同世代の友人はどこか私が遠くに行くような予感がしたのか、否定的だったの。でも娘だけは、「お母さんなら大丈夫」と。若者の中でもやっていけると再び背中を押してくれたのね。「新しい働き方がそこにある。きっとヒントが隠れている」という予感がしてた。
TOOLS 65
若者の中におばさんひとり
林 道子 ( Chiko House コンシェルジュ / プランナー )
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自由に生きるために
安心の世界から飛び出そう
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子育てを終えて、人生初めてのひとり暮らし
2人の娘たちが、この一軒家から巣立っていき、私もまた初めてのひとり暮らしを始めた。実は次女がなかなか家を出たがらなかったので、自分も出るついでに、ところてん式に押し出した感じね。やっとこさそれぞれの新生活がスタートしたわけだ。
ひとり暮らしを始める時も、やはり上の娘に背中を押されたのね。つまりシングルに戻ってからこの一軒家で親子3世代の生活だったけれど、私もまた母親と離れて住んだ方がいいと言ってくれたのは、娘だったの。女ばかりの共同生活も中々ハードな部分もあってね。一軒家には私の母が残り、それぞれ一旦物理的に離れることを選んだのね。
そして私のひとり暮らしがはじまった。正直、それまでの生活に疲れ果てて、引っ越す元気なんて自分に残っていると思えない感じだったけれど、いざ家探しをはじめたらエンジンがかかって、とんとん拍子で新しい家も決まってしまったのね。次女が荷物と一緒にトラックに乗り込むのを見届けた後、私もすぐに引っ越したの。
「スクーリング・パッド」との出会い
駅から歩いて4分。今までの一軒家とは比較にならないアクセスの良さ。狭いけれど、快適な生活に相当浮かれていたと思う。それまで会社以外でかなり活動的に動いていたけれど、加速した感じ。好きに部屋の中をコーディネイトして、友人を呼び、夕食の心配をしないで、アンテナが動くままに飛び回っていた。
とある時、定期購読していたトレンド発信の新聞に、釘付けになった。男女3人のプロダクトユニット結成の記事で、それぞれ本職を持ちながら、新しい活動をスタートさせたメンバーの笑顔が眩しくてね。読み進めるうちに、池尻の「世田谷ものづくり学校」の中にある「スクーリング・パッド」という感度の高い社会人学校の卒業生とわかったのね。
それからの自分のアクションの速さはいつものことなのだけれどね。まずは学校(スクーリング・パッド)の説明会に参加。もちろん周りは若者だらけ。いつものアウェイ感もありつつ、廃校をリノベイトした学校のペンキの匂いだったり、おしゃれな本棚だったりに五感がすでに新しい空気を感じ取っていて、日常では体験できない何かが待っている感、満載だったのを覚えている。
挙動不審なおばさん
説明会の夜、入学を考えるのに友人に相談したりしたのだけれど、同世代の友人はどこか私が遠くに行くような予感がしたのか、否定的だったの。でも娘だけは、「お母さんなら大丈夫」と。若者の中でもやっていけると再び背中を押してくれたのね。親子逆転なんだけど、お陰で決心が固まったのね。「新しい働き方がそこにある。きっとヒントが隠れている」という予感がしていたの。それから入学の準備に入ったのは言うまでもなく。いよいよ初めての授業の日を迎えることになるわけ。
その日、意気込んでいた私は、早めに教室の横の廊下に立って、緊張しながらきょろきょろする、挙動不審のおばさんだったと思う。その横を意気揚々と通り過ぎる若者達。
「あれっ、場違いだった私? 」
痛感したけど、時すでに遅し。おしゃれな帽子を何気なく被った青年だったり、モバイル世代の洗練されたエッジのたった若者達に囲まれて、私の週末だけの学生生活がはじまったの。
トイレでタバコ?
