10年ぶり。街のあちこちがアップデートされているものの、ここから眺めるマンハッタンの景色は、あの頃と少しも変わっていません。

あの頃、すでにもう10年以上も前のこと、私はここで不安定な一留学生として暮らしていました。その時、毎日のようにこのセントラルパークに足を運んでいました。

「容易に予測されうる未来より、それまでとは違う未知の可能性に自分をかけてみたい」

「もっとフルに自分を充実させたい」

そんな思いから高校の教師を辞め、ここまでやっては来たものの、そのために払った代償は、私の想像をはるかに超えるものでした。教職を去るということ、それは同時に、安定した社会的地位や将来の保障、毎月滞りなく振り込まれるお給料、何より「教師としての私」というアイデンティティーをごっそり捨て去ることでもありました。表向きは「キャリアチェンジのための留学」。けれど教師を辞めたその先は、当時の私にはまったく見えていませんでした。

「何のために、ここまで来たんだろう?」

これまでの自分の全てを捨ててやって来たニューヨーク。単に「来たかったから」じゃ済まされない、「元教師」と言うプライドを担保してくれるのに十分な「意味ある理由」を、あの頃私は必死で探し続けていました。

あれから十数年。こうして振り返ると、多少の違いはあれ、私は今だ同じようなところで足踏みし、人生こじらせているような気がしてきます。

「そんな自分に、幸せな生き方についての本なんて、いったい本当に書けるんだろうか?」

ふと強烈な不安が、頭をよぎります。

とは言え、ここまで来たら、もはや後戻りはできません。
何はともあれ、ここまでやって来たのです。

私はすっとベンチから立ち上がり、「幸せ本の取材」のため、一路、地下鉄の駅へと歩き出しました。

 

 

 

 

「動き続ける幸せ」彼女たちの現在進行形

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突然の連絡にも関わらず、ニューヨークで暮らす友人たちはみな快く時間を割いてくれました。その全員がおおむね40歳前後の日本人女性。社会人、主婦、学生など、置かれている状況はさまざまだけれど、自ら大きなライフチェンジに挑み、単身渡米した点は共通しています。

例えばそのうちの一人、日本では歌手として活躍していた友人は、40歳を目前に一念発起、ジャズを体系的に学ぶためニューヨークの大学院に留学。またある友人は、エンターテイメントビジネスの本場で、裏方として日夜奮闘中。それぞれがこのアグレッシブな異国の街で、彼女たちなりの毎日を過ごしています。

そんな友人たちの中に、最近アメリカ人のボーイフレンドと結婚したばかりという友人、エリがいました。さぞかし幸せ一杯だろうとのこちらの勝手な予想に反し、本人の口からは意外な反応が返ってきました。

「なんかちょっと燃え尽きちゃった気分で… 」

聞けば、それまでの彼女の最優先目標は「いかにして就労ビザを取りニューヨークに残れるか」。この目標が結婚により達成した今、キャリアを含めた「これからの人生どうするのか問題」に、今更ながら直面しているというのです。

「結婚がゴール」なんて、ただの幻想だと頭で理解してはいるものの、こうした話に直接触れると、一つ一つのライフイベントは、結局のところ、ただの1つの通過点なのだと改めて感じます。と同時に、エリの話を聞きながら、私は、それまで心の中にうっすら覆いかぶさっていた薄い雲が、突然さっと晴れていくような不思議な気分を感じていました。

グリニッジ・ビレッジにある人気のヴィーガン・カフェにて

グリニッジ・ビレッジにある人気のヴィーガン・カフェにて

 

白状するに、今回ニューヨークに来るまで、エリだけでなく、ニューヨークで暮らす友人たちすべてに対し、私は心の奥でずっと「羨ましい」と感じていました。ニューヨークを舞台に、自身の世界を広げ続ける彼女たちに対し、一方の私は、再び海外に出たいと願いながら、元いた場所に逆戻りしたまま…。そんな引け目を、勝手に感じていたのです。

けれど今回、友人たち一人ひとりの「今」に触れ、それまで青々と見えていた彼女たちの「芝生」が、実のところ私の「芝生」と、さほど大きくは変わらないことに改めて気づかされました。そして彼女たち一人ひとりの「幸せ」のあり方とその色合いの多様さをも改めて発見した気がしたのです。

「動き続ける幸せ」

ニューヨークの友人たちのそれぞれの「現在進行形の物語」に触れながら、ふとそんな言葉が私の頭に浮かんできました。一つ進み、発見し、また一つ進んでゆく。その繰り返しの中で育まれる幸せ。

