TOOLS 80 島旅で取り戻した3つの本能 / Fumi ( 島旅・海旅トラベラー )

東京に住んで早いもので14年。都会の暮らしは馴染みつつあるものの、「もっと自然に囲まれた暮らしがしたい」と思うようになり、そのヒントが得られればと島に向かった。この旅で、私は何度も都会ではなかなか得られない「本能が震える体験」をすることになった。
TOOLS 80
島旅で取り戻した3つの本能
Fumi  ( 島旅・海旅トラベラー )

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自由に生きるために
誰もいない大自然の中で、本能が震える体験をしよう

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この夏、2泊3日で伊豆七島の式根島と新島に行ってきた。旅の目的は、海を堪能すること、島の自然を満喫すること、綺麗な夕日を見ること。

今回この島を旅先に選んだ理由としては、数年前に同じ伊豆七島にある御蔵島を旅した時、東京とはまったく違う島の空気感が心地良く、印象深かったのだ。

東京に住んで早いもので14年。都会の暮らしは馴染みつつあるものの、去年アメリカのポートランドに行ったことで、「もっと自然に囲まれた暮らしがしたい」と思うようになり、そのヒントが得られればと島に向かった。

この旅で、私は何度も都会ではなかなか得られない「本能が震える体験」をすることになった。そして旅の間、島での暮らしについて思いを巡らせながら、気づくと3つの大切なものを得ていたように思う。

 

1.  日の出日の入りを中心とした自然が整える生活リズム

東京からジェット船で約3時間、式根島に到着した。一日あれば自転車で一周できる、こじんまりとした島だ。

手つかずの自然が多く残り、島の人々は自然を守りながら、必要なものだけ頂いて生きる。そういう昔からの日本人の生き方がちゃんとそこには続いていた。時間の使い方も都市とは全く違っていて、暗くなれば街灯もほとんどなく、皆あまり出歩かない。海に囲まれた島だから、本当に日が落ちると真っ暗で何も見えず怖いのだ。だからお店も朝は早く、日が出ている間が主な活動時間だ。そんな風に皆がだいたい同じサイクルで生きている。

東京から島に行くと大抵始めはこの「島時間」に戸惑うが、きっと四六時中活動できる場所の方が、世界で考えたら特殊なのだろう。人が環境に順応するのは思ったよりも早いもので、2、3日も経てばいつもより早いはずの食事の時間にはお腹が減り、目覚ましがなくても日の光とともに目が覚めるようになった。不自然に機械に頼って暮らす生活を改めたいと思った。

 


2.  自然に対する畏敬の念と、謙虚さ

2日目の朝、式根島から約10分の新島に着いた。とても良く晴れた日だった。着いて少し自転車で島を廻ると、すぐさま自然の圧倒的なエネルギーに畏敬の念を感じた。都会の人の手で手入れされた木とは違い、生命力の赴くままに育った森は、それだけでとても強いエネルギーを放っていた。気安く踏み入れてはいけないと感じさせる迫力があった。

こうした感覚は、これまで他の場所を旅した時も幾度となく感じてきた。沖縄の座間味諸島を自転車で一人旅していた時も、その感覚は突然やってきた。とても晴れた昼間、美しい景色が見える目的地を目指してひたすら自転車を漕いでいたその時、突然見渡す限り生き物が自分しかいないことに気付き、その瞬間、島を覆う自然の迫力に圧倒されて怖くなったのだった。そのあとは、人を見つける度、車が通る度にほっとした記憶がある。

違う離島では、ヤギに遭っただけでほっとしたことすらあった。普段都会で人がいない場所なんてどこにもない、という生活に慣れてしまったせいなのか。新島でも、自然のままの野ざらしの海岸から、ひとたび人の手入れの行き届いた海岸に移動すると安堵感が全く違った。それはとても不思議な感覚だった。

完璧な「自然」も、過度な「都会」も、怖くなる

旅する中で、新島の海があまりにも美しく魅力的だったので、そんな壮大な自然に囲まれて暮らすことを想像してみた。美しい海のそばで暮らすことは考えただけですばらしかったが、どこかあの自然から感じた畏敬の念が、両足が地から数センチ浮いているような落ち着かなさを私の心にもたらした。

