TOOLS 67 絶望ノックのかわし方 /ホウシ ヨウコ( 派遣社員 / エッセイスト )

仕方ないわ、生きていかなくちゃ。20歳のわたしにとって、このソーニャのセリフは呪いのようだった。人生はそんなにつらく苦しいものなのだろうか、と。でも年齢を重ねた今、またちがう意味で衝撃をもってこの言葉を受けとめている。
TOOLS 67
絶望ノックのかわし方
ホウシ ヨウコ  ( 派遣社員  /  エッセイスト )

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自由に生きるために
「仕方ない」の一歩先へ進め!

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最近、夢やぶれた。夢というと大げさだが、久しぶりにある仕事に応募した。40代のわたしが20代と肩を並べ果敢に挑んだものの、思い届かず。結果判明まで1ヶ月半ほどかかったので、悪いことに少し期待してしまった。

季節は秋から冬へ。キョンキョンの「木枯らしに抱かれて」が頭の中をグルグルめぐる…。そんな折、記憶の奥にしまいこんだままとなっていた、あの陰気な『ワーニャ伯父さん』がふとよみがえってきた。

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『ワーニャ伯父さん』って?

『ワーニャ伯父さん』とは、チェーホフの戯曲のタイトルである。戯曲というのは、ほぼ登場人物のセリフだけで綴られている。小説を読みなれていると、戯曲は正直言って読みづらい。大学1年生の時に受講した演劇の授業で、わたしは『ワーニャ伯父さん』と出会った。

担当教官は英文学の教授で、いかにも融通のきかないタイプだった。お互い相性はいいとは言えなかったが、授業は意外におもしろかった。「演劇」ではあったが実技はいっさいない。有名な戯曲を読むという内容だった。

ある日の題材はシェイクスピアの『十二夜』。感想を言えと指名されてしまった。わたしはドラマチックな悲劇『マクべス』は素直にスゴイと感じた。マクベスの運命の行方にドキドキした。けれど喜劇の『十二夜』は、登場人物たちの軽やかな恋模様の話。感想…?

「くだらないと思います」

思わず本音が出てしまった。言った瞬間、しまったと思った。

「リアリー? 」

まじめ一徹の教授は静かに立腹し、終わりのチャイムが鳴るまで、言葉をつくしてわたしを全否定した。

教授にはカンペキに嫌われたが、その後も授業には出続け戯曲を読んだ。背伸びをして「ああいいな」と思えるものもあったが、サッパリ…というものもあった。名作『ワーニャ伯父さん』も、どちらかといえば後者だ。暗く地味な展開で、テーマも難解である。最後まで読んで驚いた。登場人物誰一人として、幸せにならないのだ!

 

人生の悲哀男、ワーニャ伯父さん

『ワーニャ伯父さん』を簡単に説明しよう。主人公は、中年男ワーニャと美しくない女ソーニャ。そもそもこの設定がテッパンやぶりだ。若い男と美人が出てこない月9ドラマがあったら逆に話題になる。

ワーニャは、27才の美しい義妹エレーナ(亡き実妹の夫の後妻)に片思いをしており、姪のソーニャの思い人の男性もまた、エレーナに思いを寄せている。ソーニャにとってエレーナは、年齢は近いが継母(父親の後妻)だ。

詳細は差し控えるがワーニャの人生にはもはや希望はない。唯一の光はエレーナだが、それもむなしい夢だ。だから愚痴を言うしかなく、みんなから疎まれている。ソーニャは美人ではないが、健気でやさしく、みんなからも好かれている。だが彼女の人生も忍耐の連続であり、それがむくわれることはない。

心やさしいソーニャだけがワーニャの痛みを理解でき、またワーニャを励ますこともできる。この作品のタイトル『ワーニャ伯父さん』には、彼女のやさしいまなざしが感じられる。

 