その言葉を、より一層感じさせてくれた友人が、次に紹介するミナコです。彼女との再会は、今回とりわけ深い印象を私に残してくれました。

 

ハーレム・ゴスペル・クワイヤーの一人として:ミナコとの再会

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ミナコとは、以前通っていた英語学校で出会いました。

ともにニューヨーク好きということで意気投合。「ニューヨークで暮らしたい」と、目を輝かせて話していた彼女は、それから一年も経たず、ニューヨークで仕事を見つけ、40歳を目前にその夢を実現。ビザの取得が極めて困難な状況の中、彼女の行動力に私はただただ驚くばかりでした。 
 
あれから7年、彼女はすっかりニューヨーカーとしてのオーラを全身にまとい、私の前に現れました。現在は現地の日系企業に勤めながら、マンハッタンのハーレム地区で暮らす彼女。その彼女にはもう1つ、教会のゴスペル・クワイヤー(聖歌隊)のメンバーという顔を持っています。

そして今回、彼女が聖歌隊員として参加する日曜礼拝に、私も参加させてもらえることになりました。

レジェンドたちの名を冠したハーレムの独特の通り名。教会はこの近く。 (c) Kay on Unsplash

レジェンドたちの名を冠したハーレムの独特の通り名。教会はこの近く。 (c) Kay on Unsplash

 

当日、冷たい雨がそぼ降る中、教会には次々と人々が集まってきます。その大半が近所に暮らすアフリカ系の人々。私なんかがまぎれ込んでいいもんか? と、最初は戸惑ったものの、「ミナコの友だち」と伝えた途端、会う人すべてがまるで昔からの知り合いだったように歓迎してくれます。そのおかげで私の緊張も自然にほどけ、他の信者さんと一緒に礼拝の席についたのです。

 

「痛みの物語」を分かち合うこと

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日曜礼拝は、クワイヤーによるゴスペルの合唱から始まります。壇上にずらり立ち並ぶメンバーの中、唯一のアジア人がミナコ。まるであたり前のように自然にその中に溶け込んで、エモーショナルな響きをこの場に集う全ての人に届けています。その姿を眺めながら、ここに至るまでの彼女の道のりに、思いを馳せずにはいられませんでした。

これまで順調なことばかりではなかったでしょう。けれど今の彼女を作ってきたのは紛れもなく彼女自身。彼女の歌声は、そんな自分への讃歌のようにも私には聞こえました。
 
賛美歌の合唱に続き、牧師さんの説教と、礼拝は順調に進んでゆきます。そしてちょうどその終盤にさしかかった頃、ある印象的な場面に遭遇しました。

教会の中。中央がで牧師さんがお説教する演台。

教会の中。中央がで牧師さんがお説教する演台。

 

「友人たちのために」

そんなアナウンスに続き、何人かの名前が順々に会場に響き渡りました。続いて壇上には、一人またひとりと名前を呼ばれた人々が集まり、その一人ひとりに牧師さんが優しく肩を抱き、何か声をかけてゆきます。

壇上に名前を呼ばれた数人がすべて出揃うと、牧師さんはすっと正面を向き、すぐ横に立つ一人の男性の肩を抱き、おもむろに口を開きました。

「みなさん、ここに立つジョンは最近、職と家族とを同時に失い、以前はあれほど輝いていた自信すらどこかへ無くしてしまいました。彼は今、迷いの淵に落ち込み、苦しんでいます。彼が再び人生の光を見出し、前へと進んで行けるよう彼のために祈りましょう」

その時私が遭遇したのは、一人ひとりが抱える痛みや苦しみをこの場に集うすべての人々と分かち合い、ともに救いを求める、そんな特別な祈りの場だったのです。

失業、自らの病、あるいは家族の健康問題、身内の不幸、結婚生活の破綻、経済的困窮……

牧師さんの言葉を通して語られる彼らの苦難の物語は、みなそれぞれに違います。けれど目の前に立つ彼らの一人ひとりが、人生がもたらす痛みに苦しんでいることは同じです。

その祈りの場面は、一連の礼拝の中でも、ミナコの歌声とともに、ことさら心に深く突き刺さりました。その時、教会全体が一つのバイブレーションで包まれているように感じました。それは、私がここにいる全ての人たちとの「つながり」を感じた瞬間でもありました。

 