授業は、広告やアートなどで活躍している著名な方たちと学部長とのトークセッション。それまでの経験で固まった価値観が脳内でシャッフルされる感覚。大学で広告が一番すきだった私は、著名な広告マンの話に、思わず目頭が熱くなる思いをしたわけで。教室にいる自分。授業に参加している自分のこの幸福感はなんなんだろうと。
そしてそんな熱い視線を感じたのか、その広告マンが私に言ったのだった。
「きみねー。トイレでタバコすったことないでしょー」
「はい。ありません」
「学校のガラスとかも割ったことないでしょー」
「はい。ありません。娘は割りましたけどー」
彼はことばを失い、教室は爆笑の渦になったことはいうまでもない。
おかしなおばさんが前列でうっとりと授業に聴き入り、すこしいじってやろうと思ったのかもしれない。反抗期の娘を育てたシングルマザーなどということも知らないわけで、いじった相手をまちがえたのか、私の変人ぶりを彼は見抜いていていたのかは、さだかではないけどね。
しかし、まわりの若者たちは、熱心にメモをとり、本気度も高かった。出版社のエディター、インテリアデザイナー、建築関係からITまでの多彩な職業の彼等は、学生にはない真剣さをかもしだしていた。一旦社会で何らかの経験を積みながらも、現状に満足することがなく、常に学ぶ姿勢を持ってここにきているからには、何か身につけてやろうとする飢餓感さえあって、教室はいつも熱気に満ちていたのだ。その中で私は、アウェイ感を乗り越えるべく、おばさんながらも若者たちと肩を並べて、かなり頑張っていたわけだ。
キッチンの共同作業
しかし充実していたのは授業だけではなかった。授業が始まる前の時間から、終わった後の時間も私たちは、校舎に設置されたキッチンで、ほぼ毎週あつまって、「サンマ・ナイト」や「サンドイッチ・ナイト」、「カレー・ナイト」などテーマを決めて大勢でワイワイと料理を作り、交流を深めていった。男女が区別なく、楽しく料理をつくる体験は、私には衝撃的だった。世代を越えて、私さえも受け入れてくれた彼ら。分け隔てなく同じ学校の同期生として接してくれる彼等との楽しく充実した時間を共有することなんて、想定外もいいとこだった。楽しすぎて時を忘れて、いろいろ語り合い時間を重ねたのだった。
いまでこそ、みんなで料理を作りながら、出会いや学びを共有する空間があるけれど、当時(7年前)はとても新鮮な体験でね。リードする人。サポートする人。場を盛り上げる人と。それぞれの持ち味と程よい距離感が産みだす共同作業があんなに楽しいものなのかと。社会人としての協調性と週末だけ学生に戻った開放感と、共に学ぶ場所を共有する連体感が、私たちを優しく笑顔にしていたのかもしれないなと。
今につながる財産
当時はまだ今みたいにSNSもなくて夜中まで、みんなでメールしてたな。受け身ではなく自分から動く彼等の意識の高さは圧倒的で、アイデアが尽きることがなく、意見がぶつかることもあったけれどね。
そして、みんな働きながらの4ヶ月は、ヘトヘトになりながらも、密度の高い充実した学校生活だったし、その後も今につながる学びがあったこと。また、かけがえのない仲間と出会えたことは、財産となっているに違いない。少なくとも私にとっては、いまも、心の中に、息づいているマインドは当時のままだしね。ありがたいことに、いまも変わらず彼等との交流は途切れてはいない。たまに会っても、思い出話より、今を語り合えるのがなにより嬉しいし、お互いの変化を喜べる関係でいたいなと思うのね。
その後も私は、若者たちの中に飛び込むという、いい意味でのバンジージャンプ体験を積み重ねていくわけで、実年齢と内面の幼さのギャップも広がる一方で、変なおばさんとして生きる覚悟を固めていったのね。そしてまた、多くの出会いと新しい体験の扉が開こうとしていたのだ。
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新しい体験へバンジージャンプする方法 1. 思い切って引っ越してみる 2. アンテナを立て、予感を信じる 3. 場違いをおそれず、新しいコミュニティーに踏みこむ |
林道子さんが家をひらくことになった話
TOOLS 63 美しき娘たちよ、さようなら(2015.12.28)
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PHOTO : Bill Automata (注:トップ画像はイメージです)