TOOLS 23 飛行機で寛ぎつつ運命の人と出逢う方法/坂本那香子

自分の思い込みによって運命を見逃してないか再検証が必要
TOOLS 23

飛行機で寛ぎつつ運命の人と出逢う方法
坂本 那香子(母になる。海外で働く」「シンガポール子連れ赴任


自由に生きるために

メイクを落としてジャージを着よう

 

いつか飛行機の隣の席に
ーーー

いつか飛行機の隣の席に、運命の人が座るかも知れない。20代の頃、私は半分本気でそう思っていました。その人は、白馬に乗った王子様のような人です。もちろん、私たちは一目で恋に落ちます。その瞬間のために、私は、どんな長距離フライトでも、コンタクトレンズを入れ、化粧をし、ヒールのある靴を履いて機体に乗り込みました。

座席に私が先に座っている場合、隣にどんな人が来るかなと考えながら待ちます。カバンから、私が持っているのとまったく同じ表紙の『地球の歩き方』を取り出した人には、一気に親近感が湧きました。でも残念ながら、性別は女性でした。バックパック一つで海外を飛び回るお婆ちゃんの話は、映画を見るのも忘れてフムフムと聞き入りました。カッコいい男の人が隣の席に座った時には、心の中で拍手喝さいをしましたが、すぐに綺麗な彼女がいることが判明しました。私とは反対側の隣に彼女が座ったからです。

そして、結婚してからも
ーーー

20代最後の年、私は結婚しました。お相手は、学生時代からずっと付き合っている人でした。ときめきよりも、安らぎを感じる人です。あらわれた時、白馬に乗っていなかったことだけは間違いありません。

その結果、私が、飛行機の中で運命の人と出逢うためのハードルは一気に上がりました。もしかして、すごく素敵な人が飛行機の隣に座って、私も向こうも一目でビビビッと恋に落ちることはまだあり得るかもしれません。でも、二人がその運命を共にするためには、どこかの時点で夫との離婚届が必要になります。うーーーん…、それはかなり難しいのでは? もし万が一、そんなドラマチックな展開が本当に私の人生に起こりえるとしたら、ハードルがもう1つぐらい増えても大差ないだろう、と私は考えるようになりました。

そこで、飛行機に乗る時に化粧をするのを止めました。コンタクトレンズも諦めて、おとなしく眼鏡を掛けます。ヒールの靴なんてとんでもありません。飛行機の中は、気圧の関係で足がむくむに決まっています。スニーカーが楽ちん、楽ちん。服装もほとんどジャージのような恰好です。締め付けは血流を悪くします。エコノミー症候群になったら大変です。大きな空港にはたいていシャワー施設があります。成田空港にも有料のシャワールームがあります。飛行機に乗る前にシャワーを浴びて化粧を落としてリラックスすると、フライト中の疲れ方が軽く済みます。

飛行機の中での外見の変化に関する私のロジックは、こうです。本当にそれが運命の人なら、ノーメイクに眼鏡にジャージが障害になんかなりません。そんな些末なことは軽々と乗り越えて、恋に落ちるべき二人は恋に落ちるでしょう。

運命は思いがけない形で
ーーー
結局、これは、飛行機に乗るという体験を、あるいは運命の人と出逢うという体験を、どれぐらい非日常のものとして位置づけるかという話なんだと思います。昔、日本には、ハレの日(非日常)とケの日(日常)があったと言います。今の私にとって、飛行機に乗るのは、ケの日の出来事です。そして、もし飛行機の中で私が私の運命の人に出逢うとしたら、それは日常の中にいる猟師が、突然、天から落ちてきた羽衣を見つけるような体験になるでしょう。本来、運命とは、そんなふうに訪れるものかも知れません。

そんな妄想を抱きつつ、もうすぐ夫と結婚して10年になります。このまま二人で歳を取って私の80歳の誕生日を一緒に迎える頃には、結局この人が私の運命の人だったんだなぁ…と思うことでしょう。実際、彼は何度も何度も飛行機で私の隣の席に座りました。一緒に旅をしているのだから、当たり前です。運命は予想外のフォーマットでやって来ることもあります。天から落ちてきた羽衣を、ただの布きれだと思い、振り払って道端に捨てていくようなことだって、起こりえます。自分の思い込みによって運命を見逃してないか、私自身も再検証が必要なようです。

飛行機でくつろぎつつ運命の人と出逢う方法
1. 空港でシャワーを浴び、ノーメイクに眼鏡でジャージになる
2. 日常の中にふいに訪れる運命を見逃さないよう、アンテナを張る
3. 運命は予想と違う形で訪れることもあるのをお忘れなく


Photo:Matt Hintsa(上),Éole Wind(下)


坂本 那香子

坂本 那香子

(さかもと なかこ)石川県七尾市出身。1998年米国ミネソタ州マカレスター大学卒。2001年一橋大学経済学研究科修士課程修了。同年、アーサー・D・リトル(株)入社。3年間経営コンサルティング業務に携わったのち、2004年ロシュ・ダイアグノスティックス(株)に転職。経営企画グループに入社、2年後同社で最年少の管理職となる。2008年男児を出産。2010年シンガポールに赴任。2013年に帰国し、現在は病院の経営企画に勤務。WEBサイトにて自身の子連れ海外赴任の体験を綴っている。