数日後、私は再びあの教会を訪れました。ミナコが定例のクワイヤーの歌の練習に誘ってくれたのです。

午後9時過ぎ、練習を終えた私たち2人は、教会からほど近いミナコいち押しのフライドチキン屋に足を運びました。深夜ともなるとドラッグの売人がたむろする怪しげな場所に変貌する店とはいうものの、そのチキンの味はニューヨークでも3本の指に入る美味しさとのこと。確かに皮はパリッと中身はジューシー。文句なしの美味しさです。そんな熱々のチキンを頬張りながら、話題の中心は自然と彼女の教会とそこで出会った人たちの話に向かいます。

「あれってすごいよね。わたしも最初に礼拝参加した時、一番驚いたんだけど」

日曜礼拝でのあの一コマに私が触れると、そうそう、と言わんばかりにミナコは答えました。

「自分が苦しんでいることをみんなの前でさらけ出すって、よく考えればすごいよね。日本だとほら、みんなどっちかっていうと失敗とか身内の不幸なんて隠そうとするじゃない」

ペロリとチキンを平らげ、彼女はさらに言葉を続けます。

「迷惑かけちゃいけないっていう気持ちが、日本にいるとどうしても先に立つけど、ここってちょっと違うんだよね。みんな、世話を焼きたがるの。どちらかというと迷惑かけた方が喜ばれるっていうかね。わたしも仕事クビになって落ち込んでた時、みんなが心配してくれて。『そこの角のスターバックスでスタッフ募集してたぞ』なんて教えてくれたりね。わたしの場合、ビザをサポートしてくれる会社じゃないとダメなんだって説明するんだけど」
 
苦笑しつつも、どこか嬉しそうなミナコ。ここに至るまでの日々をあっけらかんと語るその言葉の奥には、決して楽ではなかったここまでの道のりが、色濃くにじんでいました。

思うに、生きるとはハードなものです。社会的に弱い立場にある場合はなおさらのこと。どんなに努力を重ねても、期待通りの結果が得られる保証はありません。ベストと思って選んだはずが、逆に人生をあらぬ方向にこじらせてしまうことだってあります。

「こんなはずじゃなかった…」
「ああすればよかった…」
「何をやっても無駄だ…」

思い通りに行かない人生。それをたった一人で抱え込むのは辛すぎます。だから人々は語り、互いに思いを寄せ合うのです。

生きるとはタフなこと...  (Photo by Warren Wong on Unsplash)

生きるとはタフなこと…  (Photo by Warren Wong on Unsplash)

 

人生の痛みを共有し、ともに心を支え合う姿勢。それは長い間、この国で数え切れない苦しみや不条理を強いられながら、なおもそこから立ち上がり、人生を豊かに満たしてゆこうとする人々の、生きてゆく知恵なのかもしれません。

自らの抱える苦しみ、自分の愚かさを言葉で表現することは、心に深い浄化作用と同時に自分自身に対する「納得感」をもたらしてくれます。言わば、癒しと再生のプロセスです。更に、その「みっともなさ」を含めた自分自身を、勇気を持って他者へと開くことができれば、その人は一層の「強さ」を得ると同時に、共鳴する人々との間に、静かであたたかなつながりという「資産」を築くことができるのです。

他者との「ポジティブなつながり」が、「幸せ」を構成する要素の中でも、もっとも重要なものということは、ポジティブ心理学の数々の研究でも明らかですが、教会の人々との出会いで、そのことを私は、自分の肌で理解したような気がします。

もしかすると、ミナコもそんなコミュニティーの一員だからこそ、あんなに笑顔で歌えるのかもしれません。よくよく聞けば決して楽ではないここでの暮らし。それでも、彼女がなぜこの街で暮らし続けるのか、その理由がなんとなくわかったような気がします。

その時、私の耳に、今しがた教会で歌ったゴスペルのメロディーがふとよみがえってきました。

「尊い神の子羊、神よ、あなたの愛のおかげで、罪深い私はまた生きてゆくことができる…」

遠くからやってきた「よそ者」の私を、まるで昔からの友人のように受け入れてくれた人たち。経済的な苦しさ、仕事のトラブルを抱える私のことを、一瞬でも親身になって気にかけ、励ましてくれたあたたかさ。歌のうまさやきれいな発音、そんなカッコつけなど一切関係なく、ただそこにいる人たちと声を張り上げ歌ったあのひととき…。

