一身上の都合 第7話「新しい視点から旅館経営を学びたかったから」 山崎優美子さんの場合

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天草育ちの海老屋の娘。山あり谷ありでも、旅館経営の夢を追いかけている。

第7話  山崎優美子さん(宿泊業コンサルティング会社勤務)の場合

新しい視点から旅館経営を学びたかったから
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29歳の山崎優美子さんは2014年9月に、2年前に結婚した夫の転職を機に上京した。5年ほど勤めていた下呂にある温泉旅館を退職し、現在は夫と同じホテル事業のコンサルティング会社に転職する。家庭の事情での転職となったが、新卒で入社した会社も倒産により退職となった。2度の転職を経験したが、どちらもきっかけは外部からやって来た。コントロール出来ないものに左右されたように見えるが、本人は変化を柔軟に受け入れ自分のキャリアを描いている。
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連載「一身上の都合」とは、むらかみみさと(オーディナリー編集部)が聞くみんなの退職ストーリー。「一身上の都合により」という退職届定番のひとことの裏には十人十色の事情や決意がありました。辞めることからはじまったゲストたちの人生からは、時代の変わり目を生きる私たちが学べることがきっとあるはず。


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天草育ちの海老屋の娘

親の働き方が子供に与える影響は大きい。サラリーマンか自営業か、忙しかったか比較的ゆとりがあったのか。子供の頃から記憶に刷り込まれたその姿によって “働き方のスタンダード” と呼べる型が作られる。親のように働きたいと思うこともあれば、ああはなりたくないな、と真逆の生き方を求めることもあるだろう。

熊本県天草で海老の養殖業を営む両親のもとに生まれた優美子さんもまた、親の仕事に大きな影響を受けて成長する。自分も天草という土地で事業をやりたいという思いを持つようになり、将来の夢になった。家業を継ぐのではなく、もっと大きな展望を定め、人を天草に引き寄せ海老を食べてもらうこともできるように旅館を経営したいと考えるようになる。
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両親から「自営は楽しいぞー」と言われて育ちました。ある意味、洗脳ですよね(笑)

ゆくゆくは故郷天草で旅館の女将に。高校卒業後は、国内観光の中枢である京都に近いこともあり、立命館大学経営学部に進学する。そこで将来の夫とも出会うことになるのだが、熊本から都会に出て、大学に入り、視野も選択肢も広がる中でも “自分の旅館を持つ” という目標が揺らぐことはなかった。

就職活動はホテルや旅館を中心に行い、沖縄のリゾート開発会社に入社する。ゼロから観光ホテルを作ることは自分の将来にとって大きな経験になるはずだった。 着実に将来の夢へ向かって歩みを進めていたが、思いがけないタイミングで最初の試練が訪れる。

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入社半年で倒産、解雇

優美子さんが就職した2008年は世界経済が暗転した年として歴史に刻まれることになる。

そんなことを欠片も予想せず、仕事のために大学卒業後、沖縄に移住する。だが状況は一気に悪化し、2008年9月に数百億円もの負債を抱えて会社が倒産し、就職わずか半年で職を失ってしまった。これが思いがけず訪れた最初の転職になる。
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「リーマンショックのせいだけではないと思いますが、倒産ということになりました」

社会に出たばかりでこんな洗礼を受ければ、もっと安定した業界へ、と思いそうなものだが観光業への関心と魅力は揺らぐことがなかった。再びホテル業を中心とした再就職活動を行い、下呂の温泉旅館に入社する。経理を中心として、フロント業務、採用なども担当しながら旅館業や経営について学んでいく。

その中で業界の古い慣習やスタッフの働き方、仕事への考え方など困惑することもあった。改善や新しい提案を出しても受け入れられず歯痒い思いをしたこともある。だが仕事を続けていたのは、どんな業務でも経験で、今後自分の糧になると信じていたからだ。この職場を辞めるときは、仕事が辛いからとか、面白く無いからとかネガティブな気持ちではなく、次のステップに進む前向きな理由が現れたらと心に決めていた。

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結婚と仕事、これからのこと

ホテルや旅館は日本全国にあるが、二度目の就職先に下呂を選んだのは、当時遠距離恋愛をしていた相手が名古屋に住んでいたという理由もある。特に観光業に思い入れがある恋人ではなかったが、気づけば彼も下呂の旅館に転職し、“一緒に事業を起こすこと” が自然にふたりの目標になった。

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「接客などのコミュニケーションはあまり得意ではないと自覚してます。でも、数字を見て経営面での課題解決を考えるのは好きです」

 

結婚後、夫婦としての生き方や働き方を考える中で、転職し上京することが決まった。下呂の仕事への未練や不安よりも、自分の中にあった “ポジティブな転職をしたい” という気持ちと合致し、また、都内の外資系や老舗ホテルなどで経験したことのない業務をやってみようという前向きな考えの方が大きかった。

