「箱庭が作り手の内的世界を表すなら、この模型もイサムの孤独さを表している気がしてならないんだ。彼の描く地球の未来は終末的だし、この盛り土でぼんやり口を空けた顔はイサム自身ともとれないか」この日はやけにヒノキ材のにおいが鼻についた。
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現代美術私観
– 大気圏を越えるまなざし –
手柴 有喜 ( 日曜作家 / 日曜美術家 )
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自由に生きるために
俯瞰してものごとを眺めてみよう
【現代美術私観とは】 |
【アーティストプロフィール】 イサム・ノグチ(1912~1992) 『火星から見るための彫刻』(1947) ニューヨークのセントラル・パークに遊園地をつくるプラン『プレイマウンテン』(1933年)。 プレイマウンテンは実現しなかったものの、半世紀後、その計画は北海道にモエレ沼公園として結実した。大地に直接作品を彫り込むというコンセプトは、ランドスケープアートの先駆的なアイデアとして知られている。プレイマウンテンを構想した数年後、今度は火星から 見るために地球に彫刻するというスケールの大きい作品のアイデアを生み出した。こちらも 実現化はしなかった。盛り土で描かれた口を開けた人の顔のモチーフが空恐ろしい。 |
大気圏を越えるまなざし
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M原はD棟奥の彫刻棟で読書にふけっていた。ずいぶんとむずかしそうな本だ。表紙には『箱庭療法入門(※1)』とある。彫刻棟は、人気(ひとけ)が少なかった。M原のほかに数人いる程度で、屋根に打ちつける雨音が聞こえていた。雨になると登校率は全校生徒の10%にも満たなくなる。本学生は雨に弱い傾向があった。
「箱庭療法って海外で生まれた心理療法だけど、日本向きだと思うんだ」
M原は本から顔をあげると言った。
「盆石遊びとかね。あんまり馴染みないけど、日本に古くからある。子供の頃、公園の砂場で遊んだでしょ。山や川を作って。砂場という決められた区画の中で好き勝手に遊んでいたわけだ。もっとも、共同制作の場合が多かったけど。こんな遊びもセラピストが見たら病んでいるかどうかカウンセリングができるようだ」
彼はそう言って、彫像用の芯材に置いたトッポ(※2)の箱から1袋だけ取り出した。封を切ると、たばこを1本つまみ出すようにして、口に運んだ。
「イサムノグチという彫刻家を知っているか?」
薮から棒に質問が飛んできた。首を横に振ると、M原は話を続けた。
「イサムは、彫刻を眺めるものから体感するものに拡張した功労者だ。日本庭園から発想したんだ。今でこそ彫刻は空間芸術だけどね、イサムが彫刻界にもたらした功績で大分変わったんだ」
余談だが下の名前で気やすく呼ぶのはM原の癖だ。
「俗にいう “インスタ” だよ」
この発言は、画像共有SNS「インタグラム」が流行するずっと前のこと。当時、M原はインスタレーション(※3)を手前勝手な愛称でインスタと呼んでいた。もっともインスタは俗称ではなかった。
「イサムの作品に『火星から見るための彫刻』というのがある。作品の模型が残っているが、これを箱庭と見立てると、そこにはかなしみが浮かび上がるんだ」
箱庭からイサムノグチをやぶにらみに解き明かす。
「イサムは日本人の父と米国人の母(※4)から生まれたハーフだ。幼少期に日本で過ごすがいじめに遭う。その後、単身でアメリカに渡ったんだ」
M原はこの経験が俯瞰の視点を与えたと推し量る。
「イサムの孤独は大気圏を越えたのかもしれない。生前父と会えず、多感な時期に母とも物理的に距離ができた。海を渡ったイサムには俯瞰のまなざしを得た代わりにどこか空虚さがあったんだ」
と、言ってさらにこう続けた。
「箱庭が作り手の内的世界を表すなら、この模型もイサムの孤独さを表している気がしてならないんだ。彼の描く地球の未来は終末的だし、この盛り土でぼんやり口を空けた顔はイサム自身ともとれないか」
この日はやけにヒノキ材のにおいが鼻についた。M原は、たばこのように指またにトッポ挿んだままだった。
数年後、M原といっしょにフランス映画を見に行った。M原は暗くなった劇場内でスクリーンを指して言った。
「見てごらん」
そのとき映画の本編間際だった。CG映像で作られた文字のモビールがゆっくり旋回し出した。背後の壁に映るモビールの影も回っている。そのうち鶏の影絵が見えてくる。 ……それはPATHE! のタイトルロゴだった。
「イサムノグチの『彫刻のワークシート』のパーツを組み合わせればPATHE! のモビールが作れるんだ」
モビールは、キネティック・アート(動く芸術)の一種だ。創始は現代彫刻家のアレクサンダー・カルダーで、イサムノグチの同時代の作家だった。2人は親しかったという。M原はやけに興奮して持論を展開する。
「PATHE! の設立がまた2人と同年代なんだ。イサムとカルダーのモビールがPATHE!のタイトルロゴとして融合しているように見えるんだ」
映画の本編はすでにはじまっていたが、M原の私語はとまらなかった。映画館には注意する人がいないほど集客が悪く、芸術映画の興行収益の不振を物語っていた。
M原の視点は大気圏を越えまいにしろ、日付変更線は悠々と越えるような目のつけどころだと思った(※5)。
イサムノグチのまなざし 1. 伝統文化に目を向けてみる 2. 温故知新的発想で彫刻に “体感する” というエレメントを加える 3. さらに作家性を出すため、独自の着眼点でパッケージングする |
【極めてイサム・ノグチ的な表現】イラスト:手柴 有喜
【注釈】
※1
箱庭療法入門
心理学者・河合隼雄の著書。箱庭療法は、遊戯療法から派生した心理療法。セラピストが見守る中、クライエントは用意された箱に自由に遊具を入れその出来具合いから精神世界をひも解く。
※2
トッポ
M原は「ポッキー」派か「トッポ」派かといえば、後者だ。理由はどんじりまでチョコレートが詰まっているから。M原の統計によれば、ポッキー派は男性に、トッポ派は女性に多いとのこと。ちなみに「たけのこの里」と「きのこの山」ではきのこの山派。
※3
インスタレーション
芸術のいちジャンル。広義的には場所や空間全体を作品として作品として体験させる芸術のこと。『火星から見るための彫刻』は実現すれば最初のインスタレーションだった(M原談)。
※4
日本人の父と米国人の母
イサムノグチは詩人の野口米次郎と教育者レオニー・ギルモアから生まれた。内妻だったレオニーは米次郎を追って来日。幼少期を四季の多い日本で過ごしたことがイサムの芸術家人生に大きな影響を与えた。後に東洋と西欧の融合を追求した父の背中を追ってイサムノグチと名乗るようになる。
※5
日付変更線を越えるまなざし
イサムノグチと比較したM原の着眼点のこと。