「ニューヨークで暮らしたい」

昔、そう語ったミナコ。そんな単純な理由で大丈夫? なんて、あのころ勝手に思っていたけれど、結局、回りくどい理屈をあれこれこね回さなくとも、ただ内から発する心の声に素直に従い、一歩踏み出すだけで、本当は十分なのかもしれません。たぶん、彼女のように。ミナコにとってはきっと、ここで感じる苦さも含めニューヨークで生きることそれ自体が喜びなのです。

こうしていると、出発前、あれだけグダグダ迷っていたことが、バカみたいに思えてきます。「取材」なんてカッコつけなくても、「彼に会いにニューヨークに行きたい」ただそれだけで、十分だったのです。

曇りガラスの向こうに横たわる夜の景色。口の中に広がるフライドチキンの香ばしさ。ミナコのアルト・ヴォイス、その瞬間、すべてが不思議な調和に、満たされていました。

 

最後の夜、ついに来た「告白の時」

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そして、ついに今回の旅も最後の夜となりました。

私にはもうひとり、どうしても会わなくてはいけない人がいました。例の、旅の動機となった彼です。

クリスマスを2週間後に控えた週末のミッドタウン。どことなく浮き足立った人々の群れをかき分け、その夜私は、待ち合わせの場所へと急ぎ足で向かっていました。

俗に言うところの友達以上、恋人未満、あるいはそのいずれでもない微妙な立ち位置にいるその人。

「年を越す前に、どうしても彼に会いたい 」

出発前どうしても向かい合うことのできなかった本音が、今は一切の飾りなく目の前に存在しています。

「40過ぎにもなって、痛すぎる」「お金ないのにアホか」出発前に私を苦しめたそんなセリフは、すでにどこかへ吹っ飛んでいました。なんだかんだ言っても、私はすでにここにいて、雑踏をかき分けその人に会おうとしているのです。

 

グランドセントラル駅。42丁目を「告白」の瞬間へと、歩く

グランドセントラル駅。42丁目を「告白」の瞬間へと、歩く

 

歩きながら、私はある決意を固めていました。

「何はともあれ、自分が今思っていること、感じていること、自分の中でずっとためらっていたことを今夜、ストレートに相手に伝えてみよう」

「今度ニューヨークに本の取材で行くから、もし時間あったら会おうよ、せっかくだしさ」なんて、そんな風にごまかすのはもうやめよう。結果がどうであれ、何もしないで後悔するより、一歩でも動いてみよう。

これまでずっと迷っていた「告白」という怖すぎる挑戦。そのハードルを越える決意を胸に、私は待ち合わせのステーキハウスにたどり着くと、扉の前で一旦立ち止まり、一つ大きく深呼吸してから、重い扉を、両手でグッと押し込みました。

にぎわうステーキハウス

にぎわうステーキハウス

 

数時間後、私はきらびやかなクリスマス・イルミネーション瞬く五番街を、ひとりポツポツ歩いていました。

あの時、ついに迎えたその瞬間。
意を決し、声を張り上げ挑んだ結果は…. 見事、玉砕。
最後はあっけない幕切れでした。

(何がいけなかったのか… あんなこと、言うべきじゃなかったかもしれない… )

後悔なのか恥ずかしさなのかもわからない思いが、収まりなくグルグル駆け巡ります。店中にあふれる人々の陽気なざわめき、その合間から流れてるとぼけた調子のカントリーミュージック、そして彼の当惑した顔。何もかもが、今だ目の前の出来事のようにまとわりついています。

いったい何を期待していたんだろう、どうしたくてここまで来たんだろう?
もっと、幸せになりたかったから?
でも、もしそうだとすると…

頭に彼の姿が、チラチラと浮かんできました。

マンハッタン、アッパーウエストサイドの高級アパートメント、本の山に囲まれ暮らす超インテリ。平均的な優しさとユーモアを持ち、人並み以上の闇を抱えたサプリメント漬けのその人と、仮にあのままうまくいったとしても、果たして私は、今以上に幸せになれたのだろうか? そもそも私にとって幸せとは、いったい何なんだろう。

 

5番街、きらびやかなサックスフィフスアべニューを通りすぎて

5番街、きらびやかなサックスフィフスアべニューを通りすぎて

 

楽しげに行き交う人々に紛れ、私はひとり、あてなくひたすら歩き続けていました。

「いい年して、ほんとバカみたい… 」

なんども何度も、自分で突っ込みながら。

ふと顔を上げると、トボトボ歩くその先にはクリスマスカラーに彩られたエンパイアステートビル。ゆらゆらゆがんだその姿は、夜の中にぽっかりと浮かんでいました。

 

 

出発の朝、静かなる達成感

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こうして、表向き「本のための取材旅行」と銘打った今回の旅は終わりました。

帰国の朝、飛行機の出発を待つロビーで、私はぼんやり窓越しに見える澄み渡った冬の空を眺めていました。

結局、今回の旅は、私にとって何だったのでしょう?