美人だって大変らしい

ところで『ワーニャ伯父さん』には、あちこちからモテモテのエレーナという女性が登場する。わたしの友達にも美人が二人いる。二人ともガツガツせずとも美人なのでいつも悠然としている(ように見える)。そして見た目によらず、毒舌で、現実的で、サバサバとしている。エレーナも素朴な性格で、モテモテなのにいい気にならない。(というか言い寄ってくる人は理屈っぽいおじさんばかりだから、テンションが上がらないのかも。)

「お前の身分と顔以外、どこを愛せちいうとか!(どこを愛せというのか)」

少し前の朝ドラ『花子とアン』で話題になったワンシーンだ。主人公花子(吉高由里子)の美人の親友(仲間由紀恵)が、成りあがりの夫からこう言われて絶望する。普通の人なら「お前の顔が好き≒わたしのことが好き」という単純な図式となるが、美人はそうではない。そう考えるとエレーナの憂鬱もうなずける。若く美しい彼女を周りは放っておいてくれない。彼女の夫が偏屈老人であることを、勝手に同情される。偏屈老人の夫はよけい卑屈になる。彼女はついに夫に言う。

「もう少し待っててよ。わたしもおばさんになるから」

 

文学史に残る名セリフ

ソーニャに話を戻すと、彼女は失恋する。彼女の思い人は独身の中年男なのだが、「尊敬はしてるが、女性として愛してはいない」と彼女を拒絶する。それでもソーニャは自分の運命を受け入れる。そして文学史的にも美しいラストシーンとして有名な彼女の最後のセリフへとつながる。


でも仕方ないでしょう? 私たち、生きていかなければ。

長々とどこまでもはてしなく続く日々を、生きていきましょう。そしてその時が来たら、黙って死んでいきましょう。あの世へ行ったら、私たちはどんなに苦しみ涙を流したか、どんなにつらい思いをしたか、申し上げましょう、そうしたら神さまは、きっとあわれと思ってくださるわ。

そのときこそ伯父さん、私たちは、光と美と恩寵に包まれた生活を目の前にして、嬉しいと思うでしょう。ワーニャ伯父さん、かわいそうに泣いていらっしゃるのね… きっといまに、私たちはひと息つけるのよ…

『ワーニャ伯父さん』 小田島雄志訳

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仕方ないけど生きていく

仕方ないわ、生きていかなくちゃ。20歳のわたしにとって、このソーニャのセリフは呪いのようだった。人生はそんなにつらく苦しいものなのだろうか、と。でも年齢を重ねた今、またちがう意味で衝撃をもってこの言葉を受けとめている。

ソーニャにも、そしてきっとわたしにも、「自分は幸せになってもいいはず」という自負はある。でも人生はいつも思い通りにはいかず、つらい思いもする。そうでなくても人生という名の暴君コーチは容赦なく、次々とシートノックをしかけてくる。まともに受けていては身がもたない。なんとか立ち向かわなければ、手痛いボールをまた打ち込まれてしまう。ソーニャはそれをうまくかわす魔法の言葉を知っている。「仕方ない」だ。

ねぇ、地べたでうずくまっていても、逃げきることはできない。だから立ちあがって前へ進むの。

彼女はこう言いたかったのではないか。

絶望している時間なんてない。次の絶望が待っている。
仕方ないけど結局、生きていくしかないのだ。

 

 

絶望ノックのかわし方
1.  ためしに「仕方がない」と言ってみる(要領としては、どっこらしょ! と同じ)
2.  負けを認めても、負けないこと
3.  求めている人生の答えはきっと、「仕方ない」の先にある

 


PHOTO : Bez Uma


ホウシヨウコ

ホウシヨウコ

派遣社員 / エッセイスト 1974年埼玉県生まれ、石川県育ち。石川-東京間を行き来しつつ、約10年間図書館司書を勤めたのち、現在は建設会社に派遣社員として勤務。オーディナリーでは、安定を求めながらも変わり続けざるをえない「非正規なはたらきかた」についてのエッセイを執筆。