最終的に縁あって夫と同じ会社に勤めることになるのだが、経理の経験を活かしたコンサルタントとして働いている。

いつか天草で旅館をという気持ちは変わらないが、結婚してからは “夫婦でひとつの事業を手がけたい” という夢も追加された。旅館が理想だけれど、もう少し近いところから、レストランやペンションなどもいいかもしれないと思っている。そして故郷天草にたくさんの人を呼び、豊かで活気あるまちになって欲しい。高校進学の時に親元を離れ下宿生活を送った。それから今まで天草から離れているが、いつか帰る場所だと思っている。

 

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「15歳で親元を離れた時は、寂しくて泣きました。でも2週間も経つと新生活が楽しくて。きっと、わたしはどこでだって生きていける」

 

旅館を営む夢はまだおぼろげだし、更に家族の夢として子供も作りたいと思っている。女性であることは関係ないと言い切り頑張ることも選択のひとつではあるけれど、もっと軽やかに自分らしく夢に向かっていく方法もある。きっとこれから先も平坦な道ではないだろうけれど、幾つもの山や谷にもめげず突き進んできたから、未来に繋がる道を一歩ずつ歩いていくのだろう。

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編集後記:自分の生きやすいトーンを見つけること

優美子さんは高校の同級生であるが、当時から「旅館をやりたい」と言っていたことをよく覚えている。就職した会社が倒産したと聞いたときは、これからどうするのかと心配したものだが、本人は変わらず前向きに次の進路を定めて突き進んでいた。

今回は “等身大の女性” を紹介したい、と思って優美子さんを選んだのだが、こんな骨のあるひとはそうはいないな、とインタビュー中に気がついた。会社の倒産や結婚、夫の都合による転居と転職など、自分の思い通りにいかない事情で人生を左右されているはずなのに、彼女は出会った頃と変わらず軽やかで揺るがない夢を追いかけている。

 

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筆者むらかみと。2人は熊本高校の演劇部仲間でした。「あれから10年以上かぁ」

私は2年以上同じ会社で働いたことがない。自分の気持ちと衝動で “もっと楽しいこと” に飛びついていった結果だが、それに比べ、不満があってもすべて勉強、将来の糧になると取り組んできた優美子さんはとても眩しく見える。目の前の仕事もいつか辿り着きたい未来のための道具でしかない。その道具を使い倒してもうひと回り大きな人になる。仕事の価値は自分が決めるものなのだということを教えられた。

けれど不思議と、私は忍耐がないな、と自分を恥ずかしく思ったり、もっと頑張っていればとは思わなかった。みんな働くこと、生きることについて異なる価値観を持っている。だから選択や結果が異なっていても普通のことなのだ。どんな道を選ぶのであれ、それによって楽しく幸せに生きられる未来を手に入れることが重要なのだと思う。もしかしたら優美子さんには、もっとしっかりしろよと思われているかもしれないけれど。

またこの取材を通して、働くことと家族を作ることはどちらも思い通りに両立させることは難しいと改めて思った。周囲の同世代を見ていても感じるが、自分の力ではどうしようもないことはたくさんあるし、思い通りにいかないことばかりである。折れることや諦めることが必要な場面も出てくる。では問題にぶつかったとき、現実をどう受け止めて次の一歩を踏み出すか。それを決めるためには、いつかなりたい自分の像を描くのが近道かもしれない。最終的にどういう自分になりたいかをしっかり持っていれば、壁も落とし穴も乗り越える道を見つけることができるのだと思う。歩く道が遠回りでもデコボコでも、いつか望む未来に辿り着けると信じて歩いていけることが幸せなのかもしれない。
がむしゃらに頑張るのも、ゆるく休みながらやっていくのも、仕事と家庭のバランスも、正解はないだろう。結局自分が一番幸せに過ごせるトーンを選べるかが日々を楽しくするために重要なのだと思う。(了)

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山崎 優美子(やまさき ゆみこ)
宿泊業コンサルティング会社勤務
1985年生まれ、熊本県天草出身。自然豊かな土地で車海老養殖業を営む両親の元で育つ。熊本高校卒業後、立命館大学に進学し経営学部で学ぶ。初心者でフィギュアスケート部に参加し4年間過ごす。2008年沖縄のリゾート開発会社へ就職するも、倒産。2008年11月岐阜県下呂温泉の旅館に転職。経理を中心に人事・総務・フロントと幅広く経験する。2012年大学のスケート部同期と結婚。2014年9月夫の転職を機に上京。宿泊業を支援するコンサルティング会社で数施設の経理業務の管理補佐を担当。将来は天草を国際的観光地にするのが夢。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(次回をお楽しみに。月一更新目標です)

連載バックナンバー

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第6話 「意志があれば道は拓けると信じているから」  福田岳洋さんの場合(2014.10.31)

 


むらかみ みさと

むらかみ みさと

1986年阿蘇生まれ。生きた時間の半分を読み書きに費やしてきました。 ORDINARYでは広報・PR、ユーザーコミュニケーションなどを担当。 公私ともにコミュニケーションにまつわる仕事をしています。 円の中心ではなく、接点となる役割を追求したいと思っています。