「取材」なんてカッコつけたところで、高い旅費に見合うだけの直接的な成果が得られたとは、正直まったく言えません。ダメ押しにあの残念なエンディング。どう見ても「コスパがいい」とは言えない旅でした。

それでも、何とも言えないすがすがしさが、身体の隅々へとゆっくり広がってゆくのを感じます。それは単なる旅の終わりの安堵感以上の何か。例えて言えば、静かな達成感のような感覚です。「絶対無理!」と思っていたことをやってのけたこと、たくさんの得難い出会いに恵まれたこと、そして結果がどうであれ一歩動いたこと、その一つひとつが勲章のように心の中で輝いているようでした。

そしてこの「達成感」こそ、十数年間のかつての自分が、ほとんど感じることのできなかったものだったように思うのです。あの時、教師を辞めて新しい世界へと足を踏み入れようとした私に、圧倒的に欠けていたこと、それは「思い切って一歩踏み出した自分を、何であれそのままに受け止める」ということだったのかもしれません。

そしてその障害となっていたのが、私自身の「高すぎるプライド」という心の壁。その壁に阻まれ、私はありのままの自分自身に、素直に向かい合うことができなくなっていたのです。だからこそ「他人の芝生」と比べるばかりで、どうしても「今の自分」を肯定できず、ただ自分自身をどんどんとあらぬ方向へ「こじらせて」しまっていたのかもしれません。

 

こじらせの根源、「高すぎるプライド」

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そんな私の人生をこれまでこじらせていた「高すぎるプライド」、あるいは過剰な自意識。

もちろん、プライド自体は決してネガティブなものではなく、むしろポジティブなものでもあります。「人からよく見られたい」、それは、私たち人間が集団の中で生きる動物である以上、多かれ少なかれ、誰しもが持っている心理的機能で、それ自体は決して悪いものではありません。

ただ問題は、それが過剰であったり、「他人の目」ばかりを意識しているゆえに面倒が生じるのです。過剰すぎる「外ヅラ的プライド」は、見えないルールとなって、その人をどこにも進めない檻の中に閉じ込め、ひいては自分の「こころ」のありかや進むべき方向を目隠ししてしまう可能性があります。

しかもその厄介なプライドの壁は、社会的な「何か」を獲得するごとに、どんどんと高くなりがちです。一概には言えませんが、例えば、学歴、社会的立場、肩書き、こうした外向けのラベルを手にすればするほど、人はその奥にある「本音」や「弱さ」を含んだ「ありのままの自分自身」を置き去りにしてしまう傾向があるのではないでしょうか。

本来の自分を見失った結果、他人との比較や、理想と自分との「ギャップ」ばかりが目につくようになり、ますます本来の自分とは違う方向へと「こじれて」しまいます。
本当に自分らしく、伸びやかにに生きたいと願うなら、そんな「こじらせループ」から、抜け出さなくてはいけないのです。

「今の自分」を受け止められなかった留学時代、毎日のように通ったニューヨーク大学界隈にて。

「今の自分」を受け止められなかった留学時代、毎日のように通ったニューヨーク大学界隈にて。

 

「私にとっての幸せ」とは

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閑散としていた出発ロビーに、徐々に人が集まり始めてきました。さまざまな出で立ちの人々をぼんやりと眺めながら、ふと出発前にある人に言われた言葉が、唐突に頭の中に蘇ってきました。

「幸せをテーマした本を出したいっていうけど、じゃあアゴウさんにとっての幸せって、何ですか?」

その時、私は、はっきりとその問いに答えることができませんでした。よりにもよって「幸せ」について、研究をしているというにも関わらず、です。
 
確かに私は、幸せやウェルビーイングというテーマを、主に心理学的な見地から学んでいます。そこでは「幸せ」という抽象的な問題を「科学的」な導きのもと、学術的な枠組みを使って説明し、広くて深いこのテーマを理解する上での有意義な手がかりを与えてくれます。