その時ふと思った。大都市を作った先人の人々は、自然の畏怖を感じていたのではないだろうかと。本能的に、自然に囲まれた中に人が作ったものを見つけるとほっとする。先人達は自然に対する畏れから、その痕跡を少しづつ無くしていくことで安心して暮らせる土地を広げていったのではないだろうか。

でも、人間が作ったものも、人力以上の機械を作って建てられた高層ビルや、巨大建築となると、やはり同じような畏怖を感じることがある。私たちが安心して暮らせる環境とは、本来どんなものなのだろう。大自然の中で生きるということは、それだけ自然に影響され、エネルギーを使うだろう。でもこの発展を遂げた高層ビルに囲まれた都市で生きることも、形は違えどエネルギーを使うことなのかもしれない。

 

 

3.  人間が持ち合わせている本来の感覚の鋭さ

新島で、カフェで働く同年代くらいの女性に、島の住み心地について聞いてみた。

「夏は海に囲まれた土地柄サーフィンや海水浴などができて良いけれど、冬は風がとにかく強い」

という。それは、夏真っ只中の今でも少し想像できた。島の周りをぐるっと囲んだ海は、ラムネのような色をしていてとても美しかったが、海風を受け続けてきた島の岩肌は、自然の力の凄まじさを感じさせる荒々しさがあった。また、

「台風や悪天候で船が来ないと食料や日用品が入ってこないので、大変」

なのだそうだ。きっと、物資がいつ入ってこなくなるかもしれないという危機感が日常的にあるのだろう。島で暮らす人々にとって天候は、都心に住む私たち以上に暮らしと密接に関わっているのだ。だからこそ、ものを大切にする心、自然への感謝の気持ちが芽生える。

自然を多く残してきたのも、雨水を森に貯め、暴風雨から土地を守るための知恵だったのかもしれない。進化を続ける中で生き延びる方法を身につけてきた大自然に身をゆだねれば、人間も自然のサイクルの一つとしてきちんと生きてゆけるのだろう。島の人々は、そうした恩恵を受けていることを知っているからこそ、思い通りにならない自然も受け入れ、共存しているように思えた。

しかし、都市では森を切り開いた代償として、行き場を失った雨水が洪水を起こし、ゲリラ豪雨を降らせる。いくら森や川の代わりになるものをコンクリートで作ったって、自然がひとたび厳しい一面を見せると、計算で出した数値や想像をいとも簡単に超えてしまう。自然には到底かなわないのだということを知りながら生きるかどうかで、「謙虚に自然と共存する生き方」と「自然に抗う生き方」に分かれていくのではないだろうか。

工夫さえすれば、必要なものは多くない

旅を通して、自然に囲まれていると、なぜかいつもより眠くなったり、涙もろくなったり、お腹がすいたり感覚が鋭くなったように感じた。島での暮らしは、人間を本来の姿に取り戻してくれるような気がする。

都会で暮らしていく中でも、自然に囲まれた島での暮らしをイメージして不自由さも楽しむ暮らしがしたい。そんなに便利じゃなくても、ものが豊富でなくても、必要なものはそんなに多くはないと、島が教えてくれた。

PHOTO:著者本人


Fumi

Fumi

島旅・海旅トラベラー 1984年宮城県仙台市生まれ。旅行好きな両親の影響で、幼い頃から旅の魅力に目覚める。大学で比較文化学科で世界の文化を学ぶ中で、日本のルーツであるアジア圏に興味を持ち、主にアジアを旅する。特に大学2年で参加したカンボジアボランティアツアーでは、カンボジアの人々の慈悲深さに触れ、深い感銘を受ける。2015年8月には自由大学主催のCreative Camp in Portland に参加し、アメリカオレゴン州の自然に囲まれた都市ポートランドの、DIY精神、パーマカルチャー、自然と共存する生き方などに影響を受ける。海が好きなことから、島や、海のそばを旅することが多い。最近、長年憧れていたサーフィンを始め、より一層海への探究心が深まる。