「自らの内発的動機に基づいて行動し、他者とポジティブな関係性を築き、ポジティブな感情を日々経験し、人生に対し深い意味感を感じている… 云々」

「幸せとは何か」と聞かれた時、こうしたアカデミックな言葉を駆使し、ある程度納得のいく答えを出すのは、おそらくさほど難しいことではないでしょう。

けれど、「私にとっての幸せ」と問われたその時、その言葉だけではどうも、心にズシンと響かない気がしたのです。そこにはもっと、いわば自分の内側にしっくりなじむ独特の表現や言葉が、あるような気がしたのです。

そして今、この旅を終えようとするこの時、もし再び同じことを問われたなら、私はたぶんこんな風に答えるかもしれません。

「正直に言うと、その答えはまだ探し中だけど、一つだけはっきりしているのは、自分にとって、幸せへの大きな鍵は、自分の中の『高すぎるプライド』を捨てること」

 

「こじらせ系」卒業への4ステップ

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私の「幸せ」をこれまでずっと曇らせていた「高すぎるプライド」。けれど今は、それを乗り越えるステップも、はっきりとした言葉で答えられる気がします。

1. 何はともあれ行動すること。身体の奥から湧き上がる声に従い、一歩前へと踏み出すこと。

2. 一歩動いた自分を受け止めること。結果がどうであれ、なんらジャッジすることなく素直に自分をみとめ、思い切って行動した自分の勇気を褒め、讃えること。

3. 自分の痛み、弱さ、みっともなさを含めた「ただの一人のわたし」を、更なる勇気を持って他の誰かへと開いてゆくこと。

4. そしてもう一度、そんな自分を讃えること。勇気を持って更に一歩踏み出した自分を、まるごと抱きしめること。

他者へと自分を開いてゆくこと、それは自分という「物語」を、あるがまま他の誰かと分かち合うことでもあります。それは、「ええかっこしいな」、例えば私のような人間からすれば、相当に勇気のいるプロセスでもあります。けれど自分を超えた他者と、自らの「物語」を共鳴させることで、他人の目に依存したちっぽけなプライドをはるかに超えた「本物のプライド」が自分の内側にしっかりと築かれてゆくのです。

外ヅラ的ものさしに寄りかかる「プライド」という名の壁の内に、自分を閉ざしてしまうのではなく、内側からの声を頼りに、その壁を恐る恐る乗り越えてみる。そんな自分を素直に受け止められた時、一つの達成感がもたらされ、そのポジティブな感覚が次の挑戦へと向かうエネルギーになってくれます。あえて「ポジティブ感情の拡張理論」なんて専門用語を持ち出すまでもなく、そのステップを繰り返すことを「成長」と呼ぶのかもしれません。

よくよく考えるに、この4つのステップは、すでに知識としては学んできたことばかりです。けれど、人によっては難なくこなせるシンプルなこのステップを、自分の言葉で、本当に「理解」するのに、私はずいぶんと時間がかかってしまいました。そしてこの4つの「通過点」が、私をさらなる「幸せ」という旅へと導いてくれるのだと、はっきりと今そう感じるのです。

その時、搭乗の案内を告げるアナウンスが、ロビーいっぱいに響き渡りました。再びの長いフライトが、この先に待っています。

私はゆっくりと立ち上がり、これから始まる新たな旅へと一歩、歩き始めました。

 

ニューヨーク吾郷智子
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高すぎる自意識を解放するには

1.   身体の奥から湧き上がる声に従い、一歩前へと踏み出すこと
2.   一歩動いた自分の勇気を褒め、讃えること
3.  自分の弱さを含めた「ただの一人のわたし」を、他の誰かへと開いてゆくこと

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 吾郷智子さんの過去のエッセイ  

TOOLS 101   誕生日は日本を脱出したくなる – 葛飾北斎から学んだ「年齢の呪縛」を解く3つのヒント


 


吾郷智子

吾郷智子

あごうともこ。ポジティブ心理学者。早稲田大学で心理学を専攻後、京都市立高校の公民科教諭として主に政治経済、倫理などを担当。その後、「社会を教えているのに、私は世の中のことを何も知らない」と痛感し、自身の世界を一層広げたいと留学を決意。ニューヨーク大学プロフェッショナル学部にて、人事マネジメントと人材開発を学び、外資系企業にて人事(採用・教育)、社長秘書等の業務にあたる。その後、渡英し、イーストロンドン大学で応用ポジティブ心理学修士(MAPP)取得。現在は、「強み」「その人らしさの表現」を軸に、一人一人が可能性を活かし充実して生きるには、をテーマに研究と実践